活動履歴
2015年
「韻踏み夫による日本語ラップブログ」開設
2016年
・「ライマーズ・ディライト」(『ユリイカ』2016年6月号)
批評文。NORIKIYO、Kダブシャイン、般若、SEEDAについてのリリック分析。
・トークイベント「日本語ラップ批評ナイト」7月29日、文禄堂高円寺店イベントスペース
登壇者:佐藤雄一、吉田雅史、中島晴矢、韻踏み夫
・「KISS ON HIS TATTOO ~日本語ラップの二つの水脈と刺青~」(『PANIC AMERICANA Vol.21』)
批評的エッセイ。T-PABLOW論。
2017年
・トークイベント「日本語ラップ批評ナイトVol.2」2月25日、文禄堂高円寺店イベントスペース
登壇者:磯部涼、佐藤雄一、吉田雅史、中島晴矢、韻踏み夫
・『ミュージック・マガジン』(2017年6月号)、「特集 日本のヒップホップ・アルバム・ベスト100」参加
レビュー執筆。
・「ドラッグの密売体験も激白!ラッパー自伝の“リアル”とは?」(『サイゾー』2017年7月号)
ラッパーによる自伝本を総括した批評的エッセイ。
・トークイベント「日本語ラップ学会」(市原湖畔美術館でのラップ・ミュージアム展のクロージング・イベント)9月24日
登壇者:磯部涼、吉田雅史、安東山、山下望、中島晴矢、岩下朋世、韻踏み夫
コメンテーター:佐々木敦
2018年
・SUSHI BOYSインタビュー(『サイゾー』2018年3月号)
・Hideyoshiインタビュー(『サイゾー』2018年10月号)
2019年
・GOBLIN LANDインタビュー(『サイゾー』2019年5月号)
・『POPEYE』(2019年7月号)、「おもしろい映画、知らない?」参加
・対談:磯部涼×韻踏み夫「日本語ラップ、ことばの変化」(『BRUTUS』2019年8月15日)
・なみちえインタビュー(『サイゾー』2019年10月号)
・FUJI TRILLインタビュー(『サイゾー』2019年11月号)
・「ライミング・ポリティクス試論 日本語ラップの〈誕生〉」(『文藝』2019年冬季号)
2021年
・「ヒップホップ界伝説の映画『Style Wars』。荏開津広が語る、その歴史的価値とは。」(https://casabrutus.com/culture/176900)、取材・文
・『ele-king vol.27』、「必聴ジャパニーズ・ラップ/ヒップホップ大カタログ」参加
レビュー執筆。
・「ブラックパンサー・ノート」(『ラッキー・ストライク』)
ブラックパンサー党について。
・連載「耳ヲ貸スベキ!――日本語ラップ批評の論点――」(『文学+web版』https://note.com/bungakuplus)、2021~2022
日本語ラップ批評の論点整理を行う批評文。
パンサーの亡霊たち――ヒップホップと68年――
君たちにブラック・パンサーの同志を殺し、ゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、我々にも、ニクソン、佐藤、キッシンジャー、ド・ゴールを殺し、ペンタゴン、防衛庁、警視庁、君達の家々を爆弾で爆破する権利がある(頭脳警察「世界革命戦争宣言」)
銃が鳴り響くフッドに、ブルースを歌う。「Hood Gospel」のT-Pablowは、何一つ持たぬ身から成り上がった現在までを語る。「クソ貧乏な少年は隠してた/本音を隠すのをやめたらラップしてた」。しかし、それだけか。「武道館のネジをゆるますほどの低音」。ここではなぜ「ヒップホップ」でなく、「ブルース」「ゴスペル」と言われるのか。低音はそのような過去と響きあい、現在の「ネジ」をゆるめて、そしてその隙間からある歴史が漏れだそうとしているのではないか。
「いまだ雨風にハスラーは打たれてる/伝説のギャングたちは無期か路上で撃たれてる」。無名のハスラーたちや伝説のギャングたちの追悼。そして次のような系譜について語る。「ラマーやJ.コールにとっての2パック/バンピー・ジョンソンがいてこそのフランク・ルーカス」。BLM時代を代表する二人のアーティストと、ブラック・パンサーがまいた種から「コンクリートに咲いたバラ」。そのような系譜と、二人のギャングの系譜を並列することはいささか奇異なようにも思えるが、むしろ正しいのはT-Pablowの詩的な歴史感覚の方なのである。ならって言えば、ブラック・パンサーがいてこその2パックであり、マルコムXがいてこそのパンサーである。このとき、T-Pablowは次のことを知っていたかのようである。マルコムXとバンピー・ジョンソンは40年代にすでにストリートで出会っており、60年代に再びジョンソンがハーレムに戻ったあとも二人の間には交流があったのである。
これはヒップホップ的なポリティクスの話であり、革命の話である。ドゥルーズが言うような、革命的な極とファシスト的な極の間を揺れ動く流れ、ヒップホップとはそのような政治の場なのではないか。そのような系譜こそが語られねばならないのではないのか。
――「あなたは「ブラック・パンサー」が大好き/でもフレッド・ハンプトンのことじゃない」(Public Enemy「Fight the Power: Remix 2020」のRapsody)。69年2月、ブラック・パンサー党シカゴ支部議長フレッド・ハンプトンは、ある組織のピケ隊に加わり、ホセ・“チャ・チャ”・ヒメネスらとともに警察に取り囲まれた。その2週間後に、もう一度、同じメンバーで警察に囲まれたそうである。そのさらに2か月後の4月、ハンプトンは、プエルトリカンの革命組織ヤング・ローズ(Young Lords Organization)のリーダーたるヒメネスに、パンサーとヤング・ローズの提携を持ちかけたのだと、ヒメネスは証言している。他にチカーノ、白人、中国系などの革命組織をも巻き込んだ、ラディカル同士のカラフルな協力体制は文字通り「レインボー・コーリション」と呼ばれることになる。「すべての権力を人民に、とわれわれはいう――黒人にブラックパワーを、褐色の肌をした人びとにブラウンパワーを、赤色人にレッドパワーを、黄色人にイエローパワーを、ということだ。白人にもホワイトパワーを、だ。また前衛党にはパンサーパワーを、だ」(フレッド・ハンプトン「解放者は殺せても、解放運動を殺すことはできない」、フィリップ・フォナー編『ブラックパンサーは語る』)。
あるメンバーの証言によれば、もともとヤング・ローズは「あっちでゆすりたかり、こっちでなぐりあいの与太者の生活」であったが、67年、ヒメネスが政治的意識をもってギャング的だった組織を作り直し、人民への奉仕をも始めた。そのニューヨーク支部ができるのは、ヒメネスとハンプトンが交流を深める69年のことであった。「当時彼ら[ニューヨーク支部設立者の大学生たち――引用者]は、街頭に出て、「街の兄ちゃん」連中と話しあい始めた、その連中こそ働きかけの相手だったからだ。麻薬常用者やヤクザ者やヒモやその他いろんな商売をしている人たちの支持が得られるようになった。それで街の兄ちゃん連中が変身し始めた。ちょうどそのときにニューヨークでYLOが組織されたんだ」(同前)。ここで証言されているニューヨーク支部の設立者の一人には、ラスト・ポエッツのフェリペ・ルチアーノがいた。
パンサーもまた、「街の兄ちゃん」たちを組織しようとしていた。ルンペン・プロレタリアートこそが革命の前衛だと、彼らは考えていたからである。ジェフ・チャンのクラシック『ヒップホップ・ジェネレーション』にも次のような記述がある。天才的なオーガナイザーであったハンプトンは、「ブラックストーン・レンジャーズ、マウ・マウズ、ブラック・ディサイプルズといった有力ギャングと協力関係を結んでゆく。ギャングには、恐れられ、見捨てられた若者が集まっていた。もし彼らが貧しき者を強奪し、弱き者を威嚇し、罪なき人を傷つけるのをやめれば、革命を起こすに足る強力な力になり得る。ハンプトンはそう信じていたのだ」。
そのようにして、チャンはサウス・ブロンクスが68年革命をどのように受け止めたのかを探りはじめる。ヤング・ローズは、70年初頭にサウス・ブロンクスへ入る。そこでは一時、革命組織とギャングの間の密接な交流さえ見られたが、パンサーやヤング・ローズは徹底的な弾圧にあう。革命の廃墟、それこそがヒップホップ誕生の背景であったと、チャンは言うのである。「ブロンクス・ギャングのストーリーは一九六八年から一九七三年の裏年表だ。これは革命の裏側であり、例外だったはずのものが、原則となった物語なのであ」り、その期間は「革命の五年になるはずが、実際はギャング闘争の五年となった」。ブロンクスにおいてそのように経験されたこの五年間は、他方、たとえばウォーラーステインらの世界システム論において、「反システム運動」が台頭する「67年/73年」の時代区分と重なっていることからも知れるように、世界史的重要性を持っている。さて、チャンは記している。「彼らにとって、可能性を感じられる空間は、ポリティカル・パーティ[政党]ではなく、ブロック・パーティ[野外パーティ]にあったのだ。/ギャングは、一九六八年の灰、瓦礫、血から誕生した。そして、その五年後、再び新たな展開が始まろうとしていた」。むろん、73年に始まるポスト68年時代の「新たな展開」とは、ヒップホップの誕生のことにほかならない。
なお、チャンは同様に、西海岸におけるヒップホップの成立にも、68年の痕跡が残されていると見ている。ウェストコーストはパンサーの本拠地であるが、有名なギャングであったバンチー・カーターはエルドリッジ・クリーヴァーの知己を得て、パンサー党南カリフォルニア支部の長の位置につくことになる。そのカーターを慕っていたのが、かのクリップスを組織することになるレイモンド・ワシントンである。ラスト・ポエッツなどとともに、ラップというアート・フォームの源流に数えられることの多いワッツ・プロフェッツは、チャンが指摘するように、パンサー近傍にあり、政治的なポエトリーを録音した。実際『Rappin’ Black In The White World』(71年)では「時を掴めSeize The Time」「すべての権力を人民へ」などのパンサーのスローガンを引用している。
ヴォルフガング・シュトレークによれば、新自由主義下の個人に求められる行動とは、「対処すること(コーピング)、希望すること(ホーピング)、薬を摂取すること(ドーピング)、買い物をすること(ショッピング)」である(『資本主義はどう終わるのか』)。自らの世代を「セクション80」と名付けたケンドリック・ラマーは、「ロナルド・レーガン・エラ」の私たちの荒廃を、まさにそのようにして描いた。
パンクバンド、ザ・クラッシュのアルバムでも知られるニカラグアのサンディニスタ革命がアメリカに与えたショックは、キューバ革命のそれに似ていたとも言われる。事実、サンディニスタはキューバ革命に影響を受けてもいた。レーガンが一方では「ドラッグとの戦争」「ジャスト・セイ・ノー」などと掲げながら、間接的に、インナーシティにおけるクラックの蔓延の後押しをしていたという欺瞞について、「イラン・コントラ事件」のスキャンダルとともに疑われている。そうでなくとも、「レーガン・エラ」に加速した新自由主義的、「割れ窓理論」的な支配が、レイシズムと絡み合いつつ、ヒップホップの土壌となるコミュニティを真っ先に取り締まったことは確かである。「ギャングスタ・ラップ(あるいはリアリティ・ラップとでも、なんと呼んでも構わないが)はクラックの爆発的な流行が生んだ直接の副産物である」(ネルソン・ジョージ『ヒップホップ・アメリカ』)。
第三世界主義の立場をとるパンサーは、言うまでもなく、カストロ、ゲバラに多くを学んだ。他方、まさしく「レーガン・エラ」に、一人の人物が、カストロ政権下のキューバからアメリカに到来する。トニー・モンタナである。モンタナというファシストは、おそらく最も革命的なフィギュールでもあるのだ。革命の、パンサーの代補としてのヒップホップというジェフ・チャンのビジョンがありうるならば、トニー・モンタナはゲバラの代補として捉えられなければならない。
「どのようにして私たちはブラック・パンサーをストップさせてしまったか?/ロナルド・レーガンは答えをでっちあげた」(「Crack Music」)。ここでカニエ・ウェストが言うのは、クラックによるコミュニティの破壊についてである。しかし、レーガンはそもそも、ブラック・パンサー活動期に、その本拠地カリフォルニア州知事をつとめ、コインテルプロなど、徹底的な弾圧に直接加担した「ピッグ」の一人なのであった。カニエが暴こうとするように、このことは、現代の新自由主義的支配が、68年の反動であるというナラティブをヒップホップ的に再確認するものでもある。だからこそ、アルバムの最後に配置された「HiiiPower」の三つのフックで、ケンドリックは三人のパンサー(ヒューイ・ニュートン、ボビー・シール、ハンプトン)の名前が落とすのであろう。「フレッド・ハンプトンがキャンパスに/あなたは彼のハイパワーには抗えない」。
1962年、ジェームズ・メレディスのミシシッピ大学入学をめぐって、レイシストたちは暴動を起こす。「彼がオックスフォード・タウンへ行くと/銃と警棒が彼を追いたてた/なんといったって彼の顔がブラウンだったから/オックスフォード・タウンからは出ていった方がいい」(ボブ・ディラン「Oxford Town」)。この一事から、メレディスは公民権活動家として知られてゆくことになる。そのメレディスが銃に撃たれ、命はとりとめたものの、自らが計画した行進を諦めざるをえなくなったのは、66年のことである。この「恐怖に抗する行進」を引き継ごうと駆けつけたのは、マーティン・キング、ホイットニー・ヤング、そしてすでに公民権運動のリベラル的不徹底さに不満を抱きつつあった若い世代のストークリー・カーマイケル(SNCC)やフロイド・マキシック(CORE)らである。ここで行なわれたカーマイケルの「ブラック・パワー」スピーチ――「道をあけてくれ。さもなければ君たちを踏み越えて前進するからな!」(ストークリー・カーマイケル『ブラック・パワー』)――はいまだ伝説的なものとして知られるとともに、穏健派で旧世代のヤングらと衝突を引き起こした。公民権運動からブラック・パワーへと運動の中心が移動する象徴的な事件として、この「メレディス行進」は位置付けられている。要約的に言えば、「セグリゲーション」から「インテグレーション」へ、というのが公民権運動的であるとすれば、ブラック・パワーは「インテグレーション」の欺瞞を批判し「セパレーション」を戦略として立てたわけである。。
1968年2月、ストークリー・カーマイケルはブラックパンサー党首相に任命される。ヒューイ・ニュートンは、拡大する党をより強固に組織するために、SNNCとの合同を持ちかけたのであった。しかしながら、カーマイケルらとパンサーの思想は食い違いを露呈させ、早々に決裂する。パンサー党情報相エルドリッジ・クリーヴァーは、カーマイケルのブラック・パワーに内在する「白人支配恐怖症」を指摘し、そのナショナリズムを「文化的民族主義」と断じている。さらに、ブラック・パワーはいまや「黒人資本主義」として体制に取り込まれようとしているとさえ見抜いていた。「敵にもわれわれにも見えていて、きみ[カーマイケル――引用者]にだけは見えていないらしい一つのことは、黒人、白人、メキシコ人、プエルトリコ人、中国人、エスキモーなどの革命的分子が、状況に即応していける何らかの機能的組織に統一されないかぎり、合衆国にはいかなる革命も、黒人解放もありえないという点だ」。必要なのはナショナリズムではなく、マルクス・レーニン主義をもとにしたマイノリティ間の連帯である。「ただ民族主義にのみ立脚して解放闘争を進めた国は、みな資本主義と新植民地主義の犠牲となり、その多くが以前の植民地体制と同じように圧政的な暴政の下におかれている」(『ブラックパンサーは語る』)。
ネグリ=ハートは言っている。「民族が進歩的なものであるのは、あくまでもそれがより強固な外的諸力から自分を守るために固められた防衛線である限りにおいてなのだ」。それゆえ、そのように進歩的なサバルタン・ナショナリズムには、他方で「反動的な影が避けがたく附随している」。「ブラック・ナショナリズムがその基盤としてアフリカ系アメリカ人の画一性と均一性を(たとえば、階級的差異を覆い隠しつつ)措定したり、あるいはそれがコミュニティの一部分(アフリカ系アメリカ人男性のような)を事実上その全体を代表するもにとして指し示したりする」(『〈帝国〉』)。
至当にもSNNCとCOREのナショナリズムと資本主義を批判するエルドリッジ・クリーヴァーは、性差別主義者でもあった。というよりも、実際に彼は白人女性をレイプし、それが若き日の彼にとってレイシズムへの、世界への抵抗のつもりであったと語るだけでなく、白人女性を犯す前に黒人女性で「練習」したとさえ打ち明ける。彼のパンサー入党以前のベストセラー『氷の上の魂』に読まれる、悪名高い挿話である。むろん、レイプについて反省は見せるものの、作家、革命家として知られてからもミソジニーとホモフォビアは拭えなかった。
70年頃には、クリーヴァーはニュートンを「日和見主義」的だと批判することになる。パンサーの名高いコミュニティ奉仕の生存プログラムは、党の議長ボビー・シールの力によるところが大きいと言われるが――「ボビー・シールは飯を作る/あなたは彼のハイパワーには抗えない」――、それは「人民に奉仕せよ」との毛沢東のスローガンを「実践」したものであり、革命と結びつけられたものではあった。対して即刻暴力革命を望むクリーヴァー、白人ラディカルらはニュートンらのそうした党の方針に不満を抱き始めたが、ニュートンが言うように、「小児病」的だと言わざるをえまい。日本におけるパンサーの最良の紹介者である酒井隆史は、この対立を「主権的な線」、つまり「(国家)権力を獲得するのか」と、「非(反)主権的な線」、つまり「(国家)権力の獲得を拒否し、むしろ、みずからが力そのものになることを選択するのか」(『暴力の哲学』)とパラフレーズしている。
このニュートンとクリーヴァーの対立に、ひそかな別の線を読み込もうとするのは、ゲイ・スタディーズの古典『ゲイ・アイデンティティ』の著者、デニス・アルトマンである。リロイ・ジョーンズなどとともに、クリーヴァーもまた、きわめて性差別的であったことが詳細に検討されたあとで、アルトマンは、70年に発表されたニュートンの、あるきわめて重要な声明を拾い上げる。「女性解放運動とゲイ解放運動」(https://www.blackpast.org/african-american-history/speeches-african-american-history/huey-p-newton-women-s-liberation-and-gay-liberation-movements/)というその文章でニュートンは明確に言っている。「同性愛者と女性における(私は同性愛者と女性を抑圧された集団として言っているのであるが)同性愛と様々な解放運動について、あなたの個人的な意見や不安感がなんであったとしても、私たちはそれらと革命的な仕方で団結するようつとめなければならない」。アルトマンは次のような箇所を引くが、ニュートンの繊細な物言いは、彼の冷静な知性の一端を覗かせるかのようである。「同性愛者が革命家になれないわけがない。「同性愛者ですら革命家になれる」と言えば、わたし自身が持っている偏見を差しはさんでしまうことになるだろうが、ひょっとすると、それどころか同性愛者こそ最大の革命家たりうるかもしれない」。アルトマンは最終的にこのような評価を下している。「(……)黒豹党はゲイ解放を有効な政治的運動であるとはじめて認識した重要なラディカル集団である。この認識の重要性は二つある。まず、少なくともラディカルな白人同性愛者のあいだで自らの人種差別についての意識が上がるだろうことである。第二は、黒人コミュニティ内において同性愛者の迫害ではなく受容を促す態度が強化されることである。これらの意味において、ヒューイ・ニュートンは、ジェームズ・ボールドウィン同様、ゲイ解放の成熟に重要な貢献をしたと言うことができる」。ストーンウォール以後、台頭していたGLF(ゲイ解放戦線)は、この声明を受けてパンサーとの協力を模索しようとさえした。
パリスや2パック、デッド・プレズ以上に思い出すべきは、あるいは、アーリヤ、クイーン・ラティファ、レフト・アイなど豪華な女性ラッパー、シンガーが集結した「Freedom」の一曲が映画『パンサー』のテーマであったことであり、またかの有名なビヨンセによる女性パンサーを模したスーパーボウルでのパフォーマンスでもあるかもしれない。そのような別の歴史が想像される一方で、同時に党内に色濃く残る男性中心主義を批判し、ときには党を出た女性たちの存在を忘れるべきではない。ニュートンのあとを継いで防衛相となったイレーン・ブラウンは、詩人でもありシンガーでもあった。ボビー・シールとともに投獄されたエリカ・ハギンズは言っている。「あらゆる種類の人間が必要なのです。老いも若きも、肌色の黒いのも、茶色のも、赤いのも、ベージュ色のも、どんな色の人間でもです。男も、女も、ゲイも……皆です」(アンジェラ・デイヴィス編著『もし奴らが朝にきたら』)。彼女に宛てた手紙のなかで、アンジェラ・デイヴィスは、「シスターフッド」の有効性を確認し、監獄内のジェンダー的な権力を分析している。デイヴィスがBLMのさなかで思い返すべき革命家だと言うアサタ・シャクール(「アサッタのメッセージの過去・現在・未来」、『現代思想』2020年10月臨時増刊号)については、コモン、パリス、2パックらも歌ってきた。そのように言うデイヴィス自身もまた、パンサーに随伴したフェミニストである。
有光道生は、BLMが女性、LGBTQ、障害者、犯罪者らの「ライブズ」をも肯定する運動だということを確認したうえで、「ポスト公民権運動時代の変化」にはデュボイスの「二重意識」よりもむしろ「多重意識」を認識することの必要性を主張している(「今度は火だ」、同前所収)。これは、68年的な問題の現代的な帰結であり、人種だけでなく、階級、性、犯罪といった多様な線が通過したのは、パンサーにおいてなのである。
パンサーがブラック・パワーから出てきたということは確かである。スガ秀実によれば、68年とは、「世界革命」なる「大きな物語」が、諸マイノリティの氾濫=反乱において不可能性に直面することであった。その意味で、「華青闘告発」と同様にブラック・パワーはアメリカ68年に決定的な影響を与えている(たとえば日本で華青闘告発がフェミニズムを活気づけたように、アメリカでブラック・パワーのスローガンはたとえば「ゲイ・イズ・グッド」などと流用されていった)。しかし、すでに68年の時点でそうしたアイデンティティ・ポリティクスが、「ポリコレ」的な、革命性を抜き取られたものに回収されてゆく傾向があったとスガは言う。まさに、パンサーがSNNCやCOREに見ていたものと同じことである。つまり、「そこで「反独裁の独裁」という問題が消えた時、つまり、例外状況における「主権」が、もはや問われない時、市民主義的な国民主権論が回帰してくるほかない」(『革命的な、あまりに革命的な』)。パンサーは、マイノリティの側から、しかし「社民化」を同時に退け、あくまで主権への問いを保持し続け革命を志向/思考するという点において、「革命的な、あまりに革命的な」68年そのものである。
マルコムXは、彼一流のアイロニーを混ぜながら、自分は革命家ではないし、公民権運動も革命などではないと断言する。「白人社会は、白人が黒人にたいして犯してきた罪を、人が、とくに黒人が話すのを憎む。私があれほどたびたび「革命家」と呼ばれたのはそれが原因だと、まえまえからわかっていた。そういうと、まるで私がなんらかの犯罪でも犯したように聞こえるからだ!まあ、しかし、アメリカの黒人は、本物の革命でもやる必要があるのかもしれない」(『マルコムX自伝』)。革命とは「完全な変革――完全な変化」のことを言うのであり、たとえばアルジェリア革命などが「本物の革命の一例」である。「そうであるならば、アメリカの黒人が「革命」を起こしているなどとは、どう聞いてもほんとうとは思えないではないか。なるほど、一つの制度を非難してはいる――しかし、アメリカ黒人はその社会制度を転覆、破壊しようとしてはいない」。黒人運動の(「革命」などとは程遠い、最低限の)要求すら実現しない白人社会を厳しく批判するとともに、黒人のいっそうのラディカル化を否定しない両義性を巧みに含ませるマルコムの天才的なレトリックに瞠目すべき箇所でもあろう。さて、「真の黒人革命ならば、たとえば、アメリカ内部にべつの黒人国家を樹立するための闘争を課題とするかもしれないのだ」。
革命家であるニュートンはこう振り返っている。「一九六六年一○月に結党した当時のわれわれは、いわゆるブラック・ナショナリストであった。(……)われわれがわれわれの民族だけから成るわれわれ自身の国家をつくれば、その時にわれわれの一民族としての苦しみはなくなるのではないかと考えたのである」(『エリクソンVS.ニュートン』)。しかし、それは誤った戦略であった。彼によれば、パンサーはさらに「革命的ナショナリスト」、「革命的インターナショナリスト」へと自己規定を変えて行き、最後には「インターコミュナリズム」なる現代資本主義論に至る。
「革命的ナショナリスト」の時点で彼らは「国内植民地」論を手にしてはいた。アメリカの黒人ゲットーを植民地と見なし、国内には「分散した植民団」があると見なす。そこから、第三世界主義、「インターナショナリスト」へは一歩である。しかしながら、第三世界の抵抗は、ナショナリズムに負うところが大きかった。この齟齬をいかに考えるべきなのか。ニュートンにベトナム人民のナショナリズムを否定しうるわけがなかった。それゆえ、一方でブラック・ナショナリズムを厳しく批判するインターナショナリストの立場から、しかしベトナムのナショナリストを支持すると声明を出したが、それはニュートン自身には「なんだか彼らを見下げ、彼らを裏切っているように」思えた。だから「それから一ヶ月あまり、非常に不満で気が塞いでいた」。
「インターコミュナリズム」はそうした矛盾を解決するものとして、ある朝突如ニュートンの頭に降ってきた。サバルタン・ナショナリズム的な、独立国家を求める革命という考えの誤りはどこにあるのか。「われわれの間違いは、過去において人民が新しい国家をつくったのと同じ諸条件が未だに存在していると仮定したことにあった」。現代資本主義は、べつの段階に至っている。過去の国民国家の時代において、植民地支配は直接的なものであった。「(……)支配下においた領土に行政官や植民者を送り、現地人から労働を搾取し地下資源を搾取するようになった。これが、われわれが植民地主義として知っている現象である」。しかし、その支配は強化され、やがて植民者は現地にいる必要がなくなる。「人民は、この侵略者の掌中に完全に組み込まれて、もはや、自分たちの領土が植民地であることにも気づかぬほどになっていたのです」。これが「新植民地」と呼ばれるものである。
ニュートンの分析はさらに進み、こう断言するに至る。「現在ではもはや、植民地も新植民地もない」。「(……)もはや国家は存在しないも同然である。将来、存在するようになることも恐らくありますまい」。どういうことだろうか。「新植民地」と呼ばれているものが示しているのは、帝国主義の支配のシステムが地球全体に及んでいるということである。そこに外部はもはや存在しない。「そもそも、植民地化するということが可能ならば、植民地解放ということも植民地以前の状態に戻すということも可能であろう。ところが、領土が地球全体に広がり、いたるところで原料が搾取され労働が搾取されているという状態の中では、そして、地球全体の富がことごとく吸い上げられ帝国主義者の故国にある巨大な産業機械に供給されているという状態の中では、人民も経済もすっかり帝国主義者の帝国に組み込まれて、“植民地状態を脱する”ことも、以前の存在条件に戻ることも不可能なのである」。仮に(アフリカン・アメリカンのコミュニティを含む)植民地が独立しえたとして、資本主義を通したより強固な支配のシステムに組み込まれるだけなのではないか。それゆえ、こうしたポストコロニアルな状況において、もはや国民国家という枠組みで物事は考えられない。ブラック・ナショナリズムの限界もここにある。それと同時に、支配の主権もまた、もはや国家の枠組みを越えている。合衆国はすでに「国家とは別な何か、国家以上のもの、領土的境界を拡大してきただけでなく、ありとあらゆる支配力をも拡大してきたという意味で、われわれはそれを帝国と名づけた」。
帝国が全地球を制覇し、もはや国民国家は存在しない。「現代の世界は、分散したコミュニティーの集まりだというのが、われわれの見解である。コミュニティーは、国家とは違う。コミュニティーというのは、少数の人間に奉仕するべく存在する包括的諸制度を備えた小さな単位だ。しかも、そうした現代世界における闘争は、合衆国という帝国から利益を得て人民を統治する少数勢力と、自分自身の運命を自分で決めたいと願う世界の人民との闘争であるとも言えるだろう」。多数のコミュニティを制覇するひとつの帝国。この状況を「インターコミュナリズム」と名付ける。それは「ひとにぎりの人間から成る支配勢力がテクノロジーを用いて他のすべての人間を支配する時代である」。したがって問題は、この「反動的なインターコミュナリズム」を「革命的」なそれへと転化させることである。もはや「我が国の黒人の境遇とアフリカ人も含めた世界のあらゆる人民の境遇の間には単なる程度の差しかない。要求も同じだし、エネルギーも同じなのです」。同じ「エネルギー」で同じ「ニード」を。そのような世界革命をニュートンは描く。マルクス以来の弁証法的な発想をもって、支配のテクノロジーは同時に革命をも可能にするのだと言う。「世界は今やひとつのコミュニティーに統合され、アメリカ帝国の広大な支配と結びついたコミュニケーション革命は“全地球村”とも言うべきものを生み出し、あらゆる文化の人々は全て同一勢力の包囲下にあって、全て同一のテクノロジーを利用しうる状態になっている」。アメリカには、この「インターコミュナリズム」論を、ネグリ=ハート『〈帝国〉』に先駆けるものと指摘する学者もいるようだが、じゅうぶんに納得しうる話である。
酒井隆史はこう述べている。「(……)かれら[パンサー――引用者]がひらいた問いの空間はいまだ生命を失っていないものです。すなわち、世界資本主義の水準での根本的な変革という展望を維持しながら、ローカルなものに根をおろし、さらに攻勢的な暴力を批判する、という視点です」(『暴力の哲学』)。コミュニティの自律、防衛と、世界資本主義の変革の二つの方向性を維持すること。それは、スガが言うように、68年が直面した不可能性にほかならない。「インターコミュナリズム」はそのような射程をひらいた理論である。
獄中で哲学を読んだマルコムXは、驚くほど先駆的な知見に至っていた。「ここで一言いいたい。西洋哲学の全体の流れは、いま袋小路に入っている。白人は黒人ばかりでなく自分自身にたいしても巨大なペテンを仕掛けてしまったので、自分自身をも落とし穴に陥れてしまったのだ。黒人の歴史上の真の役割を、丹念に、神経質なほど隠そうとして、そうなってしまった」(『自伝』)。これが正しかったことは、ポストモダニズム、ポストコロニアリズムなどの思想を知る私たちにとっては明らかである。「ショーペンハウエル、カント、ニーチェは当然全部読んだ。尊敬はできない。(……)尊敬できないのは、さして重要でないことを議論するのに時間を多くつかったと思えるからだ」。
ヒューイ・ニュートンは言う。「ニーチェの『権力への意思』を読んで、私は彼の数多くの哲学的洞察からたくさんのことを学んだ。といって、ニーチェのすべてを認めるわけではないが、彼の思想の多くが私の考え方に影響をあたえたことは確かだ」(ニュートン『白いアメリカよ、聞け』)。彼のニーチェ理解は次のようなものである。「善や悪を越える存在として、権力への意思がある、とニーチェは信じていた。換言すれば、善や悪は現象にたいする呼称、あるいは価値判断である。しかし、そうした価値判断の背景として、ある現象を善と見るか悪と見るかを規定する、権力への意思がある」。その応用の例として、彼らが広めた「ピッグ」のスラングを挙げる。警察を「豚」と罵倒するのは当時の新左翼たちのあいだで流行するまでになったが、単に価値転倒を狙ったものというよりも、警察という存在を支える「権力への意思」自体を問おうとしているのだと解釈しておくべきであることは、「逆パトロール」その他、現在のBLMのアボリショニズムに先駆ける運動、思想に示されよう――「(……)道徳というのは人びとの頭のなかにあるのではなく、権力関係のうちに書きこまれており、権力関係を変えることによってしか、道徳性を変えることはできない、ということです」(ミシェル・フーコー『処罰社会』)。「ピッグ」を「意識を高める言葉」とするニュートンは、もう一つの例を挙げる。パンサー最大のスローガンである「すべての権力を人民へAll Power To The People」である。やはり「権力power」の語から、ニーチェからの影響を読み取るべきであろうが、同時に「すべての権力をソビエトへ」(レーニン)が響く。68年の革命的なニーチェの読解者たちの一人に、ニュートンは数え上げられねばなるまい。
「Don’t push me ’cause I’m close to the edge / I’m trying not to lose my head」。「エッジ」とは、まさしく「正気を失う」ような場所であり、ラッパーはそのようなところに立って歌っている。獄中でエルドリッジ・クリーヴァーは書いた。「なることについてOn Becoming」という題――ならばむろん、「生成変化について」と訳してもよいわけだ――が付されている。「わたしは刑務所にはいってきた時のあのエルドリッジを大変よく知っていた。だが、あのエルドリッジはもはやいない。そして今わたしであるところの人物は、ある意味ではわたしにとって見知らぬ人である。この言い方は理解しにくいかもしれないが、刑務所にいる人間が自分という感覚を失うのは大変やさしいのだ。そしてもし彼があらゆる種類の極端なこみいった乱雑な変化をくぐりぬけていると、彼はついには自分が何であるのかがわからなくなる」(『氷の上の魂』)。獄中でエリカ・ハギンズは詩作した。「人種差別は、抑圧はわたしたちの魂を奪った/それは魂を破壊し、わたしたちに ひゅうっ、ひゅうっと、回らせ/浮き/混ざり/やがて/なる……ようにさせた」(『もし奴らが』)。獄中でジョージ・ジャクソンは書いた。「奴らはぼくを、もはや引き返すことのかなわぬ線の彼方に押しやったのです」(『ソルダッド・ブラザー』)。ドゥルーズ=ガタリは、生成変化を説明するのに、まさにこう書いていた。「ブラックパンサーの活動家は、黒人ですら黒人に〈なる〉必要があると主張したものだ。女性ですら女性に〈なる〉必要がある。ユダヤ人ですらユダヤ人に〈なる〉必要がある(ひとつの状態に甘んじるだけでは不足なのだ)」(『千のプラトー』)。
――「ガバメント奴らは俺らを台無しにする/俺らはパクられまたジェイル」。ジョージ・ジャクソンが盗んだと嫌疑をかけられたのはたったの70ドルだった。以後、71年に看守に銃殺されるまでの約十年間を獄中で生きることになったのは、監獄のレイシズムによるだけでなく、ボブ・ディランが「彼がただあまりにリアルだったために権威は彼を憎んだ」(「George Jackson」)と歌うよう、その徹底した不服従の姿勢によってでもあったろう。「ぼくは自白したが、刑を宣告する段になると、奴らは一年から終身という不定刑期を申し渡して、ぼくを連邦刑務所にほうりこんだ。それは一九六○年のことで、ぼくは十八歳だった。それ以来ずっとぼくはここにいる。ぼくはマルクス、レーニン、トロツキー、エンゲルス、毛に出会い、刑務所に入ったぼくを、それらの人びとが埋め合わせてくれた。最初の四年のあいだ、ぼくはもっぱら経済学と軍事思想を学んだ。ぼくは黒人ゲリラたちにも出会った。(……)われわれは黒人犯罪者のメンタリティを変革して黒人革命家のメンタリティにしようと努力した」。彼は獄中で監獄の分析、ゲリラ戦論などを書き、ブラック・パンサー党野戦司令官の肩書きを得る。
ジャクソンはBLMのアボリショニズムに決定的な影響を与えることになるが、日本では、ほとんど酒井の紹介(河出書房新社編集部編『BLACK LIVES MATTER』)があるのみである。ジャクソンはたとえば次のように分析していた。「犯罪学の教科書は、きまって、囚人は精神的に欠陥があるという考えを打ち出したがる。制度それ自体に誤りがあるという意見は、ほんのちょっぴりほのめかされるだけ。刑罰学者は刑務所を養育院と見なす。ほとんどの政策は指導的な矯正局の下で運営される部局で立案されます。だが、かつて治癒した収監者が一人としていないのに、これらの養育院について何が言えるだろうか。すべての事例において、人びとは肉体的にも精神的にも入って来たときよりずっと大きな打撃を受けて刑務所から送り出されるのです」。ジャクソンらは「ソルダット・ブラザーズ(ソルダット刑務所の同志)」と呼ばれたが、その闘争に深くコミットしたのは、いまや『監獄ビジネス』の著者として知られるアンジェラ・デイヴィスであった。ジョージの弟ジョナサンは、兄の解放を要求するために、裁判をジャックするも、その場で射殺された。そのときジョナサンが持っていた銃がデイヴィス名義のものだったために彼女はFBIに追われ、大学の職も失い、大規模なアンジェラ解放運動が起きたという顛末については広く知られている。「アンジェラ、奴らはあなたを刑務所に入れました/アンジェラ、奴らはあなたの男を撃ち倒しました/アンジェラ、あなたは世界中に何万といる政治的囚人の一人です」(ジョン・レノン「Angela」)。
フランスで「ジョージ・ジャクソンの暗殺」というパンフレットが出される。ミシェル・フーコーが共同で設立した監獄情報グループ(GIP)からである。正確な著者は明らかとなってはいないが、フーコー、ドゥルーズ、ジャン・ジュネの三者が分担して書いたのではないかとも言われている。ジャクソンの殺害を受け、ボブ・ディランは歌った。「わたしは時に思う/この世界は一つの監獄の敷地であり/私たちの内のある者は囚人で/私たちの内のある者は看守である/主よ、主よ、奴らはジョージ・ジャクソンを切り落としました/主よ、主よ、奴らはジョージ・ジャクソンを地面に横たえたのです」(「George Jackson」)。このような洞察を詩人が得たのと同じ71年、フーコーは『刑罰の理論と制度』の、翌年には『処罰社会』の講義をおこなうだろう。ジャクソンの葬式では、ニーナ・シモンが「I wish I knew How It Would Feel To Be Free」を歌った。
70年7月28日に、弁護士のフェイ・ステンダーに宛てたジャクソンの手紙は、とりわけ緊迫した様子を帯びている。「ぼくはおびやかされていると感じています。それがわれわれの出発点です。(……)そして、それに加えて、ぼくが真っ暗闇の混乱状態にあって、自分であると同時に自分でなかった時にさえも、ぼくのその感情(しかも、ぼくはつねにおびやかされていると感じていた)にたいする反応が、ぼくの脳髄の古い部分に根ざすものだったということも、あわせて思い出してください」。おびやかされていることから、あの「エッジ」から出発すること。
「出発、脱走、それは線を引くこと」。ドゥルーズは語り出す。「逃走とは決して行動を諦めることではない。逃走ほど行動的なものはない。想像の反対だ。それはまた逃走させることでもある。必ずしも他人をではなく、何かを逃走させること。パイプを破裂させるようにある体系を逃走[=漏洩]させること」。続けて引用する。「ジョージ・ジャクソンは彼の監獄について書いている。「私は脱走するかも知れないが、逃走の間中私は武器を求める。」(……)逃走とは一本の線、何本もの線を引くこと、地図の作製だ。長い折れ曲がった逃走によってしか複数の世界を発見することはない」(『ドゥルーズの思想』)。
『アンチ・オイディプス』にも引用される、ドゥルーズが好むこのジャクソンのクォートが書かれたのは、上記フェイへの手紙の続きにおいてであった。もとの文章は以下のようである。「逃げても良いのだけれど、いつだってぼくはそんなふうで、棒切れを探すのです(I may run, but all the time I am, I’ll be looking for a stick / Il se peut que je fuie, mais tout au long de ma faite, je cherche une arme)!身を守る位置を!横たわって蹴とばされるなどということは、ついぞ考えてもみなかった!そんなのはばかげています。ぼくがそうする時は、蹴っとばす奴がくたびれるのをあてにしているのです。それより良い戦術は、相手の足をちょっとひねってやるか、できればその足を引っぱることです」。おびやかされながら、逃げながら、蹴飛ばされながら、武器を、自衛の足場を、反撃のわずかな隙を探すこと。ジャクソン=ドゥルーズによれば、これこそが革命である。
日本のヒップホップへのパースペクティブは、政治主義的に言うならば、おおむね、ブラック・パワー的なものであったと言える。それ以前に、いとうせいこうはヒップホップを「盗みの文化」だとしていた。明らかにそれを意識していた宇多丸は「“一人称”の文化」だと切り返したが、これをたどれば、たとえばリロイ・ジョーンズ『ブルース・ピープル』をひとつの影響源として挙げることができる。周知の通りジョーンズは「ブラック・アート・ムーブメント」など、ブラック・ナショナリズム的な志向を持っていた。RHYMESTERがサンプリングする「自分が自分であることを誇る」(ケーダブ)もまた、「I’m Black & I’m Proud」(JB)のようなブラック・パワー的スローガンの翻訳であった。それは他方では資本主義体制に組み込まれる可能性もある両義的なものであるとは、パンサーが指摘した通りであったが、その現代的な帰結については、ポリティカル・コレクトネスとして私たちが知るものにほかなるまい。
ヒップホップとポリティカル・コレクトネスの関係について、この文脈に即して言うならば、ブラック・パワーに依拠することと連動したオーセンティシティの導入は、むろんその両義性をも体現した。すなわち、右傾化、性差別など、主にキングギドラに集約することとなった反ポリコレ的な諸問題がある一方で、スチャダラパーの歌ったリアリティに代表されるような、冷戦以後のポスト・ポリティカルな状況に抗して、オーセンティシティは政治的なものの擁護のために不可欠であったということは、たとえば外山恒一が当時すでに鋭く指摘していた(「ドラゴン・アッシュ論」、『音楽誌が書かない「Jポップ」批評2』)。つまり、ポスト・ポリティカル状況としてのポリコレとヒップホップが軋轢を生んできたことは、故なきことではないのだ。しかしながら、パンサーの革命の足跡が示しているのは、他の人種的、性的マイノリティとの「革命的な仕方revolutionary fashion」での連携であった。ポリコレ的反動性を受け入れるよりもむしろそのような道を探すべきであり、「ヒップホップ・フェミニズム」(ジョアン・モーガン)の概念が重要なのも同じ理由においてである。
そうしたパンサー的なパースペクティブを提案するために、ブラック・パワー的な「自分が自分であることを誇る」に対して、「Don’t push me ’cause I’m close to the edge / I’m trying not to lose my head」、また「リズムと愛し合うだけのSkeezer」(Mummy-D)といったフィギュールが準備されている。これらは革命的で生成変化的なフィギュールである。宇多丸は、「“一人称”の文化」と言いつつ、しかしヒップホップには黒人的身体からの離脱の契機が存在していると主張し、また歴史的に見てもプエルトリコ系の存在などヒップホップの「混血児」性を見出だしていた。前者の論点を生成変化的なものと見てよければ、それはパンサーに触発されてドゥルーズ=ガタリが概念化したものであったし、後者のそれは、チャンが言うように、パンサーとヤング・ローズの関係から発している。日本語ラップ正当化の言説においても、パンサーは暗黙に参照されされていたと見なせるのである。
チャックDに「the rhythm, the rebel」とある――なお、同じヴァースは「Panther power on the hour from the rebel to you」と締められる。日本語ラップ批評史的に言えば、リズムを発見したのは佐藤雄一であり、ヒップホップ的革命の必要性を訴えたのは赤井浩太であった。佐藤は「〈あなた〉を詩人にするリズムが詩」だと言った。私たちは「〈あなた〉を革命的にするリズムがヒップホップ」だと言い換えるだろう。パンサーは最も抑圧された者こそが最も革命的になりうると考えた。「悪そうな奴は大体友達」とは、体制からする「悪そうな奴」に「パワー」や「プライド」を、というような意味である。人種的、民族的、性的マイノリティ、アンダークラス、ならず者……。彼ら彼女らがヒップホップの「前衛」である。パンサー的に言うならば、彼らは、少なくとも現代的な、資本主義社会の「矛盾」と過酷に直面している。「リアルであれKeep It Real」とは、おそらくそういうことなのだ。さらに、私たちはこれから、それを次のように読み替えるだろう。「Keep It Real」とは、「現実的であれ、不可能を要求せよSoyez réalistes, demandez l’impossible」(68年5月)を別言するものである、と。ヒップホップ的な革命を、あらためて要求すべきときではないのか。
『POPEYE』7月号取材記事追記/Too Green To be Clean~DOTAMAの一件について~
※この記事は、それぞれ全く別の文章である「『POPEYE』7月号取材記事追記」と「Too Green To be Clean~DOTAMAの一件について~」の二本立てである(分けた方が読みやすいのかもしれないが、端的に面倒だった)。
・『POPEYE』7月号取材記事追記
『ポパイ』2019年7月号の映画特集に私の取材記事が載っている。「なぜ『ポパイ』に、しかも映画について?」というのは依頼をもらったときに私自身が思ったことだが(「シティボーイ」などとは縁遠い人間であるし、そもそも映画について語ったこともツイッターですら多分一度もない)、せっかくなので、日本語ラップ、ヒップホップと絡めた形でよければ受けると返し、了承を得たので、取材を受ける運びとなった。
特集のテーマは「面白い映画、知らない?」というもので、各人に「どんな映画が好きですか」という質問に答えてもらう形で、私は「ラッパーが好きな映画が好き」、あるいは「ラップの曲に出てくる映画が好き」だと答えた。映画については門外漢なので語るべきか逡巡した訳だが、そのようなテーマでなら語れるだろうと判断したのである。そしてそれは、「ラッパーが好きな映画が好き」というテーマと案外整合的だとも考えることができる。というのも、ラッパーが好きな映画は必ずしも批評的な(シネフィル的な?)評価が高いものではないからだ。しかしながら、音楽についてサンプリングという技法を通してそのようなことをしたように、映画についても、従来の価値観とは異なるヒップホップ的価値観をもって見ることで、別の見方や評価が発見できるだろう……というのがまあ、私が取材を受けることを正当化するためにこしらえた理屈である。
ところで、「ラッパーが好きな映画」というテーマは少しヒネってある。それに類するものとして考えられるのは、『8マイル』や『ストレイト・アウタ・コンプトン』、『NAS タイム・イズ・イルマティック』、あるいは『サイタマノラッパー』、『トーキョー・トライブ』などのヒップホップ映画。2パックやアイス・キューブ、メソッド・マン、日本では田我流や般若、NORIKIYOなどラッパーが俳優として映画に出演している作品という括りも可能だろう。また、いわゆる「ブラック・ムービー」として、カーティス・メイフィールドのクラシックが主題歌の『スーパー・フライ』などのブラックスプロイテーション、パブリック・エナミーが関わった『ドゥ・ザ・ライト・シング』をはじめとするスパイク・リー作品、ギャングスタ・ラップと同時代の『ボーイズ'ン・ザ・フッド』や『ポケットいっぱいの涙』などのフッド・ムービー、時代を飛ばして最近ではケンドリック・ラマーと密接な『私はあなたのニグロではない』や『ブラック・パンサー』などについても語れるだろう。
しかしそうしたことは専門家に任せておくことにして(というか案外『PEPEYE』記事中にはヒップホップ関係の映画が多く取り上げられていた、また昨年杏レラト『ブラックムービー ガイド』というのも出版された)、よりライトに語れそうな「ラッパーが好きな映画」というテーマで話すことにした。そこで私は、ブライアン・デ・パルマ『スカーフェイス』、北野武『BROTHER』、ロバート・ルケティック『キューティ・ブロンド』の三作品を選んで語ったのだが、取材に際して結構いろんなことを調べたり考えたものの字数的に入りきらなかったことが多く、貧乏性かもしれないがせっかくなのでブログに残しておくにした。
ベタ過ぎると思われるだろうことは分かっていても、やはり外せなかったのは『スカーフェイス』である(たとえば最近でも『ペン+ ダークヒーローの時代。』収録の小林雅明×磯部涼の対談記事「ラッパーが体現する、ダークヒーロー像。」の中で『スカーフェイス』について、さすがによくまとまった形で言及されている)。サンプリングされた音楽が後に再評価されるということはよくあることだが、おそらく『スカーフェイス』についてはヒップホップがあったからこそ、現在にまで名作として残っているというのは間違いないのではないだろうか(公開当時、人気や評価がそれほど高くなかったとは、よく指摘されることだ)。逆に言えば、それほどまでにラッパーたちはこの作品を熱狂的に愛している、ということでもある。例えば、2003年にデフ・ジャムが作った『Scarface: Origins Of A Hip Hop Classic』というドキュメンタリーでは、ナズ、メソッド・マン、スヌープ・ドッグ、ノリエガ、ファボラスなどの錚々たるラッパーたちがいかにこの作品から影響を受け、また愛しているかをいきいきと語っている。ヒップホップ史上最もサンプリングされた曲がジェイムス・ブラウン「Funky Drummer」なら、最も参照された映画は『スカーフェイス』だろう。
周知の通り、『スカーフェイス』には「元ネタ」がある。「Kawasaki Drift」でT-PABLOWも「アル・パチーノじゃなくてアル・カポネ」と歌っていた通り、禁酒法時代を舞台に、主人公のアル・カポネの人生を描いた1932年の『暗黒街の顔役』(原題:SCARFACE)である。よく指摘されることだが、それを80年代のアメリカでトニー・モンタナが成り上がる物語に変えたことが、この作品の受容に重要な影響を与えたはずである。モンタナは、カストロ政権下のキューバからの移民で、彼が捌くのはコカインである。イタリア系でなくヒスパニック系を主人公にしたことは、アフリカン・アメリカンのラッパーたちにとって身近に感じられただろうし、また社会主義国から自由の国アメリカへ、という筋書きは、ヒップホップにも通じる成り上がりの物語をより際立てるだろう。さらに、ちょうどこの映画とほぼときを同じくして、いわゆる「クラック・ブーム」がインナーシティを襲ったわけで、そのこともラッパーたちに作品をよりリアルなものとして受け取らせただろう。一応確認しておくと、映画公開の83年は、ギャングスタ・ラップも、「Walk This Way」すらもまだ誕生していない時期である。したがって、『スカーフェイス』はおおよそ十年後にギャングスタ・ラップを発展させてゆくラッパーたちが生きていた環境に取材した作品なのであるから、ラッパーたちが熱狂的に愛しているのも当然と言えば当然で、さらにはこの映画のナラティブや造形を見ながら、彼らはギャングスタ・ラップを作り上げたのだとも言えそうである。
より具体的にヒップホップとの繋がりを見てゆこうと思うが、無数に例があるので有名どころだけを押さえておくことで満足しておこう。まずは、MCネームやグループ名にオマージュが込められているもの。おそらく最も早く、かつあからさまなのは、ゲトー・ボーイズのスカーフェイスで、日本ではSCARSがそれに当たるだろう。トニー・モンタナから取ったものとしては、G-UNITのトニー・イェイヨーや日本だと剣桃太郎がトニーを名乗ったりもしていた。それぞれ曲の内容はまったく異なるがFutureにもECDにも「トニー・モンタナ」という曲があったりもする。また、たとえば2Pac「Gangsta Party」のMVの冒頭でビギーを皮肉っている箇所は、モンタナがボスのフランクを殺すシーンのオマージュである。トニー・モンタナはそれほどのヒーローなのであって、日本語ラップでは「分かんだろモンタナ Yo what up」(般若「サイン」)や「映画で焦がれたトニー・モンタナ」(NORIKIYO「Bullshit」)、「ヤクに生きヤクに死に/トニー・モンタナ リアル物語」(SCARS「Pain Time」)といったリリックが頭に浮かぶ。少し変則的なのだと、トニーとその妻エルヴィラ・ハンコックについて言及するものとして、チャイルディッシュ・ガンビーノが「Got a big place like Scarface, treat her ass like Elvira」(「Money Baby」)と歌っていたり、「たとえばコロンビアのレックス・ソーサ/裏切り者は消えるYou know that」(SEEDA「God Bless You Kid」のSHIZOO)と最終的にモンタナの暗殺を指示することになる黒幕ソーサに言及するものもあったりと、ヴァリエーションは豊富である。また、コカインを指す「イェイヨーyayo」というスラングは、もともとヒスパニック系のものだったそうだが、この映画を機に広く知られるようになり、トニー・イェイヨーについては先に触れたが、例えばA-THUGにも「We sell weed, sell diesel/ラップじゃなくても金を稼いでる/We sell X, We sell meth, We sell yayo, get money let’s go」(「Starting 5」)というパンチラインがある。
が、最も注目すべきは、ラップ作品で頻繁に引用されたり、そのまま声ネタで使われたりする、パンチラインの数々だろう。少なくとも以下で触れる四つの名セリフはチェックしておくべききわめて有名なものである。まずは、一般的にも広く知られているだろう、ラストシーンでモンタナが言い放つ「Say hello to my little friend」。ゲトー・ボーイズ「Assassins」やG-UNIT「My Buddy」では声ネタで使われているし、エミネム「We Made You」には「And I'll invite Sarah Palin out to dinner, then / Nail her, baby, say hello to my little friend!」とある。いつの放送分だったか忘れたが、『フリースタイル・ダンジョン』でR-指定も「俺の友達に挨拶しやがれ」と引用していた記憶がある。次はおそらくヒップホップ的に最も有名なもので、フランコを殺して成り上がりのための大きな一歩を踏み出したときに、宣伝用の飛行機に映し出される「The World Is Yours」だろう。言うまでもなく、ナズのクラシックである同名曲はここから取られており、このフレーズはほぼ定型的な表現となっていると言っていいだろう。また、日本語ラップでもDABOがZEEBRAを客演に招いた同名曲がある。それに準ずるパンチラインとして「All I have in this world is my balls and my word」と「Don’t get high on your own supply」の二つが挙げられよう。前者は、モンタナのモットーと言えるもので、度胸と信頼以外の何物も持たずに成り上がる彼にピッタリのものである。またもゲトー・ボーイズが「Balls and My word」という曲を出していたり、日本語ラップではMC漢「93R feat. Mega-G」の「デンジャー危険だ黄色い信号/オレの信条はガッツと信用」というのもこのセリフの引用である(この「All I have~」のセリフは字幕訳では「俺の武器はガッツと信用」となっている。なお「デンジャー危険だ黄色い信号」というのは言うまでもなくBuddha Brand「Funky Methodist」のNIPPSのパンチラインで、例えばSD JUNKSTA「Party」でもNORIKIYOが引用している)。次のものは、The Notorious B.I.G.のクラシック「Ten Crack Commandments」の元ネタとなったことで有名だろう、「自分のブツに手を出すな」という掟である。ちなみに、ビギーのリリックでは掟の「ナンバー4」だが、映画では「レッスンナンバー2」であり、これを考えたのはフランクだが、それをモンタナに教えるのがエルヴィラであるということは物語上、重要な細部だろう。というのも、――こうした指摘がすでにあるのか知らないが――『スカーフェイス』の物語は悲劇であるということと関係するからである。モンタナは自らの性格によって身を滅ぼしたのだと考えることもできるが、少なくともヒップホップ的にはむしろ運命によってそうなったと解釈すべきである。というのも、ギャングスタ、あるいはハスリングラップでは「カルマ」という言葉が頻出するからである。だからモンタナの破滅は、「自分のブツに手を出」して冷静な判断ができなくなったからというリアリズム的な理由からではなく、「自分のブツに手を出すな」という「掟」に背いたという悲劇における説話論的な理由によってもたらされていると理解しなければならない。だからこそその掟を口にするのはヒロインのエルヴィラでなければならなかったのである。『スカーフェイス』の悲劇的な演出について付言しておけば、モンタナの死のシーンにおいて、妹との近親相姦の幻影が見えること(オイディプスを思い出すまでもなく近親相姦は悲劇的なテーマである)はその傍証となろうし、撃たれて噴水に落下するラストシーンでは宗教的な隠喩(聖水)がカタルシスをより強固に演出することになるだろう。
ちなみに同じデ・パルマ監督、アル・パチーノ主演『カリートの道』も(とりわけ日本の)ラッパー人気の高い作品で、こちらはストリートから抜け出そうとして失敗するという物語である。最も有名なのはラストシーンで看板に映る「Escape to the paradise」という言葉で(『スカーフェイス』における「The World Is Yours」と似た趣向である)、ESSENTIALやゆるふわギャングに同名の曲があったり、BAY4Kが「Escape to the paradiseストレスたまらない生活ものにしたいfor life」(「Dogg Life」)と歌っていたりする。BAY4Kに触れたが、SCARSはこの作品への言及も多く、「Love Life」はこの映画のワンシーンから始まるし、SEEDA「Homeboy Dopeboy」には「カリートの道のショーン・ペン」というアリュージョンもある。また、CHICO CARLITOのファーストアルバムは『Carlito’s Way』というタイトルなので、MCネームもこの映画から取られたのかもしれない。
次に取り上げたのは、北野武『BROTHER』である。アメリカのギャング映画である『スカーフェイス』はアメリカのラッパーたちに愛されたが、日本のラッパーが独自に参照するカルチャーも当然ある。BUDDHA BRANDのクラシックに『御用牙』が出てきたり、Tha Blue Herb「SHOCK-SHINEの乱」の冒頭には『座頭市』、田我流「Straight Outta 138」の冒頭には『仁義なき戦い 広島死闘篇』のセリフがサンプリングされていたりする。また般若はそうしたネームドロップがきわめて多いラッパーと言え、小川英二(長渕剛主演のドラマ『とんぼ』の主人公)や菅原文太、松田優作といったスターに触れており、彼らは日本のラッパーにとって、アメリカのラッパーにとってのアル・パチーノやロバート・デニーロのような位置づけであると言えるだろう。
そうした例は多々あれど、『スカーフェイス』とヒップホップの関係がある種そうだったように、日本語ラップとの同時代性を体現していた映画として『BROTHER』を選んだ。周知の通り、この映画から生まれたクラシックがZEEBRA「Neva Enuff feat. AKTION」であり、AKTION=真木蔵人は『BROTHER』に出演しており、MVには映画の映像も差し込まれている。
この映画がZEEBRAに大きな刺激を与えることになったであろう要因は簡単に推測できる。この映画が発表された2000年代前半のZEEBRAは、ヒップホップのローカライズの方向性を定め、強力に推し進めようとしていた。その特徴は主に二つであると言えよう。磯部が指摘しているように、ひとつは「Grateful Days」や「Mr. Dynamite」に顕著なように、「ギャングスタ」「サグ」などの翻訳としての「ヤンキー」であり、もうひとつはアフロ・セントリズムの翻訳(あるいは致命的な誤訳)としての反米保守的な政治スタンスである。こうした試みにもかかわらず、当時の日本語ラップはいまだ逆風のなかにあったと言っていい。そのとき『BROTHER』は、日本語ラップ(あるいは少なくともZEEBRA)と同じ方向を目指していると解釈できたが、しかし北野武の方はすでに世界的な評価を得ていたのであり、そのことがおそらくZEEBRAにとって大きな励みになったのではないか。
『BROTHER』は、日本のオールドスクールなヤクザである山本(北野武)がアメリカに渡り、子分にした黒人のデニーと奇妙な友情を結びながら、成り上がってゆく物語である。「エイジアティック・ブラックマン」などといった言葉に感激していたZEEBRAである、この映画を通して裏側からアフロ=アジア的想像力を透かし見ていたのではないだろうか。実際、「ファッキン・ジャップぐらい分かるよバカヤロウ」のパンチラインのように、この映画では日本人への人種差別的な発言に対して暴力で報いるというシーンが複数描かれている。むろんそれが「Neva Enuff」において「人種差別にカンカンだ/これは現実取り戻す反乱だ」「日本人舐めたのが間違い/マジダリい雑魚らどもは弾きゃいい/確かに負けたぜ戦争じゃ/だけどディスらせねえ今の現状は」というようなナショナリズム的なディスクールに回収され尽くしてしまってもいるのでもあったという留保は付けておかねばなるまいが(これは特に紙面に反映すべきだができなかった点である)。ただし『BROTHER』と日本語ラップの間に異なる点があるとすれば、山本が「ファッキン・ジャップくらい」しか英語を解しない(物語が進むにつれて徐々に喋れるようになっていくが)のと反対に、日本のラッパーたちは「英語」を徹底的に理解することから始めたということだろう――「俺らお前の英語分かんだぜHaha」。そのうえで、山本のようにデニーと友情を結びながらアメリカで「シマ」「ナワバリ」を奪っていくこと。これが当時すでに日本語ラップに組み込まれたプログラムであったはずで、現在の日本語ラップもその延長線上にあることは言うまでもない。そのような点からして、『BROTHER』はきわめて日本語ラップ的な映画だと言えようし、またアジアのヒップホップが躍進しはじめた現代の状況と照らして振り返ることも有意義だろう。
最後の作品『キューティ・ブロンド』はピンポイントな理由で選んだのだが、ギャング/ヤクザ映画だけではないということを示そうという配慮でもあり、しかしまたこの映画とこれに言及している曲の結びつきを発見していたく感動してしまったという率直な理由からでもある。ELLE TERESA「YMIL」がその曲なのだが、おそらく一聴ではその言及を見落としてしまうだろう。というのも、その言及というのはフックの「I'm rich motherfuckin’ Legally Blonde」の一節で、邦題ではなく原題Legally Blondeの方で言っているからである。そこで思いがけず、実はこの映画がELLE TERESAにとってきわめて重要なものであるのではないかと気づいた。というのも、主人公の名前からしてエル・ウッズなのだ。つまり、ELLE TERESAが実践している「ヒップホップ・フェミニズム」(ジョアン・モーガン)のロールモデルとしての『キューティ・ブロンド』。その映画作品としての評価はさておき、私にとってはそのことだけで重要な作品なのだ。
『キューティ・ブロンド』は、ハーバードの法学部に入り弁護士を目指しているボンボンの彼氏に知的でないからと振られたエル・ウッズが、彼を見返すために同じ進路を選ぶところから始まる。遊びにしか興味のなかったエルが一念発起し、ハーバードに受かったまではよかったが、その派手なファッションと言動で周囲から白い目で見られ、イジメやイビリを受ける。そこで再び弁護士になるための勉強に身を入れると成績は上がっていき、インターン生に選ばれるものの、エルをインターンに選んだ教授がハラスメント的に言い寄り、そのショックで彼女は一度夢を諦めようとする。周囲の助けを借り、ショックを乗り越え、教授を出し抜き、担当していた裁判でも勝利し、主席に選ばれて卒業、ヨリを戻そうとする元カレを軽やかに振ってハッピー・エンド、という物語である。
ELLE TERESAは、自律的な女性であれというエンパワメントを歌うのではなく(あっこゴリラはこの方向を推し進めている)、そうあろうとする際のリアルを描いている。そのときのキーワードがアルバムタイトル(『Kawaii Bubbly Lovely』)にもある「kawaii」である。かつてイアン・コンドリーは、女性ラッパーに可愛くあることを強要する力学を「キューティスモ」と呼んだが、エルテレの「kawaii」がそうしたものと無縁の場所にあることは疑いない。たとえばインタビューで「エル的カワイイとは?」という質問に「服とかメイクとかで可愛いを作る、みたいな」と答えているように、彼女はkawaiiを構築主義的に捉えているからだ(https://www.youtube.com/watch?v=oy0qcQAJQPU)。このとき、『キューティ・ブロンド』のファッションや世界観もまた「エル的カワイイ」ものとして捉えることができるだろう。
エルテレ作品において、こうした「kawaii」に男たちがハラスメント的に接近してくることになるのだが、それに対して、「キモい男」というきわめてエルテレ的な語彙が向けられることになる。「Check dick, main chick/俺のになってくれよmain chick/ありえないわ帰れセキュリティ/キモい男とかお断り」(「Kawaii Bubbly Lovely」)。こうした光景は『Kawaii』で繰り返し描かれるが、最も優れているのはそれが「My Shoes」の中に置かれたときだろう。「踏まないでよmy shoes」というリフレインは、まさしくヒップホップ・フェミニズム的である。というのも、それはハラスメントへの抵抗であると同時に、ヒップホップマナーの女性側からの捉え返しでもあるからだ。Run-DMC「My Adidas」や「毎日磨くスニーカーとスキル」(Twigy)を引くまでもなく、靴に対する愛着はきわめてオールドスクールなヒップホップマナー的仕草でもあるからで、たとえばDABOも「おい少年気をつけな/俺のNike踏んだら即極刑」(Nitro Microphone Underground「Mischief」)とよく似たことを歌っていたことも思い出される。しかしそのうえで、真にエル・ウッズ/テレサ的なのはこうした敵対的な構図――「強い女の子」/「キモい男」――を一歩乗り越えるポジティブさを有していることだろう。それが以下の一節である。
汚したら殺したいもん Drunkな男はGo home
私は強い女の子 キモい男とかGo home
これはマジなシリアストーク クラブにお洒落は必要
近づきすぎちょっとHold on でも君のスニーカーもGood
クラブでのハラスメントというある種タイムリーなテーマが歌われていることからも重要な箇所だが(先日、クラブ内にアンチハラスメントのステートメントの掲示を求める署名運動が始まった)、むしろ重要なのは、ハラスメントを振り切る際に「でも君のスニーカーもGood」という言葉を残す絶妙の呼吸だろう。
自律的であろうとすると孤独になってしまうというジレンマを歌った「YMIL」のフックにある次の一節もそうした複雑さを捉えたものである。「Big D will get me horny / But you ain’t give me the gold that I need / Imma be no slut that you thinking」。「Kawaii」トラックに平易な英語でのラップが乗せられる一曲のなかで唐突に、「デカいアソコBig D」が「ムラムラさせるget me horny」と率直な性的欲望が歌われハッとさせられるが(なお、この曲の日本語ヴァージョンも発表されており、そこでは同箇所は「デカいアソコもイイけど」と歌われている)、しかし彼女は「slut」になるつもりはない。そうではなくて「my own Queen E」でありたいのだ。そのときにこそ『キューティ・ブロンド』が言及される。「Imma make a banker working like a hustler / I’m rich motherfuckin’ Legally Blonde」。エル・ウッズのように、可愛く強くリッチであること。そして曲の最後の一節では、自律的に生きることと孤独というジレンマが素朴な韻で対置され、その葛藤ごと「I’m a bitch」の一語のもとで引き受ける決意が歌われている。「Heavy routin I’m one and only / So I’m a bitch you know Y I’m lonely」。
というのでこの文章は終わっていいのだが、『POPEYE』の取材後に発表された一曲とある映画の結びつきに気づき、それがなかなか面白かったので少し追加で書いておこう。RYKEY × BADSAIKUSH 「GROW UP MIND feat.MC 漢」である。新旧交えた日本を代表するストーナー/ハスリングラッパーによる傑作だったこの曲と映画の繋がりというのは、冒頭の声ネタである。「Black racket money stays in Harlem. No more mafia, police, mayors, senators, judges or presidents. It’s our money up here, let’s keep it」。訳してみれば、「黒い不法な金がハーレムに眠ってる。マフィアも、警察も、市長も、議員も、裁判官も、大統領ももう用無しだ。俺らの金がすぐそこにあるんだ、獲っちまおうぜ」とでもなろうか。曲にピッタリの気の利いたサンプリングだが、これの元ネタはラルフ・バクシ『ストリートファイト』(邦題で記しておく、というのも原題が差別語だからで、実際公開当時から議論を呼んだ)という作品である(ちなみに、日本語ラップ最高のMV監督の一人Ghetto Hollywoodもこの作品からの影響を語っているhttps://news.joysound.com/article.php?id=2019-02-25-1551095700-00321118)。この映画は映画で様々に論じ甲斐のある作品だろうがそれは措いて、このサンプリングにはもう一つ細かい芸が仕込まれていることに気づいた。『ストリートファイト』は実写とアニメが混じった興味深い構成で、アニメ部分は(下画像、左から順に)Brother Rabbit、Brother Bear、Preacher Foxの三人組の物語である。もう明らかだろう。特にBrother Bear=漢が分かりやすいが、この曲の三人組にはおそらく『ストリートファイト』の三人組のイメージが重ねられているのである。まあだから何だと言われたらそれまでだが、ちょうど次の文章の題辞にこの曲のパンチラインを引用してもいるので、ちょうどいいクッションにはなるだろう。
・Too Green To be Clean~DOTAMAの一件について~
ポリスとかメディアには今でもFuck/社会不適合者ハスラーにピース(RYKEY × BADSAIKUSH「GROW UP MIND feat.MC 漢」)
今年4月にDOTAMAが警視庁の「違法大麻」の「撲滅」キャンペーン『I'm CLEAN なくす やめる とおざける』に参加したことが、大きな議論を呼び起こした。言うまでもなく恥知らずな振る舞いであり、徹底的に糾弾されるべきだと思うし、実際そうされていた。それで満足しておいてもいいかとは思ったが、いささか不満が残っていないでもないため、この件について書いておくことにした。
一応先に言っておくと、私は大麻を合法化すべきだと考えるし、もっと言えばすべての薬物の使用を非犯罪化をすべきだと思う。ハードドラッグについては措くとして、大麻合法化に賛成の理由は、端的に違法である理由がないからである。大麻に限ればこれで十分で、不当に自由を制限しているのだから、むしろお前らこそ違法にしている理由を我々市民に説明すべきだと言いたい(むろん厚労省や警視庁が嘘八百を吹聴しまわってはいるが、あんなものが理由になどなりはしないことなど誰でも知っている)。このように考えてはいるが、私は別に大麻の専門家でも、法律の専門家でもないし、合法化のための活動家でもない。ただの日本語ラップリスナーである。だから私のここでの主張は、日本語ラップリスナーの立場から行われるものである。
DOTAMA擁護の言説のどれ一つにも説得されなかった一方、批判の言説のほぼすべてに同意した私は、多くのラッパーが真っ当な声を上げていたのであらためて日本語ラップシーンの先進性に嘆息した……というのは半分冗談だとして、そのときに思ったのが、これらの日本語ラップシーンの声をより明確に方向づけるべきではないかということだった。DOTAMA個人への軽蔑という風に矮小化することなく(むろん軽蔑してもいいし、少なくとも私はそうし続けるだろうが)、あるいは「ファックバビロン」的な粗雑さのまま放っておくことなく(むろんそう言ってもいいし言うべきだが、ここではむしろその「ファックバビロン」の射程をできる限り正確に捉えること)、である。
合法化の議論の際にしばしばアルコールや煙草との比較が示される。大麻取締法と禁酒法を重ねるのもよく目にする。同じドラッグなのだから当然だろうが、日本語ラップの立場からすれば、大麻取締法の横に置くべきなのはむしろ風営法なのではないだろうか(不思議なことに、こういう語り口を私は見かけなかった)。そうすることで問題が見えやすくなるように思われる。実際、かつてD.Oは鮮やかなパフォーマンスでそのことを示して見せたのだった(念のため補足しておけば、最後の二行でPresident BPM/YOU THE ROCK☆のクラシック「Hoo!Ei!Ho!」の一節を大麻取締法に置き換えて歌っている)。
憐れにすら思える石頭すっこんでなクソバビロンが
散々ヤキ入れられて育てられてきたから怒鳴られるだけじゃ俺はめくれません
犬のお巡りさん困ってしまってワンワンワワーン
あの取締法は単なる嫌がらせに決まってるんだから
本気で怒っちゃ損する所持だけしなけりゃたかが草ただの草
しかしながら今のところ二つの法律の間には大きな相違点もある。周知の通り、2016年には改正された風営法が施行されたからだ。その改正に大きな役割を果たしたのはクラブとクラブカルチャーを守る会(CCCC)であり、その会長はほかならぬZEEBRAであった。その背景には、ラッパーたちがクラブでの光景や風営法批判を歌ってきた歴史があったはずである。とりわけさんピン世代においてクラブは「現場」(宇多丸)とも呼び表わされ重要な意味を持っていた(この点に注目してフィールド・ワークを行ったのがイアン・コンドリー『日本のヒップホップ』であった)のであり、「スカスカのクラブにて組むスクラム」「夜中のクラブの暗がりから発生」などクラブについてのパンチラインも枚挙に暇がない。むろんそれ以降も同様である。「風営法?うっせーよ/夜遊びが何の罪になる」(般若「国際Ver.」, 2005)、「たとえば何で放置してんだあの風営法改正/俺たちの自由な夜の権利を返せ/なんて声さえ出ないなんて情けねえ/パーティーピーポー怠けてないで叫べ」(Mr.Beats「大人の責任 feat. CRAZY KEN, 宇多丸, K ダブシャイン」, 2008)、そして風営法改正を求める運動の中で生まれたものとしておそらく最も有名な「HooでもEiでもHoでもいいからNoと思うなら叫んでくれ」(SHINGO☆西成「大阪UP」, 2012)。
こうしたことは、大麻取締法についての場合も全く同様のことが言えるだろう*1。おそらくマリファナについてこれほど頻繁に取り扱う音楽はレゲエかヒップホップくらいしかないだろうし、その点において風営法改正のときと同じく日本語ラップは社会的に重要な役割を果たしうるし、すでに果たしているとも言える(もちろん、実際の風営法改正運動にラップのリリックがどれほど実際的な効果を持ったかは分からないし、むしろ地道な活動の積み重ねの成果であったことは覚えておかねばならないが)。だがそれよりも注意しておきたいのは、風営法改正反対の根拠の一つとしてよく言われていたのが、クラブが麻薬の温床だという偏見であったことである。これが私が風営法と大麻取締法を並べて考えるべきだと言う直接的な理由である。
DOTAMAへの批判は、第一に反ヒップホップ的振る舞いであること(スニッチ、セルアウト等々)、次に国家権力に加担したこと(バビロン、カウンターカルチャー等々)というように要約されている。しかしながらそこに欠けているのは、市民社会もまたラッパーたち及び彼ら彼女らがレペゼンしているところの人びとを排除しているという視点である。確かにDOTAMAがそのケツを舐めたところの警察は国家権力ではあり、ラッパーたちはつねに警察を批判してきた。アメリカにおいて、ヒップホップとポリス・ブルータリティが密接である歴史は今さら復習するまでもないだろうし、日本のラッパーたちも不当な「お触り職質」「麻薬チェックワン・ツー」(MC漢)を批判してきたこともこのうえあらためて強調しておくまでもない。しかし、今さらマルクスを引くまでもなく、警察は市民社会の安全を守るための権力であり、だからその中における異物を排除し抑圧しようとするものである。「ファックバビロン」に含まれるこうした共犯的な排除への批判を見逃し、単なる反体制的なスタンスの誇示に矮小化することこそが警戒されなければならない。同様のことはクラブについても言える。風営法改正への壁として、騒音やゴミの問題が持ち出されたではないか、警察はその要請にしたがってクラブを検挙したのでもあるのだ。
風営法問題に関して千葉雅也は「「享楽」を守るために、法のクリエイティブな誤読を」(磯部涼編著『踊ってはいけない国、日本』)で次のように指摘していた。3・11以後の社会において国民が「安心できる生活」を強く求めて反原発デモが盛り上がった一方、それは「「不道徳性」への反発」、「標準的でないマイナーな生への不寛容」にも容易につながりうるものであり、「公権力による文化の「浄化」」はそうした気分を背景に行われているのではないか、と。こうした力学が今回のキャンペーンにもはたらいていることは自明である。すなわち、「I’’m CLEAN」なるグロテスクな標語である。権力は「Are you clean?」と問うことで分断を持ち込み、監視、管理を強化しようとする。「Clean」を自認する(善良な?)市民たちはそれを受け入れることによって、「I’m Clean」であることを証明しようとし、さらにその自意識を慰めるだろう――しかし言うまでもなくそれは最終的には国家を利することにのみ終始することに、彼らは気づくことはない。
(補助線と余談。ジャック・デリダは『ならず者たち』において、「ならず者」と民主主義の深く密接な関係を指摘し、そのとき民主主義がその自己免疫性によってそれ自体崩壊しかねないというアポリアを論じていた。ストリートのラッパーたちがときに「ならず者」――なお、それは自称されるものではなく「保守的なブルジョワから、道徳的ないし法的な秩序の代表者」からの他称であり「つねに二人称か三人称である」――であることは、次の記述を照らしても明らかである。「ならず者と狡猾漢は街路に混乱を持ち込む。この者たちは指し示され、非難され、裁かれ、断罪され、指さされる。現動的ないし潜勢的な非行者として、予知されている被告として。そして、この者たちは執拗に追い回される、文明化した市民から、国家あるいは市民社会から、善良な社会から、その警察から、ときには国際法から、そして、その武装せる警察から」。ラッパーたちの社会的、政治的地位を見極めるためには、こうした視点が不可欠の前提となろう。「ならず者」を単なる排除の対象とすることが許されないのは当然として、安易な神秘化を避けながら、その条件や限界を問うこと(デリダはバタイユの「至高性」、ベンヤミンの「大犯罪者たち」との近さを指摘している)。だから重要なのは、むしろラッパーと「ならず者」の差異――「俺は輩とは違うラッパーだクソ野郎」――、あるいはラッパーが引き出す「ならず者」の可能性の中心であろう。ラッパーたちがストリートのしがらみを抜けて音楽で生きてゆくなどと言うときに見出されるような場は、「ならず者支配」の論理で動くところの「裏社会」でもなければ、むろん市民社会でもないだろうからだ。そこで、次のようなスケッチを残しておこう。「レペゼン」のとはなにか。それは、政治的リプレゼンテーションにとって代補的な地位を占めるものではないか。ナズはこう歌っていた。「俺を代表してくれる大統領を探してる(何を抜かしてるんだ?)I'm out for presidents to represent me(Say what?)」(「The World Is Yours」)*2。ケンドリック・ラマーもまた選挙は二次的なものに過ぎないと言っていた。そのとき、2パックが彼に次のようなことを教えたことを思い出そう。「それはスピリットだからさ、俺たちは本当はラップしているのでさえない。俺たちはただデッド・ホーミーにストーリーを語ってもらってるだけなんだBecause it's spirits, we ain’t even really rappin’ / We just letting our dead homies tell stories for us」(「Mortal Man」)。したがって、「レペゼン」とは政治的リプレゼンテーションの外部に追いやられたものを、「スピリット」あるいはまさしく幽霊として回帰させる方法なのだ。そしてそのことによってたとえば彼らは「哀悼可能性」(バトラー)を奪い返そうとする――「To my man Ill Will / God bless your life」。つまりは「Represent, Represent」、そして「I reminisce, I reminisce」……。以上のことから「レペゼン」と記されるものは、西洋近代的リプレゼンテーションを「シグニファイング」(後述)したものであると言えよう。そこからヒップホップと民主主義という問いが引き出されうるのではないか。)
国家と市民社会からの排除に対するラッパーたちの抵抗の基本的な図式はどのようなものであろうか。マリファナに関する無数のスラングが存在していることから明らかなように、それは「シグニファイング」(ヘンリー・ ルイス・ゲイツ・ジュニア)と密接に関係している。ラップにも引き継がれているところのその技法は、ある種ラングのハッキングと呼べるようなものだが、ヒップホップ(少なくともギャングスタラップ、ハスリングラップ)との関係においてそれはむしろ、言語の密売と呼び表してもいいかもしれない。言語と商品の問題がアナロジーとして考えられる(柄谷行人)とすれば、シグニファイングも違法薬物と同様に正規の交換体系の中に裏道を作り出すからだ。隠語とはまさしく「栄養ドリンクのビン中身非売品」(MC漢&DJ琥珀「光と影の街」)のようなものにほかならないのだ。実際ラッパーたちはしばしば、自らの作品をドラッグの比喩で語る。パケの代わりにCDを捌き、純粋なヒップホップ作品はさながら高純度のドラッグのようにぶっ飛ぶ等々。そして、たとえば「Smoke the shit, I love THC/笑う人間に届けひっそり」(Nitro Microphone Underground「Nitro Microphone Underground」)というように、マリファナもスラングも「ひっそり」と配達(デリバー)されるのである。このようにして言語によって境界線が引かれること――スラングを理解し「笑う」者/それを理解できない間抜けな者等々――、それこそシグニファイングの持つ政治性の一つであった。NORIKIYOはそれを見事に要約して、次のように歌っている。「意味なんてねえのさこっちの話/意味なんてねえのさこっちの話」(「In Da Hood」)。部外者にとってそれらの言葉は、あるいは彼らの享楽は、何の意味も持たないのだから口を出すな。ヒップホップがカウンターカルチャーであるとすれば、その最も基本的な形はこのような領土の画定なのだと言えよう。さらにNIPPSはこうしたシグニファイングの機制をまさしくマリファナのイメージと重ねて歌ってもいる。「読解不可能スラングで喋る/うるせえ奴らを煙に巻け」(漢 a.k.a. GAMI, RYKEY, DOGMA, MEGA-G, NIPPS「COVER UP」)。
したがって、マリファナについての議論は、こうしたヒップホップの基礎的な政治性についての認識を前提にしたうえで、かつきわめて重要な問いをはらみうるものとして、なされなければならないはずである。そうでなければ結局は「バビロン」と共犯的になるほかない市民主義へとヒップホップを包摂しようとすることにしかなるまい*3。それに抗してラッパーたちが行なったことは、次のように要約しうるだろう。すなわち、強要される「クリーン」を拒否して「グリーン」を選ぶこと――あるいは「I’m CLEAN」を「I’m GREEN」へと読み/書き換えること(シグニファイング)。これこそが今回の騒動の焦点を形作っていたところのものではないだろうか。
*1:日本語ラップにおいてマリファナへの言及が増えるのは、MICROPHONE PAGER『Don’t Turn Off Your Light』をきっかけにしてのことで、それ以後マリファナへの言及は止むことがない。本来日本のストーナーラップの歴史を振り返る必要があるかもしれないが、ここではさしあたり、重要と思われる楽曲あるいはアルバムを列挙するにとどめておく。MICROPHONE PAGER「夜行列車」、YOU THE ROCK☆「フクロウ(夜間飛行)」、BUDDHA BRAND「ブッダの休日」、Audio Active「スクリュードライマー feat. BOSS THE MC」、NITRO MICROPHONE UNDERGROUND「Bambu」、餓鬼レンジャー「火ノ粉ヲ散ラス昇竜」、韻踏合組合「GREEN車」、妄走族「大麻合掌」「ブリブリテーマソング」、OZROSAURUS「AREA AREA マリファナリミックス」(非音源化)、THINK TANK『BLACK SMOKER』、MS CRU『帝都崩壊』ほか、SEEDA「Sai Bai Man feat. OKI」「Purple Sky」、SCARS「We accept」、Swanky Swipe「Green Feat. BB the KO」、BES「JOINT feat. メシアTheフライ」、BRON-K「ROMANTIK CITY」、TAK THE CODONA「ポパイ feat. Killer Bong」、S.L.A.C.K.「Dream In Marijuana」、JUSWANNA「Ten Budz Commendments」、KOHH「Drugs」、Goku Green『HIGH SCHOOL』ほか、Fla$hBackS「g3-Gin Green Global」、MEGA-G「HIGH BRAND feat.DOGMA」、The タイマンチーズ「Ganjah Ganjah」、BAD HOP「Chain Gang」、ゆるふわギャング&Ryan Hemsworth『CIRCUS CIRCUS』ほか、舐達麻『NorthernBlue 1.0.4.』、RYKEY × BADSAIKUSH「GROW UP MIND feat.MC漢」、OZworld「Peter Son feat. Maria & yvyv」、ジャパニーズマゲニーズ「REAL STONER feat.PERSIA & VIGORMAN」
*2:なお田崎英明は「Nas タイム・イズ・イルマティック : ストリートのサヴァイヴァル=死後の生について」(『現代思想』2018年3月号)において、ヒップホップにおける「レペゼン」の多義性に驚きながら、その死者との密接な関係を指摘していた。
*3:なお、ポリコレとヒップホップの関係もまたこうした点から考えられなければならないだろう。その摩擦が最も際立つのがおそらく性差別に関する問題においてである。言うまでもなく、マリファナやクラブの場合と違って明確にマイノリティの抑圧に加担しているためであり、それが迫る「民主化」(!)を否定することは難しいためである。しかしむしろそのためにこそ、ヒップホップは独自の、内在的で自発的な方法でそれを改善することが求められていると言えよう。さらに一点付しておけばしかし、ラッパーたちによるマリファナの表象について批判を加えることは可能であろう。つまり、マリファナを歌うのが男性ばかりである、と。実際マリファナを女性の比喩(メリー・ジェーン等)で歌うことは一般化している。しかしながらこれは、そこに含まれる性差別的な視線を批判すべきだとしても恋愛やセックスについて歌うことをやめるべきではないように、マリファナについて歌うこと自体をやめるべきだということにはなるまい。したがって、女性ラッパーが性を歌うことで多様化が進んでいるように、女性ラッパーもマリファナを歌うことが望まれる、ということになろうか。R&Bなので多少ズレるが、辰巳JUNK「マリファナ・セックス・暴力ーー3つのタブーのアイコンとして常に批判され続けてきたリアーナは何故21世紀を代表するポップスターになったのか?」(https://www.fuze.dj/2018/07/rihanna-icon.html)の記事ではRihannaがそれを行ったことが解説されている。その点、非常にしばしばマリファナに言及しているゆるふわギャングのNENEはきわめて重要なストーナーだと位置付けることができるだろう。
ニッポンのポリティカルラップ
I'm out for presidents to represent me (Say what?)
あるときふと、日本のポリティカルラップについてどれほどのことが論じられてきただろうかと、疑問が浮かんだ。もちろんその政治性一般についてならば、多くのことが言われている。というかそれを避けて語られることなどほぼないといっていいくらいだ。ただそうではなくて、直接的なポリティカルラップに限り、どんなラッパーがどんな政治的主張を歌ってきたのかという、ある種一番ベタなことは実は行われてこなかったのではないかと思い至った。そこで、まだまだ抜けは多いだろうが拾える範囲で、日本のポリティカルラップの歴史と言うと大袈裟だが、概略のようなものを書いてみることにした。その意図はいくつかあるが、一つだけ言っておけば、安倍批判の歌が出たら拙速かつ一時的に騒いでみせるだけの末期的な状況から抜け出るために、少なくともまずはこれまで私たちがどれだけラッパーたちの声から耳を塞いできたのかだけでも自覚すべきだ、ということになろうか。
最初からマニアックな話で始まってしまうが、まずはDJ K.U.D.Oのユニットで、桑原茂一がプロデュースしたThe Hardcore Boys「俺ら東京さ行ぐだ(ほうら いわんこっちゃねえ MIX)」(1985)に触れておかねばなるまい。発禁となった激レア盤として知られており、磯部涼は「もう一度、ハードコア・ボーイズから聴け!」(『ラップは何を映しているのか』)と言うほど重視している。幸いなことにネットを探せば聞けるので、いとうせいこうのラップパートを引く。「テレビもゲイ ラジオもゲイ/葉っぱもねえべハシシもねえべ/コークなんかまったくねえ おまわりヤクザとぐーるぐる/エイズもそれほど流行ってねえべ/角さんと中曽根と数珠を握って空拝む/核もねえべ戦もねえべ」といった感じで、厳密にポリティカルラップと呼べるかは微妙かもしれないが、後にこの曲のイズムは日本語ラップ史上最高のポリティカルラップに引き継がれもするので、紹介しないわけにはいかない。なおこの曲については、電子雑誌『エリス』(パスワード入力やらがややこしいが、ネットで無料で読める)での磯部の連載「ニッポンのラップ」の第6および9号分を参照のこと。いとうについて加えておけば、ヒップホップとしては括れないかもしれないが、湾岸戦争時の文学者声明や、「ミャンマー軍事政権に抗議するポエトリー・リーディング」などがある。
次に重要なのはもちろんPRESIDENT BPM(=近田春夫)である。「MASSCOMMUNICATION BREAKDOWN」(1986)や「Hoo!Ei!Ho!」(1987)というクラシックはどちらも社会的な問題を取り扱っており、日本語ラップの歴史の最初から、ポリティカルラップあるいは少なくともコンシャスラップは存在したのだと言える。この二つの曲についてはもはや説明はいらないと思うが、実は私としてはそれよりも彼の「Egoist」(1987)の方が重要な曲だと考えている。「なんてエゴイストなんだ俺は」と自虐的に繰り返しながら、「よくなるわけなんかないじゃんさ/どんどん広がってっちゃう貧富の差/たった十年後にはスラムに老人ホーム」「ガスも電気も付かない母子家庭」など、格差について歌っている曲である。これが優れていると思うのは、当時の日本のヒップホップの限界を自覚しているからである。裕福な日本でヒップホップが~式の問題をおそらく自覚して、「なんてエゴイストなんだ俺は」と開き直りながら、しかし「Egoist」なりにコンシャスラップを行なっているわけだ。さらに、彼が予言しているように、日本は実際に格差社会になるわけで、それによってMSC、ANARCHYやSHINGO☆西成、いまならBAD HOPなどが出てくるという日本語ラップの歴史を思い合わせば、やはりこの曲はいまなお新鮮さを失わないクラシックである。
次に触れるべきはECDの反原発ソング「Pico Curie」(1990)なのだろうが、あまり言うこともない。彼自身この曲はサブカル的な意識でやっただけくらいに言っていたし、広瀬隆などの影響を受けたものであろう、ということだけ言っておけばいいだろう。他に例えば差別問題について歌った「レイシスト」(1993)や、援助交際をテーマにした「ECDのロンリーガール」(1997)での「道の敷石ケツっぺた付けたまま立ち上がれ/マジな話早く立ち上がれ/これちょっとシリアスだけど立ち上がれ」「信号無視もできないアリンコにされるとさお嬢さん」といったパンチラインなどもあるが、やはり本格的に政治化することになるのはゼロ年代に入ってからなので、そのときに再び触れることにする。
90年代は周知の通りさんピン、日本語ラップ派と、LB、Jラップ派が対立していた時代である。両者はポリティカルラップに対するスタンスにおいても対立していたと言っていいだろう。つまり、前者が本場アメリカのような政治や社会と結びついたヒップホップを輸入しようとしたのに対して、後者は80年代サブカルの流れを受けてベタな政治性を避けたということである。『ラップは何を映しているのか』でも指摘されていた通り、ギドラは環境問題が主題の「星の死阻止」(1995)や、反核、反戦ソング「地獄絵図」(1996)など「ベタ」にポリティカルラップをやっていたのに対して、スチャは「クラッカーMC’s」(1993)で「社会に反撃俺は歌うテロリスト」と言いつつ、ヴァースで夏は暑いなどと歌って、ポリティカルラップをバカにしていた(つまりポリティカルラップは夏は暑い程度のことしか歌ってない、という皮肉)。とはいえ、90年代にはポリティカルラップと呼べるものはあまりなく、むしろポリティカルラップが増える2000年代を方向づけたことが重要だろう。つまり、日本語ラップ派がサブカル的「お笑いくさいイメージ」(マイクロフォンペイジャー)に勝利し、日本のヒップヒップ界のヘゲモニーを握ったということである。これが政治的な問題として浮上したのが、Dragon Ash「Grateful Days」(1999)のヒットによってである。この曲は「DA.YO.NE.」「ブギーバック」以来の日本語ラップヒットだったが、前二曲とは違って「お笑いくさいイメージ」が一切ないものであった。なぜこれが政治的な問題となるかと言えば、90年代は小林よしのりが台頭してきていたように、右傾化が問題視され始めていた時期であり、この曲には確かにそうした時代の空気が反映されていたからである。西田健作による『朝日新聞』記事「リスペクト ラップで語る空虚な倫理」(1999)が言っていることだが、「父から得た揺るぎない誇り 母がくれた大きないたわり」が封建主義的で、「日出ずる国に僕ら生まれ育ち」が愛国主義的である、というように(いずれもKJのヴァース)。むろんこの記事はクソだが、KJの体現していた政治性が陳腐であることもまた事実で、実際当時酒井隆史や外山恒一などもドラゴン・アッシュを批判している(ちなみに外山のアッシュ批判はそれが右傾化だからというものではなく、一線を画している。ここでは詳しく触れないが、『音楽誌が書かない「Jポップ」批評2』に収録されているそれは、短いながらきわめて鋭く、日本語ラップ批評の重要文献の一つである)。まあ後にKJは逆にヒップホップ村から追放されてしまうわけでもあるが、それはまた別の話である。
そしてゼロ年代前半になると、確かに日本語ラップの一部は明確に右傾化していった(もちろん当時は日本全体が右傾化していると叫ばれていた)。その右傾化の代表が再結成後のキングギドラである。日本語ラップでは珍しく外野の批評家も多く言及していることなのでここでは細かいところは省くが、Kダブシャイン「なぜか暴かれたくなる終戦記念日」(「狂気の桜」、2002)、ZEEBRA「たしかに負けたぜ戦争じゃ/だけどディスらせねえ今の現状は」(「Neva Enuff」、2001)などの反米保守的なラインは印象的だろう。そしてキングギドラの二枚目『最終兵器』(2002)はこの時期の彼らのスタンスを端的に示しているアルバムであり、右翼を描いた映画『凶器の桜』のテーマ「ジェネレーションネクスト」、拉致問題を取り上げた「真実の爆弾」などで保守的なメッセージが歌われている。他に同時多発テロについて歌った「911」もポリティカルラップである。ここで日本を代表する社会派ラッパーKダブの曲もまとめて紹介しておいた方がいいだろう。「ロンリーガール」の続編と言うべき「禁じられた遊び 」(1998)、虐待について歌った「Save The Children」(2001)、愛国ソングの代名詞的な「日出ずる処」(2003)。メディアなどを批判する「自主規制」、ギドラ「コードナンバー0117」の「もし俺が総理大臣だったら」をセルフサンプリングした「マニフェスト(オレなら)」、少年犯罪で亡くなった高校生が生前に残していたラップ音源を元にして作った「今の世の中 feat.ケンタS」などが収録されたEP『自主規制』(2010)などである。
ところでこのゼロ年代前半の右傾化について、日本語ラップがサブカル的な軽薄さを失い、ベタな「自己」や「倫理」や「共闘」について歌ったことが原因の一つだというような議論がなされた。しかし、それは間違っているだろう。というのも、右だけでなく、左のポリティカルラップが増えたのもこの時期だからである。言い換えれば、ゼロ年代前半は右傾化の時期というより、ポリティカルラップ隆盛の第一期と見る方がおそらく正確なのである(もちろん、それは小泉政権下で、イラク戦争の問題が起きていたという社会情勢が直接的な原因だろう)。それを端的に示しているのが、サブカル的軽薄さが特徴だったスチャとRHYMESTERの二組の「左旋回」である。周知の通りスチャはいまやSEALDsのデモに行くようになり、例えばそこで「ブギーバック」を披露し、「民主主義ってなんだ」「これだ」のコール&レスポンスを挟んだ直後に「よくないコレ(以下略)」と続け(つまり「コレ=民主主義」が「よくない?」というメッセージ)、かつてのナンセンスなリリックを政治化するまでになっている(https://www.youtube.com/watch?v=Lt3hNeLqblE)。おそらくその転向の契機となったのが2004年に4年ぶりのアルバムとして発表された『The 9th Sense』である。「Shadows of the Empire」はコンシャスラップと言ってよく、フックは「リアルが歪んだ あの帝国絡んだとたんだ/経費はかさんだ景色は荒んだ」で、例えば「高度資本主義のメッカ敗者の肉を食らうハイエナ」というリリックまである。他には、「スキマチック」では「オイ!そこの中流またはY.O.U/並の待遇並の収入/ダマしてたんまり出し抜く発想/時代だよしゃーない人間だもの」「労働者諸君/怒鳴ろう夜中請求昇給/冷たい群衆シュプレヒコール/通り過ぎてゆくLike荒谷二中」などと、かなりベタな左翼的主題を、もちろんコミカルにではあるが、歌っている。そしてこのアルバム以降継続的に社会的なリリックは色々歌われるようになった。例えば、「Shadows of the Empire」の続編と言っていい、『11』(2009)収録の「Antenna of the Empire」では、「上を向いて夢を見れた毎日がモーレツに変化/右肩上がりに所得も倍増なんて遠い目でつぶやく今日」と回顧するヴァースの中で、「カラテチョップ」や「アポロ」と並べて「固唾を飲んだ浅間山荘」と言ったりしているし、「聞こえのよかったあの改革知らぬ間に決まったこの国策/風呂敷だけはいつもデッカク ウン年後に財布を逼迫」とストレートな政治批判もしている。
(グループとしての)ライムスが政治的なことを歌うようになったのも、スチャと同じ2004年に発表された『グレイゾーン』においてである(細かいことを言えば、2001年の前作『ウワサの真相』収録の「グッド・オールド・デイズ」で宇多丸が戦争自慢をする老人を皮肉っていたり、「The Showstopper」でMummy-Dが「まるでxxxの街宣カーの軍艦マーチなみの」「xxxじゃないなら手挙げな」と歌っていたりするが――「xxx」に入る言葉は自明だろうがなぜ隠さねばならないのか、メジャーデビュー作らしいと言えばらしいのだが――明確なポリティカルラップとは言えないだろう)。ライムスもスチャ同様にここではまだサブカル的ヒネクレを多少はとどめており、「911エブリデイ」は「911エブリデイ驚くようなこたあ別にねえ/ミサイル弾丸雨降りで ただしカメラ回ってねえ国で」というのがフックであるように、シンプルなアメリカ批判ではない。また、「フォロー・ザ・リーダー」は「The Choice Is Yours」(2013)の主張に繋がるような曲だが、まだこっちの方がヒネクレている。また、ライムスは同年に反戦ソングであるDJ HAZIME「いのちのねだん」に客演しており、宇多丸は「ついにボクの国も軍隊を模倣し後方支援を称し虐殺にご奉仕/調子こいた総理どもの言い訳はもう笑止あと一歩で奴らども念願の武力の行使」と鋭いポリティカルラップを歌っている。
さて、いまとなってはスチャもライムスも結果的にリベラルな戦後民主主義者に「左旋回」していることに変わりはないわけだが、(かつての)宇多丸だけはそれと一線を画しているということは強調しておかねばならない。なぜなら、宇多丸が日本語ラップ史上最高のポリティカルラップをその前に残しているからである。DJ OASIS「キ・キ・チ・ガ・イ feat. 宇多丸&Kダブシャイン」(2001)の彼のヴァースである。あまりに名曲なので詳しく論じるのは別の機会に譲るが、簡単にトピックを拾うだけでも、これが最も先鋭なポリティカルラップであるということは十分伝わるだろう。慰安婦問題(「まるで常習的性犯罪者」)などの戦争犯罪(「裁かれずに死んだ酷い人」)に触れ、それを天皇の戦争責任(「心の広い人」)に結び付けた天皇制批判であり、さらに広く戦後民主主義を批判する(「おかげでこの国じゃ事勿れ」「まるで猿みたく目と耳と口おさえ立ち竦む」)ものであると言える。本当はこの曲をきちんと読解するためには、この第一ヴァースと、PC的言葉狩りを主題にした(「政治的に正しい表現に変換キー叩くと自動転記」)第二ヴァースの連関、およびそこから見えてくるこの曲の主題と「言葉の隠し絵」という形式、技法、戦略の結びつきこそが重要なのだが、そこまで論じる暇はない。それでもなお、「右も左も危なっかしいぞ」というよく知られたパンチラインの通り、この曲は現在でも左右を積極的に批判しうる射程を十分に持っていることは一聴明らかであるはずだ(「右も左も~」はいまや、脆弱で欺瞞的な相対主義を歌うものとして流通しているが、許しがたい堕落である。とはいえその責任の一端は「グレーゾーン」のライムス自身に帰せられるのでもあるが)。例えばそれは現在のライムスについても言えることである。『Bitter, Sweet & Beautiful』(2016)は、吉田健一の「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」という言葉をモチーフにしているが、「キ・キ・チ・ガ・イ」はそのような欺瞞をこそ批判する曲だったはずだからである。ちなみに、The Hardcore Boysの批評性が後に影響を与えると言ったのはこの曲のことである。放送禁止用語を聞き違いさせるこの曲のタイトルはおそらく、いとうと藤原ヒロシがラジオで共謀して、「行き違い」という言葉をスクラッチしているふりをして、〈聞き違い〉させていたことへの、オマージュであろうからだ。したがって「キ・キ・チ・ガ・イ」はその曲自体の完成度はもちろんのこと日本語ラップの歴史から見ても、またそれが自主回収に追い込まれてしまったということも含めて、疑いなく史上最重要のポリティカルラップである(というか、日本のポピュラー音楽全体からみても重要曲と見なされなければおかしいだろう)。さらにちなみに「キ・キ・チ・ガ・イ」はOASIS&宇多丸のポリティカルラップ三部作の一作目といった位置づけで、DJ OASIS「社会の窓(キ・キ・チ・ガ・イPartⅡ) feat.宇多丸」(2000)、「世界一おとなしい納税者(カモ) feat.宇多丸」(2004)がある。
さて、イラク戦争をきっかけに、政治に対する意識を強く打ち出すようになったラッパーとして、もちろんECDに触れねばならない。知られているように、彼はこの時期にサウンドデモに積極的にコミットしてゆくことになるのであり(松本哉・二木信『素人の乱』、毛利嘉孝『ストリートの思想』なども参照)、日本語ラップで一番左翼的なラッパーだったと言えよう。そこで作られたのが「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」(2003)である。それが後に「言うこと聞かせる番だ俺たちが」に変わり、デモのコールに使われていることは周知の通りである。この時期には他に「もう遠くに追いやるのはよそう戦争を」「いっそ東京を戦場に」と歌う「東京を戦場に」(2004)や、当時の運動(松本哉の「貧乏人大反乱」など)とキング牧師が率いた68年のデモ(英語ではPoor People’s Campaign)のイメージを重ねたものだろう「貧者の行進」(ちなみに収録の2003年のアルバム『失点In the Park』のジャケットには、「反戦」「スペクタクル社会」などの落書きが写されている)などがある。ちなみに、この時期のサウンドデモについての結構オドロキのエピソードを磯部が書き残している(『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』)。「次にテンプル・ATS(引用者注:降神を中心とするクルー)が覆面で登場すると一転、皆その生々しいリリックに聴き入る。続くECDでまたモッシュ」。ランキン・タクシーが出てきて、その次にシロー・ザ・グッドマンの出番が続くはずだったが針が飛んでしまい、「そこに手を貸そうと、ライブを終えたばかりのイルリメことモユニジュモがマイクを握る。「他にも誰か歌いたい人!」という彼の呼びかけに、テンプルのメンバーが、遊びに来ていたMSCのMCカンまでもが、シローのかけるジャングルの上でフリー・スタイルをし始める」。漢はサウンドデモでフリスタをしていたのである。
ゼロ年代前半の時期は、ギドラ、スチャ、ライムス、ECDなど90年代に出てきたラッパーたちが左右関係なく、一気に政治化した(あるいは政治性を強めた)時期なのだと言うことができよう。では、彼らの次の世代がこの時期にどういうポリティカルラップを歌っているのかを見ておこう。世代で言えばさんピンと同じだが、シーンに出てきた順で言えば次の世代と言えるTha Blue Herb。触れるのは「時代は変わる PartⅠ」「時代は変わる PartⅡ, Ⅲ」(2000)だが、なんともヘンな曲である。パート1はブルハが音楽シーンに革命を起こすと言ったようなことが語られるのだが、2の最初のヴァースはいきなり本物の革命、つまりロシア革命のことから始まるのだ。それも革命の終わりから語り起こされる。「オレが生まれる前に一度ロシアで時代は変わった/赤い旗は勝利を祝った、だが大半の人々にとっての革命はそこで終わった/正確には終わらせたかったんだ、なぜなら並大抵の犠牲を払った訳じゃなかったから」。そして、ソ連がスターリン時代に入り、恐怖政治が行なわれたことが歌われ、「イデオロギーが生み出したのはアレルギーだけだった/人間らしさに全てをかけた革命は結局その人間らしさに負けたんだ」とこのヴァースは締められる。ヴァース2ではソ連が崩壊し、冷戦が終わった後の世界が語られる。「そして時代はかわった、ソヴィエトは滅び去った/西側は勝利を祝った、しかしそれは人の欲に拍車がかかっただけに過ぎなかった/オレたちを止めるモノはどこにもなかった」。中東の紛争など世界の惨状が様々に語られ、次のヴァース3では革命の後の空しさに打ちひしがれ、「欲と無気力」という内面の問題に行き着く。「無気力を倒し欲をみたすのか、欲そのものに無気力になるのか、どっちがしあわせになれるのだろう?」。次のヴァースでやっと(?)日本が主題になり、左翼的批判が歌われる。「朝鮮、ベトナムWARでかき集めた金はこの国の中枢を簡単に狂わせた」「やられたコトをいつまでも言ってたってな、やったコトを認めなきゃ話にならねーな」「巨大な象のオリに囲まれた沖縄、二風谷の名は教科書にはなかった」「原発の安全計画は幻覚、その場しのぎの宦官どものていたらく」「アメリカに飼い慣らされていきがっているこの国は一体、何なんだ」。そして最後のヴァースなのだが、これまた奇妙な終わり方をする。いかにもBOSSらしいと言うべきか、「時代を変えたいっていうオマエの意見にはおおいに賛成だ/想う、考えるということは大切なことだ/だがこれだけは覚えておいたほうがいい」とつらつらと説教を始め、「革命が覚めることほど残酷なモノはない/オレに最後までついてくるのはオレだけだし/オマエを最後まで見捨てないのもきっとオマエだけだ」とやはり内面の問題に帰着してこの長い曲が終わるのである。このヘンな曲への評価の分かれ目は、これを反革命と取るかであろう。それはさておき、こうした曲をさしあたり文学的ポリティカルラップ(政治を内面の問題と絡めたり、視点を変える語りであったり、寓話的であったり、というのが特徴)とでも名付けておくことにしよう。こうした曲が他にいくつかある。例えば、ブルハだとディストピアもの「未来世紀日本」(2002)があったり、他のアーティストのものではSHING02「PEARL PARBOR」(1998)や、降神「who i am?」(2004)などがある。ちなみに、BOSSは2010年にOLIVE OIL、B.I.G. JOEとともに沖縄の基地問題などを歌った「MISSION POSSIBLE」を発表してもいる。
次は般若だろう。妄走族に「Stop The Wars」(2003)という反戦ソングもあるが、ソロデビューした般若の最初のシングル「極東エリア」(2000)は日本のポリティカルラップ史において重要な転機だと位置づけることができる。内容は、反戦、反差別であり、特にアジアの平和を願ったものである。「アジア系外国人への日本名強要でも使わされる方も嫌ならNO」「確かに減るこたねぇ犯罪組織(中略)/全部が全部外国人 特にアジア系?そうじゃねぇ!」「狭い世界 差別はしない無差別/これからの日本のシステムに不可欠」「激しい貧困 拉致とか紛争/どうなる今から約数年後/終戦後の武勇伝よりも必要なのは物資救援所」。主題だけでも重要なポリティカルラップだが、この曲が転機をなすものだというのはむしろ、ポリティカルラップを歌う主体の変化によるところが大きい。それ以前のポリティカルラップは、シリアスだろうと軽薄だろうと、当事者性の欠如した「Egoist」的範疇にあったのだが、「極東エリア」は当事者性のあるポリティカルラップである。知られているように般若は韓国と日本のハーフであり、この曲では明言されてはいないが、「この歌詞が届くのはいつ先かしら/俺もどうなるか分からんが片方無かったぜ戸籍の欄は」と、父親について仄めかされてはいる。しかしこの曲が優れているのは、それにもかかわらず、磯部が「汎アジア的想像力」と評している通り(『ラップは何を』)、アイデンティティ・ポリティクスにとどまっていないという点だろう。だから、ポリティカルラップの語り口という点でもこの曲は新鮮である。つまり、この時期の般若と言えばODBやバスタ的な変態フローや、イルなキャラクターが売りだったが、「アニョハセヨ耳傾けろ/オイラのペニチョコ舐めてけろ」と始まるこの曲は、「Egoist」たることを自覚した軽薄さとも、逆に「Egoist」であってはならないとするギドラ的シリアスさとも、あるいはブルハ的内省とも、全く異なるスタンスを提示しているのである。ただし、その後の般若はシリアスになり、愛国的な主張を続けてゆくことになる。映画のイメージソングとなり話題を呼んだが「極東エリア」と比べれば凡庸な反戦ソング「オレたちの大和」(2005)、(自らがハーフだと明かしながら)韓流ブームを批判する「土足厳禁」(2007)、比較的最近の愛国ソングでDJ KEN KANEKOに客演した「JAPAN」(2016)などである。
般若とタメのOZROSAURUSにも触れておこう。風林火山のJANBO MANとF.U.T.O.を招いた「Rule」(2001)は、反戦、反核、反レイシズム、反人身売買などを歌うポリティカルラップで、出された時期的にも般若「極東エリア」と並べられるべき曲だろう。他には「Soul Dier feat. SORASANZEN」(2006)が優れた反戦ソングである。イラク戦争をテーマにしたものだが、例えば「(こっちじゃ)戦争の音もしねえがテレビじゃ軍人様さながら自衛隊サマワ」のなかなか上手いダブルミーニングもあったりする。次作2007年『Hysterical』にもフック「いい戦争悪い戦争そんなろくなモンなんて無そう」とある「EXODUS [大脱出計画]」などポリティカル、少なくともコンシャアスな曲が複数ある。
同じ78年生まれの漢が率いるMSCもきわめて重要な存在である。磯部が言うように、彼らの登場によって、日本では不可能だとされていたリアリティラップ=ギャングスタラップの政治性が担保されたのである。これは日本語ラップの政治性を考えるときには最も根本的な変化なのだが、それは直接的なポリティカルラップだけを扱うここでの課題ではないのでスルーする。むしろMSCは2000年代後半において最も重要なグループとなるのでその時に触れることにする。
ちなみに、T.V.O.D.の百万年書房のウェブサイトでの連載「ポスト・サブカル焼け跡派」で、このゼロ年代前半のネオリベが浸透してゆく時代の空気を反映したラッパーとしてKREVAが取り上げられている(http://live.millionyearsbookstore.com/category/post-sabukaru/kreva/)。が、ヒップホップ警察として補足すべき点がいくつかあり、ちょうどいい機会だからここで触れておくことにする。まず、「上がってんの」(キック「マルシェ」)と問いかけるネオリベ的なKREVAに対して、ネオリベに批判的な「下がってる」側からのラッパーとしてECDが褒められている。別にECDは素晴らしいアーティストであるしそれでいいのだが、なにかネオリベ批判が左翼だけのものだとでも言いたげな風に見える。だが言うまでもなく、ラッパーは左右関係なく基本的には「下がってる」側を歌うものであるのだから、この時代の右寄りのラッパーのリリックを拾って補足することにする。例えばKダブは「現金崇拝してる連中金の亡者よく眠る」というフックの「悪い奴ほどよく眠る」(2000)で拝金主義を批判していたり、「天国と地獄」で「この東京もう無国籍都市 権力側の目的阻止/野生の王国弱肉強食 食うか食われるかっていう法則」とおそらくグローバリズム批判である歌詞もある。これは2008年だが、Mr. Beats「大人の責任 feat. CRAZY KEN, 宇多丸, K ダブシャイン」(重要なポリティカルラップなのでここで触れておく)の「規制緩和してる基準だって/てめえらに都合よく自分勝手」というリリックや、「自主規制」の「また勝ち組集まって語る格差/ただ話題にあがってるだけの弱者」などもあるから、明確にネオリベに批判的である。あるいは、般若。彼こそ「下がってる」側のリアリティの表現者として最も突出した存在だと言えよう。かつて属していた妄走族「YEN」(2003)のフックは剣桃太郎の「貧乏人は犯罪者 金がねえと罪になる」という、ネオリベ+監視社会批判を自虐混じりに歌う素晴らしいパンチラインであり(ちなみに、般若ソロの2004年「絶」でこのラインが引用されるのだが、「貧乏人」の箇所にピーが入っている)、般若はヴァースで「大手金融自社金貸し/知ってる俺だから金なしだから情けなし/限度額上げたらジ・エンドだす」などと歌っている。ソロでも枚挙に暇がないが、例えば「ジャリ銭と夢見事反比例」「バカが付くほど金だな大将」「笑っちまうけど俺らアリンコ上から見ればなだけどガチンコ」などと歌う「MY HOME」(2005)も「下がってる」側のリアリティの表現として大変優れているだろう。あるいはまさに「構造改革」(2002)という曲もあるMSC(実はどちらかと言えば右寄りの思想を持つグループである、後述する)。これも磯部が指摘していたことだが、「新宿アンダーグラウンドエリア」(2002)の漢のヴァース1は不景気に喘ぐサラリーマンへの応援歌である。ヴァースを丸ごと引用しておく。「新宿西側 下向き歩くサラリーマンお前らも訳ありか? 後ろ姿が寂しげだ/不景気リストラいつ上司が手の平返すか分からない/逃げ出したいこの状況から上向け昨日はダメでも/ガンバレ今日からというのは簡単/上辺の言葉綺麗事に頼る挙句落胆/進め 自ら倒れても0から時には手を汚し掴む金そんなのもありさ」。最後にどさくさに紛れてハスリングのススメっぽいことを言っているのがさすがである。
それに加えて、T.V.O.D.のそもそものKREVA評についても補足しておこう。確かにKREVAがネオリベ的だというのは当たっているだろうが、あまりに雑な印象論にしか見えず、ちょっといただけない。彼らの論旨としては、KREVAのイケイケな自分大好き感がネオリベ的だというものだが、「アグレッシ部」(2007)を指して「社会という水準ではなく個人という水準が重視されている」と言っており、これが誤読なのである。なぜならタイトルが駄洒落になっている意味を見落としているからだ。説明不要だろうが、「アグレッシ部」はただ自分だけを信じるということではなく、自分を信じてアグレッシブに行動する者たちの「部」を作ろう、あるいは社会をそういう「部」にしようという意味が込められている。歌詞からはそういうメッセージは読み取れないという反論があるかもしれないが、それはこの曲にリミックスがあることを知らないだけである。元曲のフックの「広い世界ただ一人になろうがオレは決めた」という箇所がリミックスでは「広い世界一人ではないこと教えてくれた」と言い換えられているのであるし、ヴァースでKREVAは「一人を感じてるならばさみしい/これだけの仲間そしてfamiliy」とさえ歌っている。したがって、KREVAがネオリベ的と言うなら、KREVAはネオリベ的な競争で勝つことを目指すと同時に、それだけでは疲れるし無理があるよね的なことも歌っており、それも含めてネオリベ的、あるいはネオリベ時代の空気を反映したラッパーであるというのが、まあ陳腐な社会反映論だが妥当な見方となるだろう。例えば、『新人クレバ』(2004)の「skit/Dr.K診療所」では、自分で「典型的なワーカーホリックですね」と診断しており、それは確かにネオリベ的アグレッシブさと言えようが、それでは疲れるので打ち込みはやめてワンループでラップしてみろとアドバイスされて、そのような曲(「WAR WAR ZONE」)へと繋がれていることもそうである。もっと分かりやすいのは「ひとりじゃないのよ」(2004)だろう。このヴァース1とヴァース2は、「アグレッシ部」の元曲とリミックスの二面性とまったく同じ構造であると言っていい。ヴァース1では、「一人でできたまるで手品」と始まり、「してる暇ないぜ絶望なんか(中略)/おはようございます こんばんは/毎回毎回が本番だ」とワーカーホリック的な熱心さを歌い、「そんな時だからこそ書きたくなる俺の言葉それのどこが悪いんだ」とアグレッシブなことを言っている。しかし、ヴァース2ではそれに限界があるということが歌われる。というか、「アグレッシ部」同様明らかに確信犯でやっているのだが、それとまったく正反対のことを言い出す。「一人じゃ無理だゲームクリア」。そして、みんなで自分に自信を持って高めあいながら上を目指そうという「アグレッシ部」のメッセージも共通している。「好きな奴らと切磋琢磨し必ず結果出す」「あいつのラップが俺を駆り立てる/このトラックが俺をたしなめる/このトラックとラップがあいつらの合図になるなら嬉しくて涙出る」。このように見れば、フックの「ひとりじゃないのよ分かるでしょ/僕のハーモニー君のハートに重なってゆく」というのは、ネオリベ的な社会で戦う者たちへの応援なのだと言うこともできそうである。実際曲の冒頭で「やつれた心に望み少しでもあげたくて二人でともに乗っかてくぜこのビート」と歌っている。他には比較的最近の「王者の休日」(2013)も同じ構造だと言える。KREVA自らボースティングとラブソングを強引にくっつけたと語るこの曲は、競争を勝ち抜いている「王者」(ヴァース=ボースティング)が「休日」を取る(フック=ラブソング)という構成だと解釈できる。少々長くなったがヒップホップ警察的揚げ足取りは以上。
2000年代後半のポリティカルラップを見ていこう。MSCによって日本語ラップでも可能であるとされたリアリティラップ=ギャングスタラップによって、日本語ラップはこの時期には右傾化の危機を乗り越えることができた、ということをまず確認しておこう。実際、この時期にMSCに続いて出てきたハスリングラップが本格的にシーンを席巻し始めるのであり、かつては日本語ラップを右傾化だと批判した『朝日新聞』でさえも2011年に、格差が拡大する日本のリアルを表現するものとして、ANARCHY(と鬼)に取材している(取材はされていないが、他に名前が挙がるのがSEEDA、B.I.G. JOE、SHINGO☆西成で、いずれも2000年代後半に台頭したラッパーである)。私としては、そのような意味での政治性を体現する、シンプルだが素晴らしいパンチラインとして、A-THUGの「ガバメント奴らは俺らを台無しにする/俺らはパクられまたジェイル」(SCARS「MY BLOCK」、2008)を是非とも紹介しておきたいが、ここではそうした政治性については触れず、リリックで直接的に政治や社会について歌ったものだけに限って話を進める。それだけに限ったとしても、おそらくこれまで指摘されてこなかったと思うが、実はこの2000年代後半の時期は、ポリティカルラップが活発であった第二期と言えるように思われる。
まずはよく知られていることから確認しよう。この世代の代表者の一人であるSEEDAがポリティカルラップを歌うようになったということ。といっても、それ以前にも、ブッシュ批判のリリックのある「Realist」(2003)や反戦ソング「Life feat. L-VOKAL」(2005)もあったりするのだが、まあよい。2009年のアルバム『SEEDA』で積極的にポリティカル、コンシャス路線を取り入れることになる。代表的なのはストレートなポリティカルラップ「Dear Japan」である。拉致問題に触れたり、麻生をディスったり、「あれ自民党これ民主党shut the fuck up I got bored of both/fuck Rick Rossなみにフェイクなボス 口先野郎に定めるスコープ」「なんの価値もねえゴシップ政治が」と政治の腐敗を批判したり、「9条捨てる 医療を変える/倫理を捨てる スタイルを捨てる/俺の読んだ教科書ゴミになる」と不安を口にしたりといった感じである。この曲の特徴は、オバマやリックロスの名前を出したりしてはいるが、「何も煽っちゃいない/俺は意見をここに記したい」「突っ込めるところがあるなら突っ込んでくれナーミーン/俺は別に完璧じゃねえ」など、基本的にはストリートのラッパーSEEDAとしてでなく、普通の一人の市民という立場から歌われている点だろう(実際この前作『HEAVEN』は脱ストリート的な面が強い)。「Dear Japan」がポリティカルなら、コンシャスなのは「Hell’s Kitchen」である。「いかれたオタクがマーダー田舎のギャル漁るプラダ/TVつければねつ造ばっか放送作家マスかくドラマ」と始まり、「国会で寝てるフリして戦争準備進めるほうが問題」と歌ったりしている。客演のサイプレス上野については、「テレビのリモコンPush On!画面向こう消去不都合/それでも寝転がって眺めりゃ屁ぶっこいて面白がってる」とスチャ的=サブカル的なスタンスを見せていることと、阪神淡路大震災を受けてのマイクロフォンペイジャーのコンシャスラップ(と言ってもいいだろう)「病む街」(1995)のパンチライン「生き抜こう地球丸いうちは」へのアンサーではないかと思われる、「地球もオレもまだまだ青い」というラインを残していることに触れておけばいいだろうか。SEEDAはさらに次作『BREATHE』(2010)で、コンシャス路線をより掘り下げることになる。資本主義、ネオリベを批判する「MOMENTS」や、愛や平和の願いを歌った「ALIEN ME」などである。ちなみにインタビュー(http://amebreak.ameba.jp/interview/2010/09/001701.html)で、彼はこのアルバムの「メインテーマかもしれない」のが「資本主義×至上主義っていうのはもう終わりだ」ということなのだと答えている。
SEEDAの盟友と言っていいだろうNORIKIYOはどちらかと言うと、311以後SEEDAに遅れて(そしてSEEDAと入れ替わりで)ポリティカル、コンシャスラップを本格的に取り入れ始めるのだが、ここでも一応触れておこう。2010年のコンピ『RAPSTA ON BOOTSTREET』収録の「NEW DAY」で、「団地の谷間」の風景を「米軍通りYナンバー走る」と歌ったり、「進むカレンダー戦後50ちょいGHQかりそめのルール/何が善悪?真珠湾原爆知らねえことばっかでテンパんだよ誰か本当のことを教えてくれ」と歌ったりしている。
まずここで確認しておきたいのは、SEEDAとNORIKIYOというとハスリングやストリートなどのイメージが先行するが、実はコンシャス、ポリティカルラップに後に目覚めていたということ、そして政治的な立場で言うとリベラルであるということである。ちなみに言っておけば、「CCG」を代表する三大ラッパーのもう一人と言ってよい仙人掌は、二人に大きく遅れたが今年MOMENT JOONに触発されて政治に目覚めたようで、「ポリティックスは無知な俺には触れられぬ/勉強しなきゃな始めて思えた」と歌っている(「MONDAY FREESTYLE」)。かつてのスチャやライムスが〈サブカルの左旋回〉と呼べるとすれば、これを〈ストリートからの左旋回〉とでも名付けるべきだろうか。それはさておき、しかし、彼らとほぼ同時期に出てきたラッパーの中には、はじめからストリートのリアルと政治的主張を同居させたような曲を歌う者がおり、この時代を日本語ラップのポリティカル化第二期と言うのは、実は彼らの存在によるところが大きい。
まずはSHINGO☆西成だろう(世代的にSEEDAらより上だが、シーンに出てきたのはほぼ同時期である)。西成という土地をレペゼンしていることがすでにポリティカルであり、「ILL西成BLUES」などの名曲もあるが、ここでは「U.Y.C」(2007)という彼を代表するポリティカルラップを取り上げる。「UYC」とは「言うてることとやってることがちゃいますねえ」の頭文字をつなげたものだが、政治家を批判する曲である。「選挙前と後態度が全然ちゃいますね」「ほんまにウソついてすみませんじゃ済みません/記憶にございませんは一般では通用しません/親の七光りで当選?やっぱ期待外れ」「北のミサイルは脅威?でも今日に始まった事やない正味/どうする総理?情に流されてる場合やない脳裏よぎる9.11!Worry abaut it!」「金利×金利×金利×金利×金利×金利×金利な日本で/死にかけること詩に書けるshit!」などといったリリックである。政治の問題をリアルな感覚に引き付けて大阪弁で歌うこの曲は、「極東エリア」に近いものだと位置づけることができよう。ちなみに西成は、今年もポリティカルラップであるDJ FUKU feat. SHINGO★西成「新しい日本」を出しており、そこで「「UYC」言った通りなってる」とこの曲も触れられている。
「U.Y.C」にインスパイアされた「A.K.Y」(「あえて空気読みません」)を発表してもいるRUMIにも触れておこう。まずは「この世のおわり」(2007)だが、タイトル通りこの世の終わりを想定し、「他力本願ポケモン国家」「資本家の皆さん事件ですこの世は終わりですよ/さあさばら撒け猫灰だらけ果てるこの世に銭をばらまけ」「往生際悪い永田町の議員団子で救命ボート」などと歌うディストピアものである。次は「銃口のむこう」(2009)だが、かつての相棒般若の「極東エリア」ほどではないものの、比較的早い時期に出された反ヘイトソングだと言えるだろう。引用しておく。「憎悪が憎悪を生むスパイラルに僧侶も報道も巻き込まれてく」「アジア何が過去からの脱却/反逆じゃなく手を取れよ観客/気分でヤジ飛ばしてる恥」「毛嫌うばかりで相手をねぎらうことを忘れたエセ愛国者」「事実を歪曲させず伝えろ/グロテスクな現実を見せろ」。同アルバム(『HELL ME NATION』)収録曲としては、「邪悪な太陽」はコンシャスラップであるし、「公共職業安定所!」はプレカリアートラップと呼べるだろう。
次は鬼である。「小名浜」がクラシックすぎるためか忘れられているようだが、彼は「スタア募集 feat. D-EARTH」(2007)というポリティカルラップの大名曲を発表している。自民党、それも特に当時首相だった小泉、安倍の二人を批判した曲である。例えば鬼の小泉批判だが「甲高い声で感動した 国会答弁に理念はどうした/権力による改革の暴走 礎の無い政治構造/まるで姉歯建築士の デブセレブの抱く犬猫畜生」ときわめて辛辣である。さらにネオリベ批判も歌われており、「次は六本木ヒルズハイジャック 資本主義にぶっかけるコンニャク/MHK自由経済 アホ丸出しまるでジブリのカオナシ」(補足しておくと、MHKとはおそらく村上世彰、堀江貴文、木村剛の頭文字)、「気に食わねえなあ自民党政権 五年前から死人も年々/増加してんだよ8000人 格差社会がうんでる完全に/中小企業キッチンは火車 気狂った挙句自殺 空はブルーだ/政治が ねえ 殺した ねえ 小泉さん落とし前/つけられねえから閉じた国会」などである。とはいえ、実はこの曲は安倍の第一次内閣に対する批判の方が今聞くと面白い。鬼も「見てくれ気にしだした六月の安倍/核保有 何を言い出すのかね」と歌っているが客演のD-EARTHの方が安倍について色々批判している。「よくも懲りずにポスト小泉(中略)/次は安倍さん このまま右寄りな男に……(引用者注:聞き取れず)/肯定する第二次大戦まじでヒデえ/思想で戦後60年の歴史を否定」、あるいは「小難しい話で煙に巻くのが手段でたぶらかす国民/でも集団的自衛権なんて理論的にはいたってシンプルで/要はアメリカとつるんでよそに喧嘩しに行くってこった/そんなことしたら相手にとっては立派な宣戦布告/ミサイルぶち込まれても言えん全然文句/まあ自衛隊に入る奴は減っちまうだろうね/まあそしたら一般人が絶対されちまうな徴兵」。十年以上前の曲とは思えないというかなんというか、である。ちなみに、2010年に発売されたDJ OLDFASHION『THE OLD STRAIGHT TRACKS』には、「スタア募集」の続編と言うべき「スター汚臭」という曲が収録されており、鬼一家のメンツが民主党批判をしている。さらにちなみに言えば、鬼はインタビューで「スタア募集」について聞かれて、自らが右寄りの思想であることを明かしている(http://amebreak.ameba.jp/interview/2009/10/001127.html)。
さて、ここで再び重要になるのがMSCである。特に2000年代後半から政治的なリリックが増えており、たいへん面白い。2006年の『新宿STREET LIFE』と言えばNOE’の「部落条例で育った俺」(「音信不通」)というパンチラインが広く知られているだろうが、他に少佐「White River」では「戦後を引きずる舐められた日の丸/ヨン様カリスマあんた何様」「こんちきしょうなポン人/アジア隣国アメリカEU嫌いじゃねえが舐めんじゃねえ/白地に赤い日の丸背負って特攻ストレート/玉砕覚悟べらんめえイエローモンキーの本気見せる」とラップされたり、「Highreturn Plan」でPRIMALに「なあアメ公アメとムチの太平洋パレード/汗もさわやか あれよという間に荒れ模様/当ても外れてイラクアフガンピープル/飽きるのに飽きたジャパニーズイズシンプル」というラインがあったりする。ここまでで明らかなように、漢が「右翼左翼感覚両刀」(MSC「反面教師」、2003)と歌ってはいるものの、MSCは右翼的なリリックが多い。その中でおそらくTABOO1は例外的に(?)左寄りであるような節がある。例えば彼のクラシック「禁断の惑星 feat. 志人」では、TABOOが「経済発展 競争社会の行く末/人工衛星 監視体制の下ボタン一つで瓦礫の山と化す」「あっという間にほら みな野良 手の平の上で転がるワーキングプア」「洗脳されたイデオロギー 強制収容されるコロニー/独裁者が奴隷操るパペット スモールプラネット」と歌っていたり、志人の「再処理は早いところ対処しないと防壁破り砲撃の恰好の標的/誤作動により放射能汚染 オーバードーズした六ヶ所 」という予言的な反核のリリックや、続く「国家暴力 目下冒涜を説く 教科書じゃ消化不良だ 坊や」というおそらく歴史修正主義批判である歌詞が歌われている。これが収録されたアルバム『LIFE STYLE MASTA』(2010)では、他に「Fight The Power」や「BORN 2 BONE」などで反体制的なリリックが歌われている。
以上のように、2000年代後半はイラク戦争あたりの時期に劣らぬくらい多くのポリティカルラップが出ていた時期だということは示せただろうか。その特徴というのは、ストリートが日本語ラップに発見された後のポリティカルラップということになるだろう。しかし、例えばこの世代を代表するSEEDAのポリティカルラップは、内容が穏当あるとしても、いかんせんストリート感やアングラ感が失われた、ある種退屈なものであったとも言える。むしろ鬼やMSCの方が、右寄りであるとはいえ、アングラな活気に満ちたポリティカルラップを体現しえていた。そこで紹介すべきが、この時期のアングラポリティカルラップとでも言うべきものの最良の体現者であり、私が日本語ラップ史上最高のポリティカルラッパーの一人だと断固として主張したいラッパーであるところの、メシアTheフライだ。
といっても、メシアほど扱うのに困るラッパーはいない。本来メシア論で一個の文章ができてしまうくらいに複雑である(あるいはヒネクレている)ので、簡単に済ますがメシアの政治的な立場は両義的である。メシアを知っている読者ならご存知の通り、彼は右翼を自称している。確かに右翼なのだが、しかしギドラのようなオーソドックスな反米保守にとどまっているわけではなく、かといってネトウヨやオルタナ右翼などとも当然全く異なる。彼は時には右翼であり、時には左翼であり、あるいはアナーキストであり、ファシストであるようにも見える。ともかくラディカルであり、言うなら〈右でも左でも危なっかしい〉ラッパーというのが最も実像に近いと思う。引用して示すのが早いだろう。まずは右翼的なリリック。MSCのO2のソロ作に客演した「宵闇」(2009)。「さかのぼる昭和動乱 太平洋南方に消えてった日章旗大東亜」「今じゃ参拝も反対って何なんだよあんたら/大卒左翼かぶれの言うことを聞いたってこの国は一向によくならねえ」「泥沼の負け戦導いた戦犯にアルファベット/何もかもいかれてる(中略)/また靖国で会いましょう」(ちなみにO2も同じスタンスなのだが、面白いことにこの曲が収録された同じアルバム『Stay True』の「火星呆景」にはECDが参加している)。彼の代表曲「- 鉞-マサカリ-」(2010)からも。「続きまして演目は核武装論/理想と労働のビジョン平和の象徴を/夢にまで見た自存自衛に向けて/被曝した宿命を語る孤高の小国/独立国家たる所以をもう一度首脳部に強く主張せよ」。一応言っておくが、私はこの主張には賛同しない。では次に左翼的なリリック。といっても、メシアの右翼的主張にゲンナリした読者を安堵させるというよりは、むしろ別の意味でもっとゲンナリさせるかもしれないようなものである。鬼のところで触れたDJ OLDFASHIONのアルバムに収録された「ゲバルト」という大名曲だが、なぜかこれは正真正銘の左翼ソングであり、それもある種ECDや宇多丸をもはるかに超えて、例えば頭脳警察ばりのド左翼っぷりで、暴力革命を煽動する曲なのだ。「骨の髄までむしゃぶり食いつぶす日本国 首脳の即退陣を要求する/正義の名のもとに武器を取れ 目には目を突き刺せば血が噴き出すのだ」「教育という肉体言語 階級的怒りを鉄槌で表現しろ/全国の労働者学生市民のくだりから口説く徹底的革命」、「ゲバルトとは反革命勢力のドタマかち割って切り拓く将来」「我々は戦いを進めるためにありとあらゆるものを武器にしなくてはならない/簡単な薬品も加工すれば劇薬となるマッチライターが爆弾と化す/ただちに報復せよ死をもって贖ってもらうほかない赤色のテロル」、そして決定的なのが「マルクスとレーニンが唯一のスター」!なぜ右翼であるはずのメシアがこんなにオールドスクールな左翼たりえているのか、それもそのはずというエピソードを引いておこう。PRIMALの証言である。「メシア・ザ・フライが昔のビデオとか本が好きで、けっこう貸してくれる。さいしょにメシアから借りた本は立花隆の『中核VS革マル派』(引用者注:ママ。『中核VS革マル』の誤記だろう)だった(笑)」(二木信『しくじるなよ、ルーディ』)。実際、「メット被り火炎瓶安保羽田闘争集結」(JUSWANNA「KKK」のメシア)、「俺ら学生運動の残党だろ」(メシア「東京Discovery3」のPRIMAL)といった歌詞もある。ところで、なぜ私がメシアを史上最高のポリティカルラッパーと評価するのかを説明しておくべきだろう。右翼的な主張については賛同しかねるが、ド左翼ソングもあるから帳消し、という単純なことではない(むろん「ゲバルト」という大傑作を残している時点で十分評価に値するのだが)。最も重要なのは、彼が唯一、アングラで「ドープ」(メシア自身が標榜する美学である)なポリティカルラップ、というよりもむしろポリティカルであることこそが「ドープ」であるというアティチュードを提示しえたことである。言い換えれば、この愚直に、時代錯誤なまでに政治的であろうとするアティチュードが、パロディックなユーモア(ギドラは単にベタであり、スチャやライムスはせいぜいイロニーに過ぎない)を生むこと自体の政治性こそが彼の最大の美点なのだ。
この2000年代後半について、さらにもう一つ例を加えておく。おそらく日本語ラップ史上初だろう、ポリティカルラップビーフが起きたのも、この時代である。2010年、HAIIRO DE ROSSI & TAKUMA THE GREAT「WE'RE THE SAME ASIAN」という反レイシズムの曲が発表された。ヤフーニュースにもなり、大きな話題を呼んだらしい。「らしい」というのは、私はこれをリアルタイムで追っていたわけではなく、また肝心のこの曲はアルバム未収録かつネットから削除されており、恥ずかしながら元の曲を一度も聞いたことがないのだ。それはさておき、これに対してネトウヨラッパーSHOW-Kが反論し、数曲に渡ってビーフとなり、これもネットで小さくない話題になっていたようである(むろんハイイロの圧勝であった様子、まあ聞かずとも自明)。この騒動の一連の流れや、曲のリリックについては、ゴゴニャンタ「HAIIRO DE ROSSI vs. show-k」(http://gogonyanta.jugem.jp/?eid=3414)の記事にバッチリまとめらており、またこの曲についてのハイイロへのインタビューが二木『しくじるなよ、ルーディ』に収録されてもいる。
日本語ラップ史的には、ポリティカルラップが増えたこの時期の直後に311が位置していることになる。むろんそれに関する曲が多く発表された。復興を願う曲と、政府、東電、メディアを批判する曲に分かれるが、ここでは後者のみを扱う。まずはdj honda「Don't Believe the Hype 真実の詩 feat.DELI,般若,MACCHO,RYUZO,Zeebra,TwiGy,RINO LATINA II & ANARCHY」(2011)から触れるのが早いだろう。シーンの中心人物たちが一堂に会した曲で、フックは「隠しきれないお上のヘマなどDon't Believe the Hype/苦し紛れの安全デマなどDon't Believe the Hype」という感じである。この曲に参加したラッパーの曲では、キングギドラ「アポカリプスナウ」(2011)や般若「なにも出来ねえけど」(2011)は広く知られているだろうし、OSROSAURUSで言えば「半信半疑」(2012)は震災を意識した曲である。曲ではないものの問題意識を強めたDELIが2014年に松戸市議会議員に当選したことも重要なアクションだろう。
それ以外だと、反原発を訴えるCOMA-CHI「Say "NO"!」(2011)もよく知られており、他に「Return of the Bad Girl」(2012)でも「税金原発風営法嘘だらけの世界気が狂いそう」などと歌われるし、絵本付きのコンセプチュアルなEP『太陽を呼ぶ少年』(2011)も寓話的だが明らかに原発が主題である。他にはD.Oのアルバム『The City of Dogg』(2012)にはよく知られた「イキノビタカラヤルコトガアル」(2011)や、政府やメディアを批判する「Bad News」が収められている。「時代は変わる」の時点ですでに反核を歌っていたTha Blue Herbも「Hands Up」や「Nuclear, Dawn」(2012)を発表している。2011年に亡くなったギルスコットヘロンをオマージュしたSHING02 & HUNGER「革命はテレビには映らない」(2012)も広く知られていよう。なおSHING02は311以前から反核運動を行なっていたことも重要で、例えば2006年に「僕と核」というレポートをウェブで公開している。HUNGERというかGAGLEについて言えば震災後にチャリティーソング「うぶごえ」(2011)を発表しており、震災に関係なくポリティカルラップ一般ということでは政府を批判する「クーデタークラブ」(2009)などがある。他にはS.L.A.C.K.の『この島の上で』(2011)も震災に際して発表されたアルバムとして触れないわけにはいかないだろう。ただし、般若「なにも出来ねえけど」ほどではないだろうが、多少ナショナリスティックな傾きを帯びていることもまた事実である(野田努も指摘しているhttp://www.dommune.com/ele-king/review/album/002079/)。
LUCK-ENDについても触れておこう。優れたプロテストソング「HATE&WAR」(ちなみに、おそらくパンクバンドThe Clashの同名曲へのオマージュが込められている。メンバーのルーディー・サリンジャーがおそらくクラッシュの大ファン)やフックに「全て飲み込んでいった津波」とあるコンシャスラップ「E pur si muove」(2012)などを発表している。それ以前では「Fuck Da」(2008)がポリティカルラップである。LUCK-ENDが重要だと思うのは、ストリート感も文学感もユーモアもごちゃ混ぜのクルーだからであり、したがってその政治性も豊かであったと言いうるだろう。
他にはNORIKIYO&OJIBAH「そりゃ無いよ feat. RUIMI」(2012)。「何かがオカシイ何かが変です 洗脳されんなテレビ宣伝/オカシイよてんでソレ詐欺の典型 瓦礫は議事堂に埋めてよ先生」(NORIKIYO)、「国民の意見はそっちのけで利権/優先する順位間違ってもうコレ核実験/責任転嫁責任転嫁ってようやくわかった頃ツケ回って来た/ツーケー拭くのは俺達と俺達のその子供」(OJIBAH)といったリリックで、反原発デモの音声を使ったり、アナウンサーの声をコラージュして「福島第一原子力発電所における事故および放射性物質漏洩により、民放各局さらに広く永田町の皆様にご迷惑をおかけしていることをお詫び申し上げます」というのも皮肉が効いている。
また、悪霊もこの時期にはきわめて重要な存在だろう。運動に積極的にコミットしていたきわめてポリティカルなラッパーである。まとまったリリースがあるわけでもなく、MCバトルには出場していたりするようだが情報があまりなく、正直私自身、悪霊のことはあまり良く分かっていない。ただ、般若とRUMIと同じ高校の出身で、悪霊のMCネームは般若が付けたものだというから、結構オドロキである(http://bmr.jp/feature/60138)。ちなみに、2016年にはDJ TASAKAとLeft Ass Cheeksというユニットのセルフタイトルミクステを発表しており、これもポリティカルである(https://left-ass.bandcamp.com/releases)。サンクラも貼っておく(https://soundcloud.com/blue-water-white-death)。
この流れで必ず紹介しなければならないのは、もちろん田我流「Straight Outta 138 feat. ECD」(2012)であろう。おそらく最もよく知られた反原発ソングで、またポリティカルラップ全体でも特に人気のあるものだろうこの曲についてはいまさら解説は不要だろうし、重要曲であることも間違いない。が、この際指摘しておきたいのは、田我流のフックに性差別的なリリックがあることは批判されなければならないということだ*1。リベラルの間でアンセム化していると言っていいようなこの曲でさえこうなのだからヒップホップのミソジニーの根深さを物語っていると言えよう(しかし、私がこの曲への性差別批判を聞いたことがないのは偶然なのだろうか)。
以上のように反原発の流れは日本語ラップシーンにも大きく影響を与えたわけだが、その中で一人異彩を放っているのがやはりメシアTheフライである。これまた立場がかなりヒネクレている。左翼嫌いなので反原発運動を皮肉るのだが、かといってネトウヨ的原発賛成などではもちろんなくあくまで反権力であり、推測するに、プロレタリアートの側からいっそ革命を目指すべきだというのが、彼のスタンスであると思われる。まずはSATELLITEに客演した「SE7EN」(2011)でのヴァース。「リベラル派からスペシャルゲストとお話をしましょう/それとこれは別モン/皆でシュプレヒコール&レスポンスお手て繋ぎさあ!Let's一緒に滅亡/クレーマーの市民団体がそこまでエスコート」。リベラルと手をつなぐのはあくまで(革命のための?)戦略で、「ほめ殺しの後はこきおろすおめでとう」とのこと(ちなみに同曲のDOGMAのヴァースは「原発から命は延滞料 街にあふれる冷たい熱帯魚」という素晴らしいパンチラインで始まる)。次はPRIMALに客演した「続Proletariat TD4」(2013、ちなみにTDとはメシアとPRIMALコンビのシリーズ曲「東京Discovery」の略)。「チェルノブイリとパン食い競争プルトニウム降る綺麗な東京/この世の果てが近づきましたとさ、あらそうですかだから何か/今に始まったことでもねえからさ悪いけどそれには乗りたくねえ」とここでも反原発運動と距離を置いているが、確かに「鉞」の時点で「ロマンティック プルトニウム降る屈辱の夜」と歌っていたので筋は通っている。むろんここでもプロレタリアート側から歌っており、「Discovery4 階級的武装闘争」「金が物言うこの町中で民の叫びはまたかき消され/trooper音を立て崩れた世界であがくプロレタリアート」とある(「トチ狂ってる反日極左のゲバ棒野郎に国がガジられた」と、左翼嫌いも相変わらずなのだが)。
次は震災以降、現在に至るまでのポリティカルラップだが、見取り図を描くとすれば、中心とすべきはNORIKIYOであろう。彼の主張や主題にとりわけ目を見張るようなものがあるというわけではないが、シーンでの存在感と、継続してそれなりの量を、ということで言えばどう考えてもそうである(シーンからはディスやビーフばかりが取り上げられ、シーン外はECDやSKY-HIばかりを取り上げるという感じで、どうにもNORIKIYOのポリティカル、コンシャスな面が見失われているように見える)。彼の代表的なポリティカルラップと言えばまずは、韓国と中国との関係が緊迫しているなか2012年に発表した「Hello Hello ~どうしたいの?~ 」だろう。この曲については二木信と野田努の合評があるので貼っておく(http://www.ele-king.net/review/joint/002418/)。他には震災後に作ったという「ON THE EARTH」(2011)はコンシャスな内容であるし、世界平和を願った「ありがとう、さようなら」(2011)もある。「仕事しよう」(2013)でも「選挙行かねえヤツに発言権ねえよ」と言っており、311以後政治に意識的になったことが察せられる。ちなみに次作『泥と雲と手』(2014)に収録された同曲のリミックスにはSHINGO☆西成と田我流が参加しており、例えば西成のヴァースに「商売人が政治家になったらこういうことになるなるなる/大企業が金儲けだけ走ったらリストラをやる首刈る/仕事しようにも仕事がないのに仕事しろって言うのもね」とある。ただこのアルバムで最も注目すべきは「耳を澄ませば」である。ヴァース1では「いがみ合ってるじゃん海挟んで彼ら欲しがる金 謝罪と懺悔/俺ら取り合ってばっかだパンケーキ」と中国や韓国などとの関係について歌ったり、「戦闘機飛ぶ沖縄やグアム」と基地問題、「世界中で散ったって聞いた生きたかったと思う俺はみんな/だからもう二度としねえって意味で誓う為にきっとあるんじゃんあの神社」と靖国に触れたりしている(立場としては多少ナショナリスティックなリベラル、という感じか)。ヴァース3では「人を刺し行くって言う奴に包丁売るってのはさ罪じゃねえ?どう思う?/武器作って売って得た金 で、アベノミクスってのは何なのかね?」と明確な安倍政権批判も行なっている。ちなみに、この曲はghetto hollywoodによるMAD動画も製作されている(https://vimeo.com/103136755)。続く「家路」でも「この国がどうお隣がどう まだ揉めてんのか見たよこないだも/誰かが惑星に線引いただけなのに歴史が後ろ髪を引っ張る過去にさ/戦後70らしいこの島国 戦争は知らねえ俺は頭パープリン」「右に傾きそうこの国はバベル?/じゃあさ左が良い?じゃねえ真っすぐ立て」などと歌っている。引用はしないが、次のアルバム『如雨露』(2014)収録の「MUSIC TRAIN」「舵は俺たちの手の中に」、さらに次の『BOUQUET』(2017)収録「CARZY WORLD」「何で?」などもポリティカル、コンシャスな内容である。これらソロ作品に加えて触れておきたいのは、同じSD JUNKSTAのメンバーWAXへの客演「戦争反対」(2014)、KEN THE 390にZORNとともに客演した「Make Some Noize」(2015)である。どちらもNORIKIYOのスキルが全開で素晴らしいが、特に後者だろう。他の二人のヴァースは無視するが(一つも大したこと言ってない)、まずNORIKIYOの出だし。「そう五月蝿い米軍のヘリ飛ぶ座間Base/Hey Say My Name俺は墓石屋の倅/親父来るんじゃねのバブル?ハスるCoffin/勘が良い奴は分かるはずさ察する通り」と、地元が相模原で座間ベースが近いことや、「墓石屋の倅」であるという生い立ちを組み込みながらうまい皮肉を言っている。他に「馬鹿が動かす原発浅はかさ/黒い雨降ってたってさ地はまだ固まらない/のに民は忘れる?それあんた方だ」「半世紀以上も前にBombを貰ってる/墓で犠牲なった奴らが怒鳴ってる」などもパンチラインだろう。
他のものは手短に済ますが、一応パッと思いつくままに挙げてみよう。Moment「Nation's Best Kept Secret」(2011)、AXIS「REBEL MUSIC(反逆音楽)」(2012)、TAKUMA THE GREAT「The Message2012」(2012)、ECDILLREME「The Bridge 反レイシズムRemix」(2013)、Kダブシャイン+宇多丸「物騒な発想(まだ斬る!!)feat. DELI」(2014)、KOJOE x OLIVE OIL「回る ft. RITTO & 田我流」(2014)、HAIIRO DE ROSSI「風たち feat. SHNG02」(2014)、SALU「NIPPONIA NIPPON」(2016)、SIMON「Eyes feat. IO & RYKEY」(2016)、CHICO CARLITO「月桃の花が枯れる頃」(2017)、Bullsxxt「Sick Nation」(2017)、SKY-HI「キョウボウザイ」(2017)、「The Story Of “J”」(2018)、MuKuRo「This is OKINAWA feat.CHICO CARLITO」(2018)。傾向としてはレイシズム、排外主義への批判が増えたということになるだろう。その中でやはり傑出しているのは「物騒な発想」である。「時に物議醸す歌詞も書く」と歌った通り反響も大きく、曲自体の完成度もきわめて高い。また、愛国ラッパーのKダブが「ネトネト粘着 ウヨウヨ湧く」というネトウヨ批判のパンチラインを残していることも重要だろう。
外国人、ハーフ、沖縄出身などマイノリティのラッパーたちが増えたのも特徴だろう。中でも私が最も優れていると思うのはSIMON「EYES」のRYKEYである。この曲の三人のヴァースはそれぞれ「そんな目で俺を見るな」で始まるが、むろんRYKEYの場合これは差別の視線を意味しているだろう(彼はケニアとのハーフであり、代表曲の一つ「ホンネ」には「君も知ってんだろ俺の噂あのハーフとは遊んじゃダメの噂」とある。なお、SIMONもボリビアとのハーフ)。しかし、単に反差別を歌っているわけではないことが重要である。「そんな目で俺を見るな/遠い国では戦では涙さ」と続くが、つまり彼は差別的な視線を遮断するよりもむしろそれを逆手に取り、他者の「目」に映る彼自身の外見を通して、「遠い国」への想像力を、東京の街に持ち込もうとするのである。そこで導入された想像力にしたがって、中東やアフリカの惨状がきわめて詩的に歌われるのだが、真に平和や反戦のメッセージを支えるだけの詩的な強度を持っているのは、この曲のRYKEYくらいではないかと思われるほどである。ただこれも、論じ始めると長くなるので割愛する。
このくらいで一通りはさらえただろうか。もちろん紹介しきれなかった曲もあるし、見逃している曲も多いだろうから、ヒップホップ警察お得意のアレがないコレがない議論を期待しておく。
ヒップホップと「ミソジニー」について
ヒップホップの「ミソジニー」について、椿の『フリースタイルダンジョン』での告発を主なきっかけとして、日本でもここ最近特に取り沙汰されるようになった。これについては、私もヒップホップファンの一人として無責任なことではない(というよりも紙媒体にヒップホップについて複数書いてきたのだからより責任は重いだろう)。しかし、そのとき「またそこからですか」(RHYMESTER「ガラパゴス」)の感を抱かないわけでもない。ミソジニー批判を聞き飽きたというのでは決してなく、ミソジニーについての議論がいまだきわめて初歩的な段階にとどまっているからである。批判者を責めているのでもない。それほどに日本のヒップホップシーン及びそれを取り巻く批評的言説が遅れているのだと解釈されるべきことである。私も問題を放置してきた一人であることは認めた通りだ。敬意をはらうべき告発が注目を集めているからこそ、これからより深い議論が行われることを望む。だから、私がその役を引き受けるべきかいまだ自ら疑問でもあるのだが、「ONCE AGAIN」の気持ちで筆を執った次第である。まず、当然のことだがミソジニー批判は活発に行われるべきだという点を明記しておく。しかし、私がここで行いたいのはそれではない。大きく分けて二つである。まずは、ミソジニー批判の基礎的な議論を振り返っておく。できるだけ「またそこからですか」は少ないに越したことはない。その次に、ヒップホップにおけるミソジニーの問題がどこにあるのかを探る。問題が改善するのに一役買えればと思う。
ヒップホップにおける性差別は長らく指摘され続けている問題である。日本でもこれまで指摘されてこなかったわけではない。しかし、MCバトルブームを機にこの問題が日本でもようやく重要なものとして認識され始めているかに見える。そのとき活発な批判、議論は重要だが、その精度もまた同じくらいに重要である。おそらくそこで問題となるのは、ミソジニー批判派とヒップホップ擁護派の間の論争である。それ自体は行われるべきことだ。だから私もはじめに、いま行われているミソジニー批判に対していくつかツッコミを入れておきたい。当然誰にでもミソジニー批判に対して批判する権利はある。しかし、それが問題をはらまないわけではないということをあらかじめ言っておく。だからその次は、そうした問題点を明らかにするために、アメリカのヒップホップとミソジニーについての議論を見ることにする。そこでヒップホップとミソジニー批判についての、一般的で基礎的な点がある程度明らかになればと思っている。
まずは、いま行われているミソジニー批判を吟味してみよう。ミソジニー批判のときに、「そもそもヒップホップは性差別的な文化であり~」といった言い方がよく見られる。それ自体は正しい。しかし、それがほとんど常識であるかのような口ぶりには、違和感を覚えないでもない。例えば最近大きな話題や共感を呼んでいた「あるリスナーの葛藤:hiphopのミソジニーと無自覚について」(https://i-d.vice.com/jp/article/3kyk88/hiphop-misogyny-and-unawareness)という記事で、「イヴ・セジウィックは女性嫌悪と同性愛嫌悪を保持する男性同士の閉鎖的連帯を指して「ホモソーシャル」と名付けたが、HIPHOPはまさにこの典型だ」として、TY-KOHの「オンナはセックスだけでいい」という発言が「コミュニティのありようを端的に表している」と書いている。これを見逃せない誇張だと感じるのは私だけだろうか。もちろんその発言は批判されなければならないが、元記事でインタビュアーの伊藤雄介が「女性に失礼な気もしないでもないけど、まあいいや……」と諫めてはいることに触れないのはどうかと思うし(それが甘いという批判はありうるだろう)、フライボーイの強固な仲間意識は例えば「バイトしない」「Day Ones」などのように彼らの売りであるからシーンの中でも特に際立ったものであり、さらにそれは川崎のストリートの状況と切り離せないといった事情があるはずで、そうした個々のリアルの単独性に触れず「コミュニティのありようを端的に表している」とまで言い切るのもどうなのだろうか。また、記事では『文化系のためのヒップホップ入門』から引用した後に「ミソジニーは社会全体の問題だが、HIPHOPの場ではより煮詰められたミソジニーが可視化されるのだ」と書いているが、同書には「(筆者注:「暴力的なリリックや女性蔑視の要素」は)メインのリスナーがティーン男子のポップ・ミュージックに運命づけられた性質だと思っています。ロックだって同じようなものだし、ヒップホップだけを責めるのはどうかなと」という長谷川町造の発言が記されており(この意見自体への批判は当然ありうる)、そのことを検討せずに「より煮詰められたミソジニー」とまで言うのは公平と言えるのか。もちろん、だからミソジニーが免罪されるなどというわけでは決してない。批判のときに、事実を曲げてよいのかということが言いたい。
後で詳細に触れる栗田知宏「「エミネム」の文化社会学」(『ポピュラー音楽研究 Vol.11』)、及び「「差別表現」の文化社会学的分析に向けて」(『ソシオロゴス NO.33』)という論文を参照しつつ、こうした問題を少し掘り下げて考えてみよう。まず、そもそもヒップホップの暴力的、性差別的リリックが非難されるようになったのは、N.W.A.をきっかけに登場したヒップホップのサブジャンルであるギャングスタ・ラップが隆盛した90年代以降である。あえてこういう言い方をすれば、ヒップホップが暴力的で性差別的であるという「イメージ」はそのときに作られたものである。例えばトリーシャ・ローズが、「Cop Killer」が大きな議論を呼び起こしたときに、批判する側が「終始この曲をヘヴィ・メタルではなくラップと呼び続けたこと」自体に人種的偏見が潜んでいると喝破したことが引かれ、「ヒップホップに社会的批判が集まりがちな状況は、そこに人種という要素が作用しているからだという見方は少なくない」のだと書かれている。データは古いが例えば、栗田文の参考文献にもなっているエドワード・G.アームストロング「GANGSTA MISOGYNY: A CONTENT ANALYSIS OF THE PORTRAYALS OF VIOLENCE AGAINST WOMEN IN RAP MUSIC, 1987-1993*」(https://www.albany.edu/scj/jcjpc/vol8is2/armstrong.html?ref=dizinler.com)という論文では、「"only" 22 percent of gangsta rap music songs dealt with violent and misogynist lyrics」という集計結果が出されてもいる(こういう研究の新しいものはすでにあるだろうがそこまでは調べてない。その後おそらくより増えているだろうとは予想されるが、あまり適当なことも言えない)。『文化系』で大和田俊之が「もちろん、あらゆるポピュラー音楽が女性差別的な側面を多かれ少なかれ持っているのですが、ヒップホップほどセクシスト(性差別主義的)でミソジニック(女性蔑視的)な側面が非難されているジャンルも少ないと思うんです。でも実際には女性のラッパーもそれなりにいるわけですよね」と言っているのは、おそらくこうした議論を念頭に置いてのことだろうと思われる。そしてこうしたヒップホップに対する偏見やステレオタイプは、人種的な問題がアメリカほど前景化されていない日本にも流れ込んでいることは確かであろう。前段落で指摘したこともおそらくそれが原因だが、それに加えて例えば、「『ヒプノシスマイク』の「女尊男卑」設定は、ミソジニーを表現する免罪符にならない」(https://wezz-y.com/archives/57096)という記事で、その問題が「ミソジニーやホモフォビアが目に見える形で表現されることが多く、女性にとってとっつきやすい文化だとは言いづらい」「現実のヒップホップカルチャーとの接続は明らか」であるとされているのには、人種の問題は直接絡んではいないが、「Cop Killer」の場合と似たような強い違和感を覚える。確かにラッパーは絡んでいるが、一義的には明らかにオタク系文化の問題であり、次にオタク系文化と親和的なものとなった今の日本のMCバトルの問題であり、ヒップホップとは間接的な関係しかないはずだからだ。カルチュアル・アプロプリエーション的な観点からの検討も必要だろう(あれをヒップホップと引き付けるのなら、ヒップホップ的な評価を加えてもいいことになるが、それでいいのだろうか。というのも、ヒップホップ的にはどう考えてもクソダサいからだ。むろん、そうしたディスは不適当だろうから、やはりヒップホップとは間接的な関係しかないと言うべきだろう)。
以上が少なくとも私にとっては妥当だと思える再批判の例である。おそらくその内容自体はそれほど間違ったものではないだろうと思う。しかし、これらは些事に過ぎないということの方が重要である。その内容がいかに妥当であったとしても、こうした言説に問題がないわけではない、ということが本題なのだ。いや、むしろ大きな問題を抱えていると言った方がいい。というのも、こうした言説は、もとのミソジニーの問題への視線を逸らし、また批判の言説を抑圧するようにもはたらいているからだ。とはいえ、私は上で述べたこともまた必要なことだったと思っている。一般化すれば、次のようなジレンマにハマったと言えるだろう。ヒップホップについての知識を欠いていたり、不正確なミソジニー批判は有効なものとはなりづらい、かといって些細な揚げ足取りばかりしていては問題を放置するのと同じである……。
だからここで、アメリカですでに行われたこうした論争を振り返っておくことは、日本とは事情が異なるとはいえ無駄ではないはずだ。取り上げるのはヒップホップ研究のパイオニアであるトリーシャ・ローズの第二のヒップホップ論『The Hip Hop Wars: What We Talk About When We Talk About Hip Hop--and Why It Matters』(未邦訳)である。ローズはそこで、ヒップホップのセクシズムに対する批判を二つに分けており、この視点がきわめて有益である。一つ目は、セクシズム批判を黒人が異常devianceで、劣等であるinferiorityといった概念を強化しようとすることに用いる保守派たち。二つ目は、ヒップホップのセクシズムを憂慮しているが、基本的にはヒップホップを愛しているようなリベラルたち。政治や人種の問題は日本のミソジニー批判ではさほど前景化していないが、やはりこの区別は使えるだろう。日本語ラップもまた数々の偏見に晒されてきたのだし、また現在は例えば警察が麻薬での逮捕やクラブの検挙などでヒップホップを潰そうとしているのだから。まず、前者のグループのような、良識を装った欺瞞はクズ以外の何物でもないので論じる必要もなかろう(セクシズム批判に限らなければ、例えば古くは朝日新聞記者西田健作、最近では柴那典とダイノジ大谷などがこのようなクズの典型となる)。むしろ重要なのは、以上のような二つのグループの境界が明確ではないということである。例えば、黒人女性を侮辱する言葉が元は白人の保守派に由来するという歴史があるように。日本での状況にも当てはまるように話を敷衍するならば、例えばヒップホップを愛していながらミソジニーの問題と向き合わないならば、それはマイノリティを抑圧しているのにほかならないし、反対にヒップホップを愛するからこそのミソジニー批判であっても、その批判の仕方次第ではヒップホップに対する偏見を強化することに加担してしまうケースもありうるということだ。このような複雑さを直視することが重要である。
むろん、だからといってミソジニー批判が活発に行われなければならないということに変わりはない。その時、今述べたような複雑な問題が絡むことは必然である。だが、ミソジニー批判に対するヒップホップ側からの反論(というか言い訳)には典型的なパターンというものがある。ローズはそれぞれを吟味しており、それを見ておくこともまた有意義だろう。そのパターンとして以下の六つが挙げられている。
(1)社会がセクシストなのだ society is sexist
(2) アーティストは彼ら自身を表現するときに自由であるべきだ artist should be free to express themselves
(3)ラッパーは不公平に(批判の対象として)選び出されている rappers are unfairly singled out
(4)私たちは根本にある問題に取り組むべきだ we should be tackling the problem at the root
(5)厳しい現実を聞くことは私たちの指針となる listening to harsh realities gives us road map
(6)性的侮辱はラジオやビデオ放送から消されている sexual insults are deleted from radio and video airplay
これらはすべて、ある程度は真っ当であるが、それと同じ程度かあるいはそれ以上に誤っている。ローズの考えを簡単に紹介しておく。まず(1)の主張自体は確かであるが、しかしそれは問題を広げ過ぎていて(今生きている人類の中に性差別を発明した者がいるわけではないのだ)、ヒップホップに対する妥当な批判を沈黙させることにしかならない。(2)ローズは表現の自由を口にする企業側に焦点を絞っている(日本はアメリカほどヒップホップが売れないので事情は違うが、『フリースタイルダンジョン』のアベマなどには当てはまるかもしれない)。商品の性差別表現を責められて表現の自由を口にする彼らに対するローズはクリティカルである。ならばなぜ反戦や政府批判などについても表現の自由を与えないのか、と。(3)は、上での私からの再批判や引用した長谷川の発言などと絡むので重要である。まず、ローズもヒップホップの性差別への非難が人種問題と絡んでいたり、ただ「彼ら自身の議題を満たすため」だけにそれらが論じられていたりするといったことについては認めている。当然、そうした不当な批判はある。だが同時に多くの黒人女性からの批判も行われているのを忘れてはいけない。また外野からのヒップホップに対するセクシズム批判を受けて、それを人種的偏見だと言うとき、彼らが感じているのは「黒人男性」が攻撃されているということに過ぎず、女性が忘れられている、と。(4)確かにヒップホップがセクシズムを作ったわけではないが、黒人女性に対するセクシズムに限れば、ヒップホップがステージの中央に立っていることに違いはないのだと言う。なぜなら、ヒップホップは周縁にあり貧困や差別に苦しむコミュニティの声を「レペゼン」してきたのだから(それはラッパーたち自身が主張することでもある)。実際、コミュニティの中でヒップホップの果たす役割は大きい。したがって、ヒップホップがすでに存在しているセクシズムを保持し、増幅させている面があることは疑いないのである。(5)ラッセル・シモンズが引かれる。ラッパーたちは、誰もが避けて通りたがるミソジニーやホモフォビア、暴力を積極的に扱っているのであり、それが「指標road map」となるはずだと、シモンズは主張している。しかし、何の批評性もなく歌われる事柄は、truth-tellingだと取られて仕方ないだろう。実際、暴力的な内容についてはそれがリアルなことだと解釈された方が都合がいいのだろう。しかし、性差別を批判されるときはどうだろうか。ローズは、そこになんらかの批評性があるか否かが重要であると考えている。そうでなければその「指標」は私たちをどこにも導いてはくれないのだ、と。(6)まず、ローズは政府による検閲に対してはきわめて警戒しており、明確に反対している。しかし、政府による検閲と大衆への責任は分けなければならない。例えば、規制音やクリーンバージョンなどはある程度は有効だが、やはり限界があるだろう。単に決まった単語を消したり入れ替えたりするだけで、差別的でなくなるのかと言えばそうではない。また、クリーンバージョンがフェイクでダーティーバージョンの方がオーセンティックだと捉えられるという事態もたびたび起きる。
人種の問題や、商業的な規模の点で日本とは事情が異なるが、参考にならないわけではなかろう。重要な点は、ヒップホップの闘争や固有の文脈をきちんと見たうえで、しかしそれと同じ程度にミソジニーに対する意識を持つことであろう。あえて言うまでもないが、アメリカのそれと同様に日本語ラップもまた様々な戦いの中にある。貧困、人種差別、音楽産業等々。しかし、それが可能であるということは、ミソジニーを後回しにしておいてよいということではなく、ミソジニーに対する戦いもまた日本語ラップにおいて可能だということを示しているのだと解釈すべきなのだ。
ミソジニー批判とヒップホップ擁護の問題については以上だが、次に、日本におけるミソジニー批判に欠けていると思われるものを指摘しておきたい。それもまたきわめて基礎的な事柄だが、あまりこうした議論がなされているようには見えないからだ。上で触れた「あるリスナーの葛藤」は、「ラップは好き、でもミソジニーはきつい」という一言に要約しうる。おそらくそれが多くの人が抱いている感情であったために、記事が話題となったのだと思う。それ自体は真っ当なヒップホップ観である。だが、「HIPHOPに内在された差別」と書き、また「ストリートカルチャーに対してポリティカル・コレクトネスを説く行為の暴力性は無視できない」ためにヒップホップのミソジニー批判が難しいのだというとき、そこに見落とされているのは、ヒップホップがヒップホップ的にミソジニーを批判し、改善しうる可能性ではないだろうか。これこそが、私が強調しておきたいことである。
Joan Morgan『When Chickenheads Come Home to Roost: A Hip-Hop Feminist Breaks It Down』(1999年、未邦訳)という本がある。著者の人生を語りながら、ポスト公民権運動、ポストソウル時代、つまりヒップホップ世代のフェミニズム、「ヒップホップ・フェミニズム」というものを提唱したもので、いわゆる第三波フェミニズムに数え入れられてよいものだろう(ちなみに、ローズの前掲書でも引用されていたり、私も読んでないが同じ著者のローリン・ヒルについての著書が最近出版されたりもしてもいる)。英語版だが、ウィキペディアにもこの「ヒップホップ・フェミニズム」のページ(https://en.wikipedia.org/wiki/Hip-hop_feminism)があるくらいだからある程度一般化しているものと見ていいだろうし(というかこのウィキのページは結構な充実度)、事実これの後を追うようなヒップホップ・フェミニズム関係の本は数多く出ている(ほとんどが未邦訳であるから次々に翻訳されていってほしいものである)。それら議論の蓄積を紹介することや、他のフェミニズムとの関係を論じるなどといったことは当然私の能力の及ばないことであるから、他の専門家の方々にお任せすることとして(是非ともお願いしたいものである)、ここでは非力ながらモーガンのヒップホップ・フェミニズムの基本的な立場を見ておくことにする。実は、この本を紹介したいのはそれが基本的な文献だからという以上に、「あるリスナー」とモーガンが、約20年のタイムラグと日米の隔たりがあるにもかかわらず、ある地点までは驚くほどに酷似しているからである。解説にある要約の文章から引くとそれがより分かりやすいだろう。モーガンは次のことを問うている。
Is it possible to like this music despite the fact that it contains so much misogyny? Are you able to listen to the music and use it as a tool to understand how community works, as Morgan advocates, or would it be better to silence its violent content?
(筆者訳:ミソジニーをとても多く含んでいる事実があるにもかかわらず、この音楽(筆者注:ヒップホップ)を好きでいることは可能だろうか。モーガンが支持するように、コミュニティがどのように機能しているのかを理解するためのツールとして音楽を聴きまた用いることは可能か、あるいはその暴力的な内容を沈黙させることは良いことであろうか。)
ただし、きわめて類似している点がある一方、両者の間には明確な違いがあり、ここではそちらを強調しておきたい。モーガンはいかにそれがミソジニーに溢れているとしても、ヒップホップとフェミニズムを相いれないものだとはしないのだ。確かに、モーガンも同じように性差別的なリリックに傷つき、またドレやスヌープ、アイス・キューブなどを批判している。その「葛藤」にもかかわらず、彼女はヒップホップとフェミニズムを出会わせようとするのだ。
We need a feminism that possesses the same fundamental understanding held by any true student of hiphop.
(私たちには、真のヒップホップの生徒の誰もが持っている、共通の基礎的な理解を保持するフェミニズムが必要である。)
素晴らしいパンチラインだと思うが、ではヒップホップの何がこうしたフェミニズムを可能にしてくれるのか。モーガンが考えるヒップホップの最良の部分は「its illuminating, informative narration and its incredible ability to articulate(後略)」という箇所に集約されていると言えよう。すなわち、「問題を照らし、情報を与えてくれる語りと、(筆者注:コミュニティや個人の痛みなどを)はっきりと口にする驚くべき能力」である。「黒人のためのCNN」(チャック・D)の話を思い出すまでもなく、これは疑いないヒップホップの本質である。それは当然(理念的には)「黒人女性のためのCNN」を排除しない。だから、ヒップホップ・フェミニズムと聞いて意外だと思うような人物には「HIPHOPナメんな」と言うべきであろう。ヒップホップの政治性を考えるときに重要な視点は、必ずしもそれがコンシャスであるかを問わないということである(『ラップは何を映しているのか』などを参照)。それがヒップホップのリアリズムの重要な点であり、だからN.W.A.やBAD HOPも政治的でありうる。モーガンもまた、例えば「リル・キムよりもクイーン・ラティファ」を選ぶような頭の堅いフェミニストを批判してもいる。むしろ多くの女性ラッパーの声の中からリアルを見出だそうとするのだ。これを日本に置き換えてみれば、例えば椿と同様あるいはそれ以上にELLE TERESAが評価されなければ何ともバランスが悪いということになるだろう。
こうして考えてみると、「ストリートカルチャーに対してポリティカル・コレクトネスを説く行為の暴力性は無視できない」ためにヒップホップのミソジニー批判が難しいのだという「葛藤」は、むしろストリートカルチャーだからこそ可能な批判の形へとさらに一歩進みうるということが明らかになる(もちろん、PCによる批判が無駄だというのではない)。こうした視点を持つならば、例えば記事で触れられているSALU「夜に失くす feat. ゆるふわギャング」は、「なんとなくまだ眠りたくない夜」にピッタリというだけでは到底片づけられない重要なものとなるだろう。つまり、この曲のユートピア的な主題がゆるふわギャングの過酷なストリートからの脱出というストーリーと深く関係があるだろうことが浮かび上がってくるし、ましてやMVで誰の目にも明らかなドデカイ「SEX」を首に掲げ、「ロックスター」のように堂々と歩くSophieeのまさしくヒップホップ・フェミニズム的振る舞いを見落とすことも決してできなくなる、というわけだ。
このように、モーガンの視点はヒップホップのリアリズムとPCとの問題にも重要な示唆を与えてくれるものである。そこで次に、フェミニズムに限らないヒップホップ一般の闘争について、少し立ち入るのがよいだろう。最近読んで啓発的だった中村寛「ケンドリックのディレンマ」(『ユリイカ』2018年8月号)を参照してみる。
(筆者注:アフリカ・バンバータの取り組みに代表されるように、ヒップホップに平和主義的な側面がある一方)だがヒップホップは、それ自体が闘争的な表現であり、悪くすると「暴力的violent」と見られる傾向が強いし、表現者も製作者も販売者も、そうした「過激さ」や「マッチョな勇ましさ」「暴力性」を演出し、ポルノグラフィ化し、売りにすることさえあるように見える。フォックス・ニュースなどに代表される保守系メディアは、それに狙いを定めるかのように、繰り返しラップの歌詞を時には曲解して非難してきたし、それを受けて曲中で反論を試みる者もいれば、逆に「宣伝の機会」と受け止める者もいる。ラップという表現の特徴は、だから、いくつものレベルで、何重かの闘争を余儀なくされているという点だと言える。
ここからさらに、「暴力性」と「敵対性」の概念を区別する酒井隆史『暴力の哲学』の知見を借りて、ヒップホップが「≪反暴力≫の地平」を切り開くことの望みを記すのがこの論のハイライトなのだが、そこまでは立ち入らない。まず、「闘争」と「暴力」が別のものであること、「何重かの闘争」と「暴力」の間の複雑さが、基礎的だがきわめて重要である。例えば、アイス・キューブが暴動前夜のロサンゼルスの過酷な状況を描くには「暴力的」な表現が不可欠だった。それこそが彼の偉大な「闘争」を可能にしたのである。しかしその暴力性は別の方向にも向けられたのであり、その「レベル」から見れば、彼は性差別主義者であり、コリアン・コミュニティに対する人種差別主義者でもあった(後に謝罪し和解する)。だからヒップホップのリアリズムとPCの関係は繊細なものとならねばならない。このとき中村は、時に正しさから逸脱するかもしれぬヒップホップの「呪詛や嘆きの言葉」を、傷ついている個人に対して向けることは当然禁じられ、権力に対してのみ向けられるべきだとしたうえで、「部外者にとってそれがどれほど「暴力的」に見えようと、それを言葉にして表現する回路が閉ざされてはならない」と力強く主張している。そして、モーガンの立場はこのような、ヒップホップのリアリズムが可能にしてくれる「呪詛や嘆きの言葉」をも、フェミニズムに積極的に取り入れようとする、ある種柔軟なものだと言えよう。もちろん、ヒップホップシーンのミソジニーを批判することと、ヒップホップから社会のミソジニーを批判することは別だが、それを包括するような視点で議論が行われるべきだろう。そのためにはやはり、ヒップホップ・フェミニズムは欠かせないものとなるのではないだろうか。
ただし、ここで再び注意を喚起しておきたい。「闘争」などを云々することについても、リスクがないわけではないということだ。ヒップホップの政治性に目を向けないことは欺瞞である(これがMSCあるいは少なくともANARCHY以後の日本語ラップにおいても同様であるというのは常識である)。そしてこのようなリアリズムが、ミソジニーの問題と切り離せないものであることも事実である(それを無視しては、ローズが批判した保守派の言説と限りなく近づくだろう)。だが、それを言いすぎることは、ミソジニーの問題を隠蔽するようにもはたらきうるのだ。つまり、先に少しだけ触れた栗田文が言うように「「抵抗」という表現の審美性が強調・美化され、そこで行われている女性や同性愛者に対する差別的な表現の使用が不問に付される」という事態に陥る危険性があるということだ。十分に警戒すべきことである。
では次に、ヒップホップにおけるミソジニーの問題が、ヒップホップのどこにあるかを検討する。まずは現在の日本でのヒップホップのミソジニー批判において、ヒップホップのどこに問題があるとされているのかを確認しよう。その代表的なものはヒップホップが閉鎖的であり、その閉鎖性をホモソーシャルと結びつけるという批判の形である。そして、それはある点では正しい。だが、注意が必要である。というのも、日本では「外野」(RHYMESTER)からの批判が向けられるときに、必ずといっていいほど頻繁に見られるのもまた、あるヒップホップの問題はシーンの閉鎖性に由来するという形の二重の批判であり、「日本語ラップが猿真似なのは~」「日本語ラップが売れないのは~」等々いくつも例は浮かぶ。(ミソジニーの場合は後で個別に検討するが)それらの多くは短絡に過ぎない。だからまずは、ヒップホップが閉鎖的だと誰もが当然のことのように言うが、それは本当だろうか、というそもそも論から始めたい。素朴な話、今最も世界中で聞かれ、また実践されている音楽の一つはヒップホップである。私にしてみれば、金がなくてはできないだろうクラシック、古臭い産業構造に縛られ、歌詞やメッセージの制約もガチガチだろうJポップ、それこそジェンダー的に最も窮屈そうに見えるアイドルなどに比べて、ヒップホップはなんと開放的で自由なのだろうかとさえ思うのだが……。また、「日本語ラップダサい」と足を引っ張り続け、少なくともかつてはアジアのヒップホップの先頭を走っていた国を、いつの間にか誰の目にも明らかなヒップホップ後進国にした「閉鎖的」な人々はどこの誰であろうかとも尋ねたくなる。愚痴はこのくらいにしておくが、まずは、きわめて初歩的なことを指摘しておきたい。ヒップホップの閉鎖性ばかりが言われるが、そこにきわめて開放的なユートピア主義が刻まれていたことが忘れられてはいないか、ということである。そしてその両者が備わっていることこそが、ヒップホップというジャンルの最も偉大な点ではなかったか。すなわち、どちらも1982年に発表された二つのクラシック中のクラシック、「The Message」と「Planet Rock」の対照性のことを指している。前者が、ニューヨークのローカルな風景を描写して「リアリティ・ラップ」の起源と呼ばれるのに対して、後者がヒップホップに性別、年齢、国籍、人種を超えるグローバルな普遍性を付与したものであるというのは基本的な論点である。そしてこの両者の配合、つまりヒップホップという手段自体は世界に広がってゆくことができ、それぞれの場所、立場からリアリティを描き出すことができるということこそが、ヒップホップの特質であり、発展の歴史そのものである。また、宇多丸が日本語ラップの実践を正当化/弁明したのもまた、この点に基づいてのことであった。つまり、ヒップホップに参加する権利は、生まれや国籍、人種、そして性別を問わず誰に対しても与えられている。だから、ヒップホップの理念そのものには、閉鎖的、差別的なところはないというところから始めなければならないのではないだろうか(アフリカ・バンバータに性的虐待の容疑がかけられていたとはいえ、やはりそうであると言いたい)。もちろん、現実にはヒップホップシーンにミソジニーは存在している。その問題の在りかを正確に見極めることが重要であるはずだ。
そのために、この「閉鎖的」が何を指すのかをはっきりさせる必要がある。「あるリスナー」はこう言っている。
ライターの長谷川町蔵は、HIPHOPとは音楽ではなく「一定のルールのもとで参加者たちが優劣を競い合うゲームであり、コンペティション」なのだと述べた。「ゲーム」の「参加者」の多くが強固なホモソーシャルを形成している以上、HIPHOPは「男が男を褒め、男が男を貶す場」なのだ。この磁場の上では、女やクィアはいつまでたっても「よそ者」のままである。
この非常に有名な長谷川の「コンペティション」の定義は、私も優れたものであると思っている。また、この箇所が現状の観察としては妥当であることも疑いないことである。そのことは検討するが、その前に言いたいのは、日本でヒップホップが「閉鎖的」と言われるとき、その実何が非難されているかといえば、それは「コンペティション」に他ならないということだ。キングギドラ「公開処刑」でのKJへのディス(とそれに対するファンの反応)や、SEEDAとVerbalのラジオ対談を思い出せばよい。しかし、上で引用されている長谷川の発言のすぐ後に、「日本の洋楽ファンって、やたらとヒップホップに他ジャンルとのクロスオーバーを求めるじゃないですか。でもそれはバスケットボール選手に「なんでボールを持って走らないんだ?」って文句を言ってるのと同じなんです。ゲームのルールは守んなきゃいけないんですよ」と記されている通り、そうした批判はまったくのお門違いであり、嫌ならヒップホップではないラップ・ミュージックをやればいいだけの話である(実際、ラップはするがヒップホッパーではないと公言しているアーティストは多数いる)。しかし、このコンペティションとミソジニーが無関係ではないというのは、(結果としてはやはり)正しいことである。順を追って見ていこう。
ここで栗田の論文の本題が重要なものとなる。エミネムの成功と差別表現の密接な関わりを暴こうとするもので、詳細に理路を追うことにする(私見では、ヒップホップの差別表現について日本語で書かれたものの中で最良のものであり、またネットでも読めるのだが、その割にあまり言及されないように見える)。まずは、ラップのリリックのステータスを定めなければならない。そこで、リリックの内容を批判されたラッパーが口にするお決まりのパターンが、アイス・Tを例に紹介される。つまり、ラップはただの「与太話」に過ぎず、深い意味などないのだというもので、「真に受けんな」(呂布カルマ)もその一種であろうし、キングギドラがリリックのホモフォビアを批判されたときに口にした「比喩」というのも同じだろう。しかし、その一方で彼らが歌う物語は「現実reality」なのだとも主張される。これは明らかに「ダブル・スタンダード」である。であるのだが、それを虚構なのか現実なのかとぎこちなく批判しないところが栗田文の優れたところであろう。そのようなバカ正直な批判は、むしろ本質を見誤らせることになるからだ*1。つまり、そもそもヒップホップにおいて現実かフィクションかという対立図式は重要ではないのであり、「真正性authenticity」の観点から見るべきだということだ。オーセンティシティはここでは、「ある楽曲を「ラップ」であると主張する際に持ち出され、演じ手たちによって「本質的」に含まれるべきだと考えられている諸性質」だと説明されている*2。そこで、栗田文の先行研究として引かれているエドワード・G.アームストロング「Eminem's Construction of Authenticity」(https://www.tandfonline.com/doi/pdf/10.1080/03007760410001733170)の視点が紹介される。アームストロングによれば、ラップにおけるオーセンティシティは「自身に正直であることtrue to oneself」、「地域的な忠誠とアイデンティティ」、「演じ手がオリジナルなラップとの関係や近隣性を有しているか」の三つの指標によってはかられるのだという。これらは確かにヒップホップファンならば共有している価値観だろうと思われる。だが、アームストロングは「But authenticity is more complex than where you’re from and whom you know」(しかしオーセンティシティは、ひとがどこから来たのか、誰を知っているのかといったことよりも複雑である)として、社会学的なもう一つの三分類を提示している。「(1)人種」、つまりヒップホップが黒人のものであること。「(2)ジェンダー/セクシュアリティ」、男性の異性愛者のものであること。「(3)社会的ポジション」、ストリートの、貧困層のものであること。これも理解しやすいものだろう。
ここまで来てようやく、本題のエミネムに入れる。アームストロングは、これらオーセンティシティの観点から、大変興味深い指摘をしている。エミネムがなぜオーセンティシティを獲得しえたか、それは彼の差別表現の使用法と関係があると言うのだ。ここでヒップホップの性差別のシステムが暴かれているのだが、それはどういうものだろうか。決してNワードを使わないことがエミネムのポリシーとさえ言えるものなのだが、それは彼が黒人文化に大きなリスペクトを持っていることの証としてもはたらく。しかし、彼は性差別表現については控えない。これを追求したインタビューも引かれているが、ともかく、これが白人である彼がヒップホップにおいて地位を得ることができた要因の一つであったと指摘されているのだ。図式的に言えば、彼は白人だがNワードを決して言わぬことで黒人をリスペクトしていると見なされて(1)が、性差別表現を用いることで(2)が、白人貧困層である出自によって(3)が満たされたというわけだ。そこで栗田は、『The Source』が、昔のエミネムが黒人女性に対して差別的なことをラップしている音源を引っ張り出してエミネム批判を大々的に繰り広げたとき、その実批判されたのは黒人差別であり女性差別でなかったことを指摘し、「複合差別」(上野千鶴子)だとしている。つまりエミネムのケースから見えてくるのは、ヒップホップにおいて性差別は黒人差別よりも軽いものだとされているということだ。
ここからさらに引き出せるのは、ヒップホップのミソジニーはまずオーセンティシティの観点から見られなければならないということ、そしてオーセンティシティの指標にこそ性差別を助長するようなシステムがはたらいているということである。
ただ「オーセンティシティ」とは言うものの、それはあらゆるジャンルに存在しているものである。アームストロングは「But different kinds of popular music have “different authenticities”」(しかし、異なる種類のポピュラー音楽は「異なるオーセンティシティ」を持っている)と書いている。それぞれのジャンルにおいてオーセンティシティを構成するものは異なっており、そのジャンルにおける軽重もまちまちである。そして、「Alan Light, editor of Spin magazine, believes that authenticity is deeply important in rap, more so that any other musical genre」(『スピン』誌の編集者アラン・ライトは、他のどんな音楽ジャンルよりも、ラップにおいてオーセンティシティは非常に重要なものであると信じている)と紹介されているように、ヒップホップにおいてそれは特に尊重されねばならないものである。では、ヒップホップに固有の「オーセンティシティ」とは何なのか。栗田は「ヒップホップ<場>におけるラップの正統性指標で極めて重要なのが、「リアルであり続ける」という態度である」と正しく記している(注で述べた通りこの「正統性」は「オーセンティシティ」と互換的なものと解釈する)。それはアームストロングの指標によってはかられるとされているのだが、それでは不十分である。なぜなら、そうした「リアル」というオーセンティシティが、どのように作り出されてゆくのかについての視点を欠いているからである。それを補うのが、岩下朋世「「リアル」になること」(『ユリイカ』2016年6月号)である。ヒップホップでよく言われる「リアル」とは何なのかを探ったものだが、まず重要なのは、「リアル」が「コンペティション」と結び付けられていることである。岩下も同様に、『文化系』の長谷川の「コンペティション」の定義を引いたうえで、その競争が何をめぐるものであるのかについて分け入る。「そこで競われているのはラッパーの「キャラ立ち」の優劣だと言っていいだろう」。そして、「そこで表現される「自分」が、「リアル」であることを証明する必要がある」としている。つまり、ヒップホップにおいて重要なオーセンティシティは、コンペティションを通じて、自らを「リアル」だと証明することによって獲得されるものだということだ。そのとき、岩下はこの「リアル」の生成過程を次のように記述する。
ラッパーが「リアルである」と評される時に、それは何に対して「リアル」なのか。まず考えられるのは「彼のラップはリアルだ」などと評される場合で、その時にこうした評価を支えているのは、その内容が彼の実人生に即した「ウソのない」ものだ(と感じられる)ということだ。(中略)ただし、単に「ウソのない自己像」をラップしただけで「リアルなラップ」という評価を得られるかといえば、話はそう単純ではなく、そこで描きだされるラッパーの生き様が「リアルであるか」も、その時には同時にはかられている。ウソがなければどんな生き様をラップしても「リアルである」と言ってもらえるわけではない。そこには、たしかに語るに値する「生き様」とそうでない「生き様」との間での線引きがある。
ここから、「リアル」に二種のものがあるということが言えそうである。まず「ウソのないこと」、次にヒップホップ的にイケてる(「たしかに語るに値する」)こと。もちろん、「ウソのないこと」が「リアル」な場合の方が多いのかもしれないが、ヒップホップ的にリアルな嘘というのもあり得るということは、現実とフィクションの区別が重要でないということからも明らかである。そして、この二つはそれぞれ次のようにして評価されるものである。前者の「リアル」は、リリックとラッパー(の実人生)が「リアルに」(=ウソなく)結びついているのか、という基準によって。これが相互的なものであることを忘れないようにしよう。ラッパーは自身の過去を歌うのだが、同時に歌うことで自身がどのようなバックボーンを持つラッパーであるかを構築してゆくのでもあるからだ。次に、そこで歌われている事柄がヒップホップ的に「リアルである」(イケてる)か、という判定基準。例えば、MSCの有言実行ルールは前者の「リアル」を極端に突き詰めたものであるが、その滑稽なほどに徹底した姿勢自体が後者の基準から見ても「リアル」である。あるいは、エミネムのスリム・シェイディは虚構のキャラクターだから前者の点では「リアル」(ウソでないこと)ではないが、後者の点からして、(そこに性差別が深く絡んでいたとはいえ)社会の鬱憤を表現して「リアル」なのである。
アームストロングの分類と混乱してしまうかもしれないので、一度整理をしておく。まず、岩下の言う前者の「リアル」についてはアームストロングの「自身に正直であることtrue to oneself」とほぼ同じものだと見てよいだろう。主体と表現の間の結びつきが「true」であるということは、もちろん「oneself」に対してそうであるということを含むかもしれないが、当然わたしたちにはラッパーが究極的に嘘をついているか本当のことを言っているかは同定しえないのであって、むしろ観客が「自身に正直であるtrue to oneself」ように思えるかどうかが重要であるはずだからだ。そして、後者のリアル、生き様が「たしかに語るに値する」ものであるかということの内実のうちに、残りの二つ、「地域的な忠誠とアイデンティティ」、「演じ手がオリジナルなラップとの関係や近隣性を有しているか」とが当てはまるであろう。
要約しよう。ヒップホップはオーセンティシティがきわめて重要な音楽であり、そのオーセンティシティは「リアル」という形を取る。そのリアルというオーセンティシティはコンペティションを通じて作り出される、あるいはコンペティションの文化だからこそオーセンティシティが重要なものとなる。そして、その指標にこそ性差別が潜んでいる。つまり、現状では、ラッパーが性差別的なことを言っても、それがヒップホップ的「リアル」を強化する、もしくはそこまではいかなくとも(黒人蔑視のケースとの比較に明らかなように)「リアル」を損なわないということ。あるいは、スキルある女性ラッパーやLGBTのラッパーが「リアル」を獲得するのに不利な状況に置かれているということ。問題の在りかを記述するならば、このようになるのではないだろうか。
では、やはりコンペティションの閉鎖性こそがミソジニーの原因であり、そのような窮屈な制度こそ批判されねばならないのか。確かに、アームストロングや栗田のエミネムの研究は、一義的には、コンペティションがきわめて抑圧的にはたらきうるという、「あるリスナー」の批判を裏付けるものとして読むべきだろう。だが、それでも、私はコンペティションこそがヒップホップのミソジニーを改善するのに不可欠のものであると断固として主張したい。アームストロングのオーセンティシティの指標が、分析的なものに過ぎないことを忘れてはならないだろう。実際、栗田はそれが不安定なものだと指摘している。「様々な攪乱的言語実践が、当該の〈場〉の真正性・正統性指標として再び制度化され、言説や実践へと組み込まれていくその瞬間の様相を把捉しつつ、その言説や実践を裏打ちする論理の作動が失敗しうる様相から、文化ジャンルの境界そのものの揺らぎを描き出す」という「文化社会学」の視点が、ヒップホップにおいても有効だろう、と。簡単に言ってしまえば、ヒップホップの「リアル」は常に変わりゆくものであるということだ。例えば現在アメリカでも非アフリカン・アメリカンのラッパーの存在感は増しているし、韓国、中国、インドネシアなどアジアのラップも広く聞かれるようになっている。また、マチズモについてもギャングスタ・ラップ全盛の時代から時が経って緩和してきているだろうし、ドレイクやカニエの作品を直接的な影響源としてむしろ弱さをさらけ出すようなスタイルが増えてきている(それはそれでメンタルヘルスとの問題が新たに取り沙汰されているが)。それにつれて、ミソジニーもかつてに比べれば少しずつ改善されていっているようにも見える。ホモフォビアについては、次の記事がきわめて優れたものであるから参照してほしい。「ラップ・ミュージックと反ホモフォビアの現在 フランク・オーシャンからキングギドラまで」(http://realsound.jp/2015/05/post-3198.html)。
こうした変化が可能なのは、抑圧的にはたらく場合があるとしても、コンペティションが何よりもまず対話の場だからだろう。それが目に見える形で表現されているのがMCバトルである(もちろん、今の日本のそれはヒップホップ的なオーセンティシティへの視線を失いつつあるのだが)。岩下はこれを「対戦をつうじて、他のラッパーとの関係性も生み出され、再解釈の糸口やイメージ更新の契機が矢継ぎ早に生じる動的なキャラクター生成の場」だとしている。岩下文が重要なのは、演者とそのリリック、演者同士、演者と観客の間にある種々の相互性を見つめ、その中で「リアル」が生成されること、そしてオーセンティシティ=リアルの内実を絶えず更新してゆくことの可能性を捉えているからである。また、対話の重要性を強調するのは、『ブラック・ノイズ』のトリーシャ・ローズも同様である。「男性ラッパー(そしてその他)との全面的な対立ではなく、対話関係から女性ラッパーを捉え直すことで、私は、黒人女性ラッパーが、アメリカ文化で支配的な人種的・性的ナラティブに沿いながらも、時にそれに反発しているさまを描き出したい」として、バフチンの枠組みを借りたジョージ・リプシッツの「ダイアロジスム批評」を応用し、ソルト・ン・ペパやクイーン・ラティファの楽曲を精緻に分析し、ヒップホップの対話的な在り方に沿うことで、女性ラッパーたちが存在感を増してゆく様子が描かれている。
ヒップホップの歴史とは、対話的であるコンペティションの場で、価値観が更新されてきた歴史だとも言えるはずなのだ。例えばネイティブ・タンは非マッチョ的なものを持ち込んだし、N.W.A.はヒップホップが東海岸だけのものでないことを証明した。あるいはキングギドラは日本語で韻が踏めることを、Tha Blue Herbは地方でヒップホップが可能であることを、SCARSは日本にハスラーがいることを、ANARCHYは日本にゲットーがあることを、KOHHは日本語ラップが世界に通用することを、それぞれ証明し、ヒップホップの「リアル」の内実を変革してきた。もちろん、白人がヒップホップ・ゲームの頂点に立てることを証明したエミネムの例のように、それらの変化にはそれぞれ、抑圧的な機構を温存するようにはたらく部分があるかもしれない。しかし、対話の場を確保し続けておくことこそが、「リアル」の更新を可能にするのではないだろうか。実際、アメリカにおけるQueen Latifah「Ladies First」、日本におけるCOMA-CHI「B-GIRLイズム」という、それぞれの国のヒップホップシーンに女性MCが参与することを後押ししたクラシックのどちらからも、きわめてコンペティション的な性格が見て取れるはずだ。だから私は、それがいまだ不完全であるとしても、コンペティションこそが〈ヒップホップの民主制〉を支えるものだと考えている。こうした可能性を、絶えざる批判がもちろん不可欠だとはいえ、強調したいと思うのだ。
都合上、アメリカのヒップホップの話が中心となってしまったが、やはり私が最も興味があるのは日本語ラップである。「日本語ラップ批評」というものもこれから盛り上がってゆくべきだと考えている。いまだ語られていないことが多い。例えば日本の女性ラッパーに話を限ったとしてもそうである。「DA.YO.NE」のYURIやさんピンに参加したことで知られるHACらパイオニアに始まり、姫やMiss Mondayを経て、ANTY the 紅乃壱やRUMIといったレジェンダリーなMC、一時期フィメール・ラッパーのレーベルを立ち上げもした蝶々、そしてブレイクスルーとなったCOMA-CHIと続いてきた。テン年代に入ってからはSIMI LABのMARIAやS7ICK CHICKs、さらに現在のELLE TERESA、Sophiee、Awichなどが登場する。また同時に文化系ラップやアイドルラップ、さらに最近では一部のMCバトルなど、非ヒップホップ分野の女性ラッパーも多い。さしあたりこれらに触れておけば、簡単な見取り図にはなるだろうか。ともあれ、こうしたことすらいまだ十分に歴史化されているとは言えない状況である。やるべきことが多く残されているだろう。
以上でこの文章の目的は達したことになるが、最後にもう一つ記しておきたいことがある。ここからは、現実の種々の問題からは「遠く離れて」書くのだとまずはじめに言っておきたい。その区別をしておかなければ、うえで散々検討したような、問題の隠蔽に加担する類の文章となってしまうからだ。しかし、そうした問題から距離を置くこともまた自由であるはずだ。だからこれは長めのアウトロといった位置づけにしておくのがよいだろう。
ヒップホップについて考えるときに、常に頭にあることである。それはジル・ドゥルーズの「文学と生」(『批評と臨床』)にあるいくつかのセンテンスだ。そこでアメリカ文学についてこう言われている。「文学としての健康、エクリチュールとしての健康は、欠如している一つの民衆=人民(ルビ:ピープル)を創り出すことに存する。一つの民衆=人民を創り出すことこそが、仮構作用の役目なのだ。(中略)アメリカ文学は、この例外的な力、自分自身の思い出を、だがそれも、ありとあらゆる国からの移民によって構成されたある普遍的民衆=人民のそれとして自分自身の思い出を物語り得る、そんな作家たちを産み出す例外的な力をそなえている」。そこで創り出されるピープルとは、次のようなものである。「それは世界を支配するべく運命づけられた民衆=人民などではない。それはマイナーな民衆=人民、永遠にマイナーな、革命的に–なることの中にとらえられた民衆=人民である」。もちろん、エクリチュールとラップは異なる。しかし、ヒップホップもまさしく同じように、「マイナーな民衆=人民」を世界中に創り出しているのではないだろうか(U.T.F.O.から生まれたロクサーヌ・シャンテ、あるいはZEEBRAから生まれたANARCHY、そしてさらにBAD HOPが「ANARCHYみたく与えるゲトーキッズに夢と希望」と歌う……)。ましてや、この数行後にドゥルーズはこうも書いているのだ。「私は永久に一匹の獣であり、下等人種のニグロである。それこそが作家の生成変化なのだ」。カフカとメルヴィルについて言われていることだが、それにしてもこれを読んでヒップホップを思い出さないことの方が、私には難しい。とはいえ、ヒップホップの特徴は、次のような一節に反しているようにも思われる。「文学は、われわれから〈私〉と言う能力を奪い取るような第三の人称(ブランショの言う「中性的なるもの」)がわれわれのうちに生まれるとき、はじめて始まる」。というのも、おそらくヒップホップは「私」と言うことによってしか始まらないように思えるからだ。それはすでに引いた岩下の「キャラ立ち」をめぐる議論もそうであるし、宇多丸がヒップホップを「“一人称”の文化」だと言ったこともまた有名な話である。そして、特に日本語ラップにおいて明白だが、この「私」は常に「俺」であった。「B-BOYイズム」という日本語ラップ史上最も偉大な曲のタイトルに、男性中心主義が明白な形で表れていることがその証拠であり、だからこそCOMA-CHIがそれに対してリスペクトを込めつつも、「B-GIRLイズム」と切り返し、「俺の美学」を「あたしの美学」と言い換えたことは歴史的な瞬間であったのだ。ここで、同じ「文学と生」のあまりに有名な一節が思い出される。「人間=男であることの恥ずかしさ――書くことの最も優れた根拠はそこにあるのだろうか?」。COMA-CHIのこの曲は、つまりこのような意味での恥を知れというメッセージであったように思われる。しかし、エクリチュールにおいて可能だとされている生成変化は、ラッパーたちに可能なのだろうか。ラッパーが「私=俺」である一人称から解放される契機が、ヒップホップには存在しているのだろうか。おそらく、それこそがキャラクターの生成や、偽装、リアルの更新といったヒップホップに可能な変革を、最も深いところで根源的に裏付けるものとなるはずなのだが、果たしてどうであろうか。COMA-CHIの「B-GIRLイズム」が出た2009年、RHYMESTERは活動休止中だった。この曲を聞いてインスパイアされたとまで言うのは深読みが過ぎるだろうが、翌年のカムバック作『マニフェスト』収録の「Come On!!!!!!!!」のMummy-Dは、このような問題に一つの光を与えてくれているように思われる。
冒頭で宣告されるのは、自身の死である。彼の口ぶりは、あたかもMummy-Dという人格=人称が窮屈であるかのようである。「死 2 My technique 死 2 Mummy-D 死 2 My yesterday’s originarity/死 2 My ステージの王の称号 呼ぶな伝説とか大御所と/ああ、もう、解き放ってくれ縦の棒よ 横の棒よ/野生閉じ込めたがる鉄の棒よ」。ラップのリリックが常にラッパーの「私」に送り返され、また「私」と照応されることによって「リアル」が作り出されるのだということはすでに書いた。コンペティションには「自分が自分であることを誇る」(Kダブシャイン「ラストエンペラー」)ことが不可欠なのだが、そうしたシステム自体が、いまは耐えられないようなのである。「だってコトバはいつもオレを甘やかす 耳障りよくオマエをマヤカす」。同アルバム収録「ラストヴァース」に明らかだが、もともとMummy-Dは「オレ」と「オマエ」の間のコミュニケーション*3を重視するラッパーだ。しかし、ここでの彼はそれからさえも「逃走」を企てようとする。だからもはや、「コトバ」が「オレ」へも「オマエ」へも送られることがないように、意味のない言葉を歌うだけだ。「ラッタッタララッタッタ トゥルルラッタッタ」。彼の望みは「ただただドラムと愛し合う」ことだけであり、それにはMummy-Dという人格=人称も、それを成立させる「オレ」と「オマエ」の一対も、コンペティションのシステムも邪魔なのだ。しかし、最も重要なのは、「私」が常に「俺」でなくてはならないこと対しても、彼は自らうんざりしているかに見えることである。次の美しい一節にこそ、ラッパーに許された「逃走」の形が、「ラップすることの最も優れた根拠」が表明されていると私は考えている。
トゥルルラッタッタララッタッタ トゥルルラッタッタ
オレは今日もリズムと愛し合うだけのSkeezer…
それを巷じゃKINGと呼ぶらしいさ
この錯乱、矛盾に驚くべきだろう。そして、それこそが「作家」ではなくラッパーに固有の生成変化なのだと言うべきだろう。つまり、「オレ」が「Skeezer」だと言っているのだ(補足しておけば、「Skeezer」とはインモラルな女性を指すスラングである)。優れたラッパーはみな秘密に、こうしたリズムとの特異な関係を持っているのだということを、ここでMummy-Dは打ち明けているように見える。彼らは、非人称的な力の場であるリズムを通って生成変化を経験して、戻ってくるのだ。一度捨てた王冠を再び頭につけて。それはリズムに自らの身体を貫かれることと比べれば、何ほどの価値もない。だが、ひとに言わせればそれこそが最もリアルでオーセンティックな「KING」の条件であるらしい。そのように誇り高く、あるいは「男であることの恥ずかしさ」を直視して苦々しく、歌っているのだ。
ヒップホップとリズム論の哲学、詩学を接続したのは、「絶対的にHIP HOPであらねばならない」(『現代詩手帖』)の佐藤雄一であった。日本語で書かれたヒップホップ論の中で最も優れているその議論を紹介すること、ここで私が論じていることと佐藤の理論をすり合わせることなどはここではできない。しかし、リズムを中心に据えることで、ヒップホップの最も根源的な力に迫ることができるということは、ここで明らかにされたことである。Mummy-Dの一節に加えて、例えば次のようなフレーズが聞き逃せないものとして浮かび上がってくる。「HIPHOP よく音楽以上って言うけどよ 俺は音楽のリズムの上に乗って生きるぜ」(「MUSIC」)。これはSEEDAの素晴らしい洞察である。「音楽のリズム」と別のところに、生き様やリアル、セクシュアリティやアイデンティティ、また社会や政治があるのではない。ましてそれらが「音楽以上」だとでも言うのか?ラッパーは、音楽のリズムに自らをさらして生きることで、それらを作り上げる。それこそが、ラッパーに固有の「小さな健康」(ドゥルーズ)ではないか。佐藤は、Kダブシャインの「まだ見たことない動き編み出す」(キングギドラ「行方不明」)というパンチラインを掘り起こしていた。ラッパーはリズムの中で、「まだ見たことない」自己を、リアリティを、セクシュアリティを、社会を、世界を捉えることができる。それをまだ聞いたことがないリズムに乗せて歌う。だから、リズムとはそれそのものが反逆なのだ。それは同じ曲でMummy-Dが、チャック・Dを引用して言っていることだ。
いざ明言しよう This is HIP HOP, this is the RHYTHM, the REBEL
*1:その典型が「”全員主役”はまるでウータン・クラン!? ヒップホップ文脈で読み解く『HiGH&LOW』の真意」(http://realsound.jp/movie/2017/10/post-115007.html)である。「必ずしも悪ぶったり“リアル”なばかりでない、個性的でフィクショナルなキャラが次々と登場するのが本来のヒップホップの魅力なんです」として「『HiGH&LOW』は本来のヒップホップの持つフィクショナルな面白さをきちんと採り入れることで、日本の従来のヒップホップに根付いた固定観念をひっくり返している。これこそが僕にとってはヒップホップ的なものだと思います」と言っているさやわかは、自分で勝手にこしらえた「固定観念」を自分で勝手に「ひっくり返している」だけである。つまり、栗田文にもある「ヒップホップの表象する世界においては、「フィクション/リアリティ」の二項対立が極めて曖昧な形で存在する」というきわめて基礎的な視点や、「オーセンティシティ」が重要だと磯部涼らが繰り返し指摘してきたことを無視しているか、そのことに無知であるかのどちらかであるということだ。また、フィクショナルな側面については大和田俊之『アメリカ音楽史』で「偽装」の欲望として十分に強調されていたことである。オルター・エゴは確かにその典型で、日本に少ないとはいえTwigy「Mr. Clifton」など例がないわけではない。しかしそれを言うなら、そもそも日本語ラップというジャンル自体が「黄色」から「黒」への「偽装」の欲望を強く持つジャンルであり、そのこと自体がフィクショナルだと批判され続けてきたことに触れなければフェアではない(サムライなどを「偽装」してナショナリズムに傾いたこともあったが)。また比較的最近の例を挙げれば、川崎南部とシカゴ南部を想像的に結び付けたBAD HOPや、ゲームやSFの要素を取り入れたゆるふわギャング、アメコミへの言及も多くフィクショナルな設定のコンセプト・アルバムを作ったPUNPEE(これは記事の後だが)などがあり、日本語ラップのどこが「悪ぶったり“リアル”なばかり」なのか、是非とも教えてほしいものだ。閉鎖的なヒップホップ村にヒヒョーを加えてくださっているつもりなのだろうが、この程度のテキトーな言説を垂れ流すだけなら、氏がヒップホップについて語っていようと黙っていようと、「リアル」なヒップホップ及びその批評には無縁のことだから私のあずかり知るところではない。
*2:なお、これと似た概念に「正統性Legitimacy」があるが、栗田はこちらを「ある楽曲が「ラップ」であると主張する際に持ち出され、かつ演じ手の相対的な社会的布置がより「本質」に近いと見なされるような方向性の指標」としている。しかし、この二つの指標を分けることの意義が私には分からなかった。というのも、栗田はその「正統性」を「リアルであり続けること」としているが、しかしそれは引用されているアームストロングの「真正性」のはじめの三分類(「自分に正直であること」ほか)と同一であるように思われるからだ。よって、ここでは「真正性」を栗田の言う「正統性」を含んだものとして使うことにする。
*3:詳しくは触れられないが、バンヴェニストのディスクールの概念を思い出させるこの原理は、佐藤雄一が、後で触れる連載において、メショニックを通じて指摘したヒップホップの最も重要な要素の一つである。
「2017年ベストアルバム/ソング In 日本語ラップ」への自註
日本語ラップの商品発売情報を掲載している非常に有益なメディア、「2D Colvics」(http://blog.livedoor.jp/colvics/)の毎年末恒例の年間ベストアルバム/ソング企画に、昨年に引き続き参加させてもらった。ただ作品を挙げているだけなのもせっかく選んだのだからもったいなく、また一年を振り返る意味でも、ランキングに入れた作品についてコメントしておこうと思う。ちなみに、私は選出の際に、ベストアルバムに収録されている曲はベストソングには入れないようにした。普通に選べば被ってしまうのが当然だが、被っていては面白味に欠けるとおもったからだ。ランキングを転記しておく。
2017 BEST ALBUMs In 日本語ラップ
(http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52267307.html)
#01:PUNPEE「MODERN TIMES」
#02:ゆるふわギャング「MARS ICE HOUSE」
#03:BAD HOP「MOBB LIFE」
#04:NORIKIYO「Bouquet」
#05:GOODMOODGOKU & 荒井勇作「色」
#06:SUSHIBOYS「NIGIRI」
#07:Weny Dacillo「AMPM - EP」
#08:SALU「BIS3」
#09:JJJ「HIKARI」
#10:BES「THE KISS OF LIFE」
2017 BEST SONGs In 日本語ラップ
(http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52267306.html)
#01:ECD × DJ Mitsu The Beats - 君といつまでも(together forever mix)
#02:JP THE WAVY feat. SALU - Cho Wavy De Gomenne Remix
#03:tofubeats - LONELY NIGHTS
#04:Elle Teresa feat. Yuskey Carter & ゆるふわギャング - CHANEL
#05:LEON a.k.a. 獅子 - GUN SHOT
#06:Jin Dogg feat. Young Yujiro & WillyWonka - アホばっか
#07:LIBRO - 言葉の強度がラッパーの貨幣
#08:RHYMESTER feat. mabanua - Future Is Born
#09:KICK THE CAN CREW - 千%
#10:JAZZ DOMMUNISTERS feat. 漢 a.k.a. GAMI - Blue Blue Black Bass
#11:dodo - swagin like that
#12:I-DeA feat. D.O - DeA Boyz
#13:Bullsxxt - 傷と出来事
#14:STPAULERS feat. KNZZ - Kick In The Door
#15:Chino Braidz feat. MEGA-G - Dejavu
まずはベストアルバムから話を始めるが、多くの人が言っているように今年の日本語ラップはかなり豊作だったと思う。若手、中堅、ベテラン問わず多くの優れた作品が出た。その中でも一位に選ばざるをえないと感じたのがPUNPEE待望の、というよりも渇望の1stアルバム『MODERN TIMES』だった。自分の中でそれとほぼ同率一位枠という気持ちで選んだのが二位のゆるふわギャング『Mars Ice House』と、三位BAD HOP『Mobb Life』である。あえてこの順位になった理由を探せば、一枚のアルバムとして聞いたときのまとまりや完成度ということになるが、曲単位で一番好きなものが多いのはBAD HOPであるし、シーンに新しい風が吹いたというような興奮をもたらしてくれた点では、ゆるふわギャングが圧倒的であるし、やはりこの三作は同率一位という気持ちでいる。これらは、十年、二十年後にも残るような作品だと思う。
『MODERN TIMES』は、30年後の自分が登場するメタ視点を取ったコンセプトアルバムである。音楽作品に限らずメタものの物語などが持つぬぐい切れない退屈さはどうしても好きになれず、またThe Beatles『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』以来コンセプトアルバムというのもとにかく「エラソー」で苦手なのだが、それでも『MODERN TIMES』は大傑作で、大好きな作品だった。この圧倒的な音世界の魅力を語り切る能力も自信もないが、ワクワクさせるようなSF的であったりファンタジックであったりするビートから、90年代ヒップホップ的な格好良さまで、さすがPUNPEEだという出来なのは説明不要だろう。また、ラッパーあるいはボーカリストとしての才覚も存分に振るわれていて、リズムもメロディーも声もすべてが一級である。しかし、大変恐縮だがアルバム中のベストソングを選ぶとすればどうしても「Renaissance」になってしまう。レア盤になっている『Moving On The Sunday』からの再録でもあり、長くPUNPEEの代表作として知られている一曲だが、あらためて聞いてみると、「凡人」で「暇人」のPUNPEEのスゴさの秘訣が歌われているような気がした。ヒップホップには不良文化の側面が非常に強くあることは間違いないが、かといって不良でない者を排除する文化ではないことも確かだ。しかし多くのナードで文系でオタクなラッパーやリスナーはヒップホップに疎外されたと感じルサンチマンを持つことが多々ある。ヒップホップとルサンチマンは徹底して無縁のものなのに!たとえば、「メジャーデビュー」したらしいある「ふたり」組がそうしているようにルサンチマンを垂れ流すことを許すというようなこととは全く別の次元で、ヒップホップはあらゆる生を肯定するのだが、PUNPEEが「Renaissance」で正確に歌うのはそのような微妙だが絶対に取り違えてはならない点であり、それはまさに「少しだけ微量の閃光」を投げかけるようなものと言えるだろう。つまり、最も批判すべきはハスラーやゲットーといったような、ヒップホップ的イメージを措定してしまうことであり、またそのようなイメージと自分の「リアル」がかけ離れているからといって反ヒップホップ的に思えるようなものをあえて掲げるような安易な価値転倒もまた、結局は固定されたイメージに寄りかかった思考であるという点で同断である。「大きな海原」と「砂浜」の対置は、それを指し示している。ヒップホップという「大きな海原にデッカイお宝」など存在しないのであって、「イジケ」ながらもそれぞれがそれぞれの多様な「砂浜」にとどまること、そしてそこでのクリエイティブな喜びを肯定することがヒップホップの本質であろう。したがって、PUNPEEは最もヒップホップ的なのだと言える。
ところで、BullsxxtのMC、UCDは「例えばPUNPEEの今回のアルバムもけっこうポリティカルだと思う」(http://www.ele-king.net/interviews/006033/)と言っており、貴重な指摘だと思う。確かに『MODERN TIMES』はコンセプトアルバムであり、アメコミオタクらしいオマージュや引用が数多く、そして何よりサウンドが美しいため、作品世界が閉じられて、政治性が脱色される危うさも十分にあったはずだが、決してそうはなっていないということだ(そう感じられない、あるいは感じたくないと思うなら、それは相当呑気で鈍感だと言わざるを得ない)。その意味では、ポップでもありファンタジックな世界を歌っている、ゆるふわギャング『Mars Ice House』も同様に「ポリティカル」だと言える。例えば、どちらのアルバムも共通して宇宙に行きたいと言っていることが興味深く、SF的だったりファンタジックであったりする点で似ているところがあると言っていいだろう。PUNPEEについては置くが、ゆるふわギャングは「Hunnyhunt」(ディズニーランドのアトラクション)、「Fuckin’ car」(マリオカート)、「グラセフ feat. Lunv Loyal」(グランド・セフト・オート)などフィクションの世界についての曲やモチーフが多い。彼らのその虚構世界はそれ自体で十分に魅力的だが(誰もが、「グラセフ」のMVに映されたあのネオン街で彼らのように暴れまわりたいと思ったはずだ)、同時にそこには「リアル」から/との逃走/闘争が確かに感じられる。あまり小難しい話をするつもりはないが、ジル・ドゥルーズの「逃走の線とは人生から逃れること、想像の世界あるいは芸術の中への逃避であると思うことは大きな誤りであり、唯一の誤謬だ。反対に、逃れるとは、現実を生み、人生を創り、武器を発見することだ」(ジル・ドゥルーズ:クレオール・パルネ『ドゥルーズの思想』)という文章はゆるふわギャングを聴く時にはぴったりだと思う。彼らがとてもハードな環境で生きてきたことはインタビューなどで知られている。その点ではKOHHも同じだが、佐藤雄一「なぜ貧しいリリックのKOHHをなんども聴いてしまうのか?」(『ユリイカ 2016年6月号』)で言われる通り、KOHHの描く風景は殺風景な団地である(それが振動し立体感を持ち躍動するというのが佐藤の論である)。それに比べると、KOHHの次に出てきたラップスターであるゆるふわギャングの世界はカラフルで豊かである。『Mars Ice House』は、日本語ラップがさらに一歩進んだと感じさせる作品だった。
三位のBAD HOP『Mobb Life』はとにかく曲単位、パンチライン単位で見るとずば抜けているように思う。一曲目の表題曲からYZERRは高いセンスのフロウと凶暴なリリックを見せ、T-Pablowは「いくら積まれてもだせーオファーを蹴る代わりにかっけーヴァースを蹴る覚悟/持ってなきゃお前らの出る幕もない ただのくそだせーセルアウト」と強烈なサッカーMCディスをかましている(続けて「観客に囲まれルールがなきゃ戦えないスポーツしか出来ねえんだからマウスピース噛んどけ子狐ども」とあるからおそらくバトルMCたちを、特に『フリースタイルダンジョン』でバトルが白熱した晋平太を意識しているのであろうが、痛快である)。T-Pablowで言えば、「Ocean View」の「ディナー運んでくるウェイターもしてるびっくり タトゥー入れまくり若いのにいい羽振り/もしかして悪い仕事してる人たち いや違うよラッパー横に幼馴染」というインパクトある一節も残しており、発表後すぐに話題になっていたように記憶している。ウェイターから不審がられていることをボーストしてしまうイケイケ感から、いきなり自由間接話法風に「もしかして悪い仕事してる人たち」とそのウェイターの心内語を歌い、すぐさま「いや違うよ」と否定する語りの呼吸のリリカルな感触などはSEEDAを思わせる。そのPablowよりも凶暴なパンチを持っているのはBenjazzyで、「Hendz Up」のフックでは不穏さを煽るビートの上で、短い韻を矢継ぎ早に重ねながら「音を上げろKentaざけんなこれは喧嘩/俺ら来れば現場他の奴ら全員が前座」とかましている。Benjazzyのマッドな魅力が最も出ているのは、彼らのラジオ番組「Choosy Tuesday」でのロウトーンで放たれる突飛な暴論暴言の数々もそうだが、何よりアルバムの特典に付いた「Cho Wavy De Gomennne」のリミックスだろう。「ラップが上手いって褒められてもちっとも嬉しくないしいまだにルーキー扱いしてんじゃねえよ」、「wavyでマジごめん」、「まじで人生舐めてるし何も動じねえ」など、怒りや不満をブチギレラップに乗せたあのヴァースはとにかく突き抜けており、聞くたびに爆笑してしまう(ふと思ったのだが、ブチギレラップの元祖は誰であろうか。やはりTOKONA-Xが卓越していると思われるが、怒りとラップについて考えてみるのも一興だろう)。もう一人触れておかねばならないメンバーは、Tiji Jojoで、音楽的なセンスで言えばメンバーの中でもトップだろう。特に「Super Car」のフロウは耳をひく。フックから滑らかにヴァースに移行しつつも、「ガルウィングで」「重圧な」の箇所の鋭敏なカットインの仕方などは奇跡的で、比喩的に言ってしまえば、それこそ彼のラップがスーパーカーのような高い走行機能を持っていることを十分に示している(ちなみに、ラップと車の走行の比喩はSEEDA「TECHNIC」を筆頭に、後述SUSHIBOYS「軽自動車」など数多くあるから、気取って言っているわけではない)。また、「これ以外」でも素晴らしいメロディセンスを見せており、特に「だから負けりゃ悔しいし無表情で舌を噛む」の高音フロウは圧倒的である(おそらく「悔しい」ときに噛むべきなのは「(下)唇」で、「舌」を噛むのは自殺するときではなかろうか?というツッコミはあろうが、日本語ラップのアンセムZeebra「Street Dreams」でも本来「匙投げた」と言うべきを「箸投げた奴ら」と間違えているのだからまったく問題ではない)。最後に、彼らが今回のアルバムを通して残したもう一つのパンチラインに触れておかねばならない。それがラジオ番組やインタビューで紹介された「内なるJ」という彼らの中でのスラングである。メロディを付ける際にどうしても出てきてしまうJポップっぽいダサいメロディのことを指すらしく、それは徹底的に抑圧せねばならないものであるが、しかし日本で生まれ育った以上染み付いてしまっていることは否定できないものだとされている。この発言には、彼らのあまりに鋭い「ニッポンの」風土への批評性が込められていて大変驚かされた。例えば、BAD HOPに「J」なメロを見つけたと言って抵抗が不十分だと言ってみたりするような言説は、BAD HOPの認識にまったく追いついていないことを暴露しているだけで何の面白味もない。「内なるJ」が重要なのは、彼らがそれを無意識のようなものとして捉え、その上で内側から外へ出ることを目指すという形で抵抗しようとしている点であり、それこそが「ニッポンの思想」(≒批評)がずっと一貫して取り組んできた課題だというようなことを、私は今年の9月24日に市川湖畔美術館「ラップ・ミュージアム」のクロージング・イベント「日本語ラップ学会」で話した。
思わずBAD HOPについての記述が長くなってしまった。四位の『Bouquet』はNORIKIYOの7枚目のアルバムである。コンスタントにアルバムを出し続けているNORIKIYOはもう日本語ラップシーンでもベテラン寄りの中堅といったポジションにいるかと思うが、興味深く思ったのは、彼がトラップ的なラップの乗り方を導入している点だった。多くの中堅やベテランを悩ませているのがトラップ的なノリに付いていけるのか否かということで、多くの、それももとは圧倒的なスキルを持っているはずのラッパーたちがなぜかトラップには苦しんでしまうというジレンマがあるように思う。例えば、ファーストアルバムを比べればスキルの上では勝っている(ように私は思う)AKLOよりもSALUの方がうまく適応しているし、SEEDAが苦しんでいるのに比べてA-THUGはどんなビートも乗りこなしてしまう。それで行くと、NORIKIYOは成功していると言えるだろう。批評家の吉田雅史は、トラップのラップの特徴は、言葉の母音を切り詰めて発音することにあると指摘しているが、それを踏まえると、特に「何で?」や「満月」のラップは独自の道を進んでいるように思えた。NORIKIYOのトラップなどの流行りとのうまい距離の取り方は、フックにSugerhill Gang「Rapper’s Delight」のオマージュさえなされるオーセンティックにヒップホップな一曲「It ain't nothing like Hip Hop」で「俺はトラップも好きでも原点がね俺にこう言う おいブリってんじゃねえよ」と歌っていることにも表れているだろう。また、この曲では「俺はレップするCCGの生き残り あれがなけりゃ今もきっと道のゴミ/あれはクラシック『REBUILD』『花と雨』 今もMONJUに伸びかけた鼻折られる」という一節が多くのリスナーを感動させた。考えてみれば、今のシーンを支えているラッパーたちのほとんどは「CCGの生き残り」であることに気が付く。加えて思い返すと、(30年後の)PUNPEEもアルバムのスキットでISSUGIを指して「彼の言葉にはいつも背筋を伸ばされたもんだよ」と評しており、MONJUの間違いなさはおそろしい。そのNORIKIYOとPUNPEEのシングル「終わらない歌(REMIX)」も素晴らしい出来で、それを聞いていて興味深く思ったのが、「すべてのクズ共のために」というThe Blue Heartsのパンク的な歌詞(NORIKIYOはブルハファンを公言しており例えば「SADAME」ではブルハの名曲「青空」をオマージュしている)と、曲中「損得超えたヤセ我慢」の一節が引用されているRHYMESTER「B-BOYイズム」の「素晴らしきロクデナシたち」と、NORIKIYOのクルー名にある「JUNKSTA」と、PUNPEEの「凡人」がそれぞれ類似しつつも微妙なズレがあるだろうということなのだが、それについて書くと長くなるのでやめておく。
五位に選んだのは、神童として16歳ですでにデビューしていたGOKU GREENの、名義をGOODMOODGOKUに変え、あらべぇなどの名でも知られるビートメイカー荒井優作との共作EP『色』である。正直、この作品の良さを語る言葉を私は持っていないが(アンビエントでサイケで最高にチルだ、くらいのことしか言えない)、ともかく素晴らしいことは聞けば明らかだろう。ベストアルバム選出中にこのアルバムを聞いていると、曲単位でなくアルバムとして評価しようとすると、(当然のことなのだが)やはりビートメイカーの力が大きいことを実感した。GOKU自身サウンドへの強いこだわりを持っているようで、あのスパルタなレコーディングで有名なI-DeAに「一位か二位に入るくらいのめんどくささ」と言わしめたほどだ(http://fnmnl.tv/2017/09/25/38405)。
順番が前後するが、同様にサウンドが素晴らしく、また私が語るには役不足なのは九位のJJJ『HIKARI』である。今年はFla$hBackSのメンバーそれぞれが活躍していたが、作品として選ぶならばやはりこれになるかと思う(好みだけで言えばFebbのラップを選ぶだろうし、曲単位ではKid Fresino「by her feat.茂千代」が抜けている)。「HPN feat.5LACK」は涙なしには聞けず、川崎コネクションの「Orange feat. STICKY」も熱い展開であり、「2014 feat. Fla$hBackS」に興奮しないヘッズはいないだろう。とりあえず、この作品が傑作だとは知られていると思うし、吉田雅史が(ラップの批評文としても)非常に素晴らしいレビューを残しているので、そちらを参照していただくことにしよう(→http://www.ele-king.net/review/album/005727/)。
GOKUのミックスを担当したI-DeAは(自身アルバム『SWEET HELL』も発表しているが)十位に選んだBES from SWANKY SWIPE『THE KISS OF LIFE』のミックスも手掛けている。日本語ラップ界の至宝、天才BESのカムバック作だが、このアルバムもビートがそれぞれかなり高い水準にあると思う。特に「Check Me Out Yo!」などは煙たいビートに三人のスキルの確かな三人がラップを乗せているアルバムの顔となる一曲だろう。同じくMVが出された「Mic Life」もKing104とStickyが客演しており、ビートも含め素晴らしく、歌詞も彼らに似合わず(?)前向きである。客演についても触れておけば、「Breathless」ではKNZZ、「Ruff&Tough」では、すでにSWANKY SWIPE「GREEN」で客演済みのレゲエ・アーティストB.B THE K.O(BESはレゲエ好きとしても知られており、SCARS「ばっくれ」などではレゲエ風のフロウを披露したりしている)、これもまた古くから付き合いがあるだろうMEGA-Gとの「King City」、三曲連続で客演している、池袋BEDを中心に活動するフィメール・ラッパーMICHINOなど、飽きさせないメンツが揃っている。NORIKIYOが「あれはクラシック」と評した『REBUILD』や、SWANKY『BUNKS MARMALEDE』などの全盛期と比べて、BESのフロウのキレが完全に戻ったとはさすがに言うつもりはないが、それでもBES的としか表現できない独特のリズムの快楽は健在である。とはいっても、「Check Me~」の仙人掌にあるように、「てかあんたがここにいりゃ何もいらんし」という気持ちでいっぱいであることを隠すつもりもないのだが。
六位と七位は、今年のニューカマーの作品を選んだ。SUSHIBOYSをはじめて知ったのはSEEDAがサンクラにアップしていた(今は非公開、メンツを増やして再発表するとのこと→https://www.youtube.com/watch?v=7lmEQzj55o0)「254」に参加していたFarmhouseのラップを聞いたときで、かなりのスキルだと思ったし、SEEDA自身日本でトップクラスだと認めている。その後調べて農業ラップだの、元ユーチューバーだのと言った情報に当たり、怪訝に思っていたのだが、1stアルバム『NIGIRI』はそうした不審を吹き飛ばすに十分な出来だった。ビートもラップも完全に一流で、日本語ラップシーンにとどまらないリスナーを、国内外問わず獲得できるのではないかと大きな期待を持たせてくれる一枚である。七位のWeny Dacilloもまた、大変な才能だと確信できる。多くの人同様にはじめて彼を知ったのは高校生ラップ選手権でT-Pablowに惨敗してしまったときで、それ以来忘れていたが、今年発売されたシングル「1000%」(EP未収録)を聞いてぶっ飛んだ。メロディもリズムも圧倒的であり(DJ CHARI&DJ TATSUKI「ビッチと会う」も素晴らしい)、かつリリックも独特の「マイナー文学」的な感触のある訛りの強度に支えられている。
九位はSALUのミクステ『BIS3』である。今年のMVPは明らかにSALUだった。4thアルバム『INDIGO』を発表し、新たなレベルのラップを披露しながら、日本語ラップのレジェンドである漢とD.Oと「Life Style」で共演を果たし、「夜に失くす」では、おそらくESTRA繋がりであろうがニューカマーゆるふわギャングをいち早くフックアップしている。ベストソングに挙げたJP THE WAVY「Cho Wavy De Gomennne Remix」もまた同様に素早い反応で新人をフックアップしており、彼自身「俺がDrakeで彼Makonnen」と歌っているように(新人のILOVEMAKONNENがアップした「Tuesday」がネットからヒットしたのを見て、大物Drakeがリミックスを要請し彼をフックアップしたアクションを、今回のSALUとJPに重ねている)、まさに日本のDrake並みの動きと存在感を持ってきている。2010年代初頭に「スワッグ系」として注目されて一時代を築き、その後KOHHが「Fuck Swag」(誤解ないよう一応書いておくがディスではない)と歌ってさらに日本語ラップを進化させ、再びSALUがKOHH以後の日本語ラップの最前線に戻ったという展開もスリリングである。また、シンガーの向井太一「空」に客演参加した彼はそこでもメロディのセンスを証明する同時に、「Cho Wavy~」ではゴリゴリのトラップで圧倒的なラップスキルを誇示するという幅もあり、かつ旧友であるだるまやRYKEYとの作品も発表しており、ヒップホップ的にも理想的な振る舞いだと言える。また、ミクステからMVが出された「Sweet and GoodMemories」についてはこのブログに書いた(→http://bobdeema.hatenablog.com/entry/2017/10/16/115111)。
ベストソングに移ろう。一位に選んだのはECD×DJ Mitsu The Beats「君といつまでも(together forever mix)」である。加山雄三の生誕80周年を記念したアルバム『加山雄三の新世界』に収録されている一曲で、加山の同名曲のリミックスである。加山のヒップホップ/ラップ文脈での再評価の流れは、おそらく同作にも収録されているPUNPEE「お嫁においで2015」のヒットがあったからかと思うが、ECDのこの曲についてはそのPUNPEE自身「楽曲、リリック、内容、構成、すべてひっくるめて、とにかく密度がとてつもないですね」(https://natalie.mu/music/pp/kayamayuzo/page/3)と絶賛している。もちろん、日本語ラップのレジェンド中のレジェンドECDと、世界的な評価を得ているGAGLEのMitsu The Beatsが組んでいるのだから当然と言えば当然だが、それにしてもこの「リアル」の感触――「そう その塊みたいな奴さ」!――は無二である。ECDのことを論じるによく使われるのが、彼自身が提唱する「訛り」という考え方で、確かに昔からECDの訛りは他にない魅力を持っていた(もちろん全ての「訛り」は他にないものである)。しかし、また新たな訛りがここで歌われていると思った。ここでのECDはまるでおじいさんの喋りのように訛ってラップして穏やかだが、同時に「まじでつねられた」ときの痛みほどの鋭さを持っている。それがECDの「リアル」の凄みであり、ダントツの一位だった。がんばれECD!
大ベテランECDから一転、二位は作風もそれと正反対と言っていいようなニューカマーJP THE WAVYの「Cho Wavy De Gomenne Remix」で、ネットから一発でバイラルヒットし、多くのリミックスを生んだ一曲である。元(?)ダンサーらしくMVで披露しているダンスや、「超~でごめんね」というミーム的でキャッチーなフレーズがヒットの要因だろうが、「wavy」「lit」といったスラングの使用や、「もう終わってきてるdab」「Migos「Bad&Boujee」聞いて踊るpussy」など流行の最先端を導入した新世代らしさも魅力であろう。三位は、tofubeatsがKandy TownのYoung Jujuを招いた「Lonely Nights」。tofubeatsの才能も広く知られていたが、いまいちノリきれなかった私もこの曲にはやられた。「水星」などに明らかだが、そのある種センチメンタルなリリックがそもそも自分の好みに合わず、この曲も〈孤独な夜〉などと言って「27」歳の大人が「踊り足りない」と、まだ青春を懐かしがっているような内容なのだが、しかしメロディの先鋭さはそれを補うに十分というどころか、気づけば「頭使っててもまた間違う」などのラインにエモくなってしまっている自分がいたのだった。
エモさで言えば、しかし四位のElle Teresaの情念の強度には目を見張る。沼津出身でゆるふわギャングとも親交の深いフィーメール・ラッパーで、「Bad Bitch 19 Blues」や「I don’t know」などの他の曲とも大変迷ったが、結局「Chanel」を選んだ。この曲をLil YachtyのクルーSailing Teamに所属するフィメール・ラッパーKodie Shane「Drip On My Walk」のパクリだと言ったところで何にもならない。そんなことは誰でも知っている。その上で、Elle Teresaは間違いなく最高である。彼女の口から「寒くなんかないよ 寒くなんかないもん」と言われると、他にない響きがある。あるいは、より強さにおいて勝っているのは、Kyle「iSpy」のビートジャックで歌われる「ほんとは止めちゃいたいのよタイム」という一節。Elle Teresaは曲を聞くだけでも十分だが、「ハーデスト・マガジン」のインタビュー(http://hardestmagazine.com/archives/1183)も大変素晴らしく、新世代のフィメール・ラッパーが登場したことを十分に確信できる内容となっていると思う。
五位のLeon a.k.a.獅子「GUN SHOT」は、ともかくラップスキルが圧倒的で、確実に新世代の中でナンバーワンだろうし、その抜群のリズム感はSEEDAを思わせもする。いまだまとまった音源は出していないものの、サイプレス上野とロベルト吉野「RUN&GUN」での客演や、今年発表されたSalvadorとの「I don’t give a fxxk」などを合わせて聞けば彼の天才は明らかだろう。若手の中では好みで言えばダントツである。
六位のJin Dogg「アホばっか feat.Young Yujiro&WillyWonka」は、すでに一大勢力と言っていいだろう関西トラップを代表する一曲と言える。「あいつがああ言ったらこいつはこう動く」という素朴だがそれゆえに不穏なパンチラインを、Jin Doggのぶっきらぼうなラップが煽り立てるところが良い。何を考えているか分からないが、いつ暴れ出すか分からない危うさがあるような雰囲気も魅力である。また、客演のYoung Yujiroの「うわまじなにそれ嘘やろホンマに言うてん それどんだけ」の箇所も、ナチュラルな口語の大阪弁と二連の気持ちいいリズム感が合わさってクセになる。Yujiroの今年発表された「102号」は、同じ大阪のSHINGO☆西成の名曲「ILL西成BLUES」を想起させるようなリアルな街並みの描写が素晴らしい。WillyWonkaは2win、Weny、Leonらと同様高校生ラップ選手権組だが、相変わらず高いスキルと洒落たラップを見せている。WillyWonkaは「ニート東京」のインタビューで、トラップではなくリリカルなラップも好みで、いつかそれをやりたいと言っていたが(https://www.youtube.com/watch?v=NJeeu5JGMnA)、確かに二年前に発表していた「D.R.U.G.S.」はきわめて高いレベルのリリックを披露していた。加えてレゲエ・アーティストのVIGORMANとのユニット変態真摯クラブでもまた別の方向性に挑戦しており、高いポテンシャルを持っている。
ここからはベテラン勢が続くが、七位はLIBRO「言葉の強度がラッパーの貨幣」。鎖グループの始動あたりから、かつてクラシックアルバム『胎動』で名を馳せた天才ビートメイカー/ラッパーが復活し、以来精力的に作品を発表し続けている中の一つとして、今年、セルフ及びDJ BAKUによるリミックスを多く収録したアルバム『祝祭の和音』を発表した。LIBROはほぼ絶対に間違いがないビートメイカー/ラッパーの一人だが、新曲もすべて完成度が高く、小林勝行や鬼との客演も豪華である。MVが出された「リアルスクリーン」は、このアルバムの主題にふさわしくキャリアを振り返った熱い一曲で、特に「なぜならまだ死んでない 進歩してる進行形で浸透中/漢のリリックに全部書かれてた 「マイクロフォンコントローラー」に重ねてた己/まだ覆い隠すかもう剥がすか 葛藤する途中の自分にとどめを刺すか/去り際一言背中押され急遽RECした3verse目」の部分は、盟友である漢との感動的なエピソードが歌われている。それとどちらをランキングに入れるか悩んだ末に結果選んだこちらの曲は、漢の「去り際一言」にラッパーとしての自覚を取り戻した後のLIBROがラッパーの条件や楽しみを歌った一曲である。考えてみれば「言葉の強度がラッパーの貨幣」というタイトルは、「理想論やディールや綺麗事やくさい台詞並べてるだけじゃ薄っぺらいお前の財布」(Ski Beats「24 Bars To Kill」)などと歌い、ラッパーの「言葉の重みと責任」(「次どこかで」)とメイクマネーを追及してきた漢のラッパー観と近いように思える。「リアルスクリーン」では「特に日本語の面白さ 韻と説得力視野の広さ」と歌っているが、「言葉の~」での「もっともっと、もごもっとも(中略)着地が決まればお見事」の箇所などはそれを十分に体現している。また、ビートのやばさについては言わずもがなであろうが(だってLIBROなのだから)、触れておくと、サンプルの声ネタをループさせたタイプのビートの一つであり、その例として例えば佐藤雄一「なぜ貧しいリリックのKOHHをなんども聴いてしまうのか?」でA Tribe Colled Questの声をサンプルしたLil Wayne「A Milli」や、Scars「My Block」などが挙げられているが、さらにその声ネタを早回ししたタイプとしてこれはCam’ron「Oh Boy ft. Juels Santana」などと同型と言えるだろう。
八位はLIBROよりもさらにベテランのRHYMESTER「Future Is Born feat. mabanua」で、ここではラッパーの本質よりもさらに広く、ヒップホップの本質のようなものが歌われている。2MCどちらのヴァースも良く、特に宇多丸のヴァースはすべてを引用したいほどだが、いくつか拾ってみるならば「人々が忘れ去っていた街の片隅で誰かが歌い出す」、「壁にのこされたでっかいタグ まるで喧嘩腰の危ないダンス/大人のガイダンス抜きで生き残った異端児たちの媚びないスタンス」などのラインは率直に美しい。また、その中でも特に耳をひいたのが「マイクを通した新たなメディア ライムで書き足してくウィキペディア」という一節で、ヒップホップの本質をうまく表した詩的なパンチラインであり(73年に生まれたヒップホップがすでにウィキペディアなどのような新しさをはらんでいたということだろう)、批評家的な頭を持つラッパー宇多丸であるからこそだと思う。対してMummy-Dは、冒頭で流行りの三連を組み込みながら「上にも下にも何者にも媚びぬとこがイカしてた/ドレミファにもソラシドにも媚びぬとこがイカしてた」と、彼らのかつてのクラシック「B-BOYイズム」を想起させながら(「何者にも媚びず己を磨く」)、かつおそらく日本人ラッパーの中で最もリズムとは何かということを考え続けてきた(『ラップのことば』インタビューなど参照)彼らしいパンチラインを残している。さらに「海を渡って根付いたこの国のシーンは 熱いハート持ったマイノリティたちが支えてきたのさクオリティ」という一節は、日本語ラップブームの今、日本語ラップを無視し続けてきた日本人全員に聞かせてやりたい痛快なパンチラインである。
続いてRHYMESTERの後輩Kick The Can Crewのカムバック作「千%」。往年のファンたちが歓喜した一曲である。サンプリングでのビート(どうやら演奏したものを元ネタにしたらしい)だが、音の感じはKREVAらしさが全開であるし、そもそも「千%」という題自体にも、「アグレッシ部」「ハヒヘホ」「BESHI」などちょいダサなタイトルが多いKREVAらしさがある。ラップも、固く韻を踏みながら見事に「キャラ立ち三本マイク」のスイッチが連続するところはKickらしい。1ヴァースはMCUだが、確かなスキル(というか前より上手くなった?)に加えて、「半端なく最高なアンバランス」、「水のよう自然なI REP」(KickではなくKREVAだが、MVで「I REP」というときのLittleがKERVAを指さしているのでその曲の言及と見てよいだろう)、「行くぞONE WAY」、「足伸ばすまた」(「カンケリ01」)など、彼らの過去の楽曲やリリックに言及して(制作前はそのような過去志向は無しだと話し合っていたらしいがMCUが聞かなかったそうだ)、ファンを喜ばせる。2ヴァースのKREVAは、オーソドックスと言えばそうだが、しかし何よりも強烈なKREVA的パンチライン「恋は一秒もかからずに燃えるけど 心にはないぜ追い焚き機能」を残している。KREVA的と言えばさらに、フックの「経てからのここ」というのも同様である(『ダウンタウンのごっつええ感じ』に「経て」という有名なコントがあるが、それはおそらく関係ないだろう)。3ヴァースのLittleのトリッキーなライマーっぷりも相変わらずで、「生涯は長い長いマラソン互いに争うより よりやばい音楽を鳴らそう」「茶化したりしたり顔でバカにしたり その本気を笑いにしたり下に見たりしない」という短い韻の連打や、「まず案ずるよりバズるBigな番狂わせ 「Kick The Can Crew」again」という長い韻までをこなしている。
十位はJAZZ DOMMUNISTERSに漢が客演参加した一曲「Blue Blue Black Bass」。菊池成孔と大谷能生のユニットで、二人の(特に菊池の)音楽評論家としての、広い知見と精通した音楽理論にもとづく仕事については最大限にリスペクトしているものの、ラップ自体の出来が「音符も読めないし楽器もでき」(「マイクロフォンコントローラー」)ず、「映画とか読書とかなんてどん臭い趣味はねえ」(「光と影の街」)漢に遠く及ばないことはあえて言うまでもなく(当人らもそんなことは当然承知しているはずだ)、そしてそここそがこの共演の最も楽しい部分である。漢はこのアルバム『Cupid & Bataille, Dirty Microphone』には、二曲参加しており、もう一方の「悪い場所」でもかましている。良くも悪くも衒学的な(そもそもタイトルの「悪い場所」自体、美術批評家の椹木野衣『日本・現代・美術』で有名になった批評タームである)菊池に呼び込まれた漢は、剣桃太郎「Dog Town」での懐かしいヴァース(「独断と偏見ですべてを切り開け~色仕掛けか命がけ」)を自己引用し、「イル」なフロウで、いつものように日本一の頭韻巧者かつ長文リリシストっぷりを発揮しながら「イルなネガティブな奴もいつか芽が出るとメディカル目的で四葉の代わりに手にする緑の五枚葉」などと、怪しいパンチラインを残している。そちらも良いが、ビートが好みで、かつホストの方のラップも前者に比べて優れており、フックも耳に残るので「Blue~」の方をランクインさせた。こちらの漢も圧倒的で、「天変地異が起きてこの国の機能が停止したわけでもねえし/インターネットで見れるレベルの陰謀論じゃ話にならねえ」の部分はフロウもハメ方も完璧で、続いて「同じ目線で冗談言うなよクソ凡人」という一句は日常生活でイラっとしたときに使いたくなるようなパンチラインであるし、さらに「さらさらまともにやるつもりもねえ 命さながらで貫くゲーム」というMSCのクラシック「音信不通」からの自己引用にもテンションが否応なく上がってしまう。
十一位は、高校生ラップ選手権組の一人dodoの「swanging like that」である。dodoを有名にしたのはおそらくサイプレス上野とのビーフだったろうが、陰キャ的(下品で気持ちの悪い言葉なので本当は使いたくないが)メンタリティを押し出したラップとキャラで、好みではなかったのだが、この曲の先鋭さにはさすがに驚かされた。音自体はアトランタ的な流行りと言えようし、オートチューンの使用も同様だが、反対にラップの方は柔らかく、短い韻を丁寧に強調しながら配置し、かつリリックもその韻の連続にしたがって転々としながら連なってゆくある種古いタイプのラップスタイルと言え、このようなビートとラップの間の齟齬、不和、衝突が絶妙な新しさを生んでいる。
十二位はI-DeAのアルバム『Sweet Hell』に収録された「DeA Boyz feat. D.O」。D.Oがラップの天才であることは繰り返す必要もないが、ギターが甘美なビートに倍速ラップを乗せて、「悪党」の「路地裏のブルース」を歌った名曲である。日本でラッパーとしての生き様を貫いて、ストリートで生きながら、お茶の間にも広く知られたD.Oが、「テレビかなんかでアホ面並べてyo yo yoとかやっぱダセえ」といったラインを吐くことはともかく感動的であるし、また些事ではあろうが、「場合によって野垂れ死になんて」というD.Oに続いて「よくある話で珍しくもねえ」とD.Oの一番弟子的なT2Kが入ってくるのも熱い。
十三位はヒップホップバンドBullsxxtの「傷と出来事」で、仙人掌を客演に迎えアルバム『BULLSXXT』から先行公開されていた「In Blue」や、MVが出た「Stakes」とも悩んだ。「In Blue」を聞いたときは、UCDのラップが平坦で、それゆえにフロウもライムも複雑な仙人掌の技巧が目立っていた。とはいえ、仙人掌が客演すればホストが誰であっても食われてしまうのが宿命であり、SEEDA、BES、NORIKIYOでさえも仙人掌に見事に食われた経験があるのだから、それは仕方のないことである。アルバムを聞くと、ラップが素朴なのはその曲くらいで、十分なスキルを持っていると思った。また、ポリティカルに寄らずあくまでラッパーとして、ヒップホップ的なマナーに則った作品であったのも潔いと思うのだが、多くの日本語ラップに詳しいだけの人々は通俗きわまりない呂布カルマ(ラップについては置き、PCも知らぬ無知に居直るその考え方が、である)の方が好きなようであるし、しかし翻ってBullsxxtのリスナー層の多くは「Stakes」がたとえばDe La Soul「Stakes Is High」へのオマージュであることに気付くことができない様子でもあり、このような需要のされ方自体が、アルバム収録曲の題を借りて言えば、まさに「Sick Nation」の兆候そのものではないかと感じたりもした。それは置いておくとして、「傷と出来事」をランキングに選んだのは、この曲がSEEDA「花と雨」タイプの楽曲だったからだ。それは確かに死者を悼み、祈ることが主題の曲だが、それ以前の例えば「How many brothers fell victim to tha streetz/Rest in peace young nigga there’s a heavean for ‘G’」という一節も非常に有名な2Pac「Life Goes On」などとは一線を画す。「花と雨」タイプの楽曲(と私が勝手に呼んでいる)は、そのリリックを構成するに、死と日付が重要な役割を果たす。拙文「ライマーズ・ディライト」(『ユリイカ 2016年6月号』)の時からこのことが頭にあり、そこで「花と雨」と並べて論じた般若「家族 frat. KOHH」も実はこのタイプの楽曲である。「花と雨」の「2002年9月3日」は、日本語ラップリスナーならば誰もが知っている有名な日付だが、「家族」でも、それぞれ「94年7月」(般若)、「1992年1月15日」(KOHH)と日付が出てくる。さらに決定的なのがRyugo Ishida「Fifteen」で、「小学二年手紙で知った 昨日のことのよう9月3日/記憶だけのパパは空に行った」と、「花と雨」と同じ日付(命日)が登場するという奇跡としか呼びようのない事態が起きている。「4月29日」を銘記する「傷と出来事」もその系譜に連なる一曲であり、「今年の4月29日もまた再会できないからバイバイすらしないでいなくなった人を想う暇もなく/祈るように生きる」というのは、「出来事」と祈りの本質を言い表している。この曲のタイトルはフランスの詩人ジョー・ブスケの同名の著作から取られているが、「花と雨」と「傷と出来事」の意義を確かめるには、例えばブスケについて論じられるドゥルーズ『意味の論理学』「第21セリー 出来事」なども参照したいが(「Fxxin’」で「俺は学者になるつもりだが」と宣言するほどであるから、UCD自身念頭に置いているだろう)、ここでは置く。それよりも、ここにブスケが加わるに至って、「花と雨」の新たな射程が浮かび上がってくる。ブスケは第一次世界大戦で受けた傷によって半身不随で生きた詩人であった。そこで日本語ラップヘッズならば誰もがすぐさま思い浮かべたであろうが、日本語ラップにはそのような傷を詩にしたラッパーが存在している。もちろん、ビルから飛び降りて大怪我を負い、医師から一生車いすだと宣告されもしたNORIKIYOである。その彼の足は(同じ病室だった義足のおじさんの予言通り)奇跡的に治癒するのだが、彼がファーストアルバム『EXIT』でシーンに衝撃を与えたのは、そのような傷をリリカルに歌ったからであった。「IN DA HOOD」では「今でも夢に見る しょうがねえ転げ落ちた崖 片足でも立てる?」などと歌い、またセカンド収録の「RIVAXIDE CITY DREAM」では「覗き穴先 雨ふりの空/古傷のPainも 2年経ちゃ慣れる」、新作『Bouquet』収録「Memories&Scars」でも、同じ主題が扱われ「『10分以内に雨が降る』 古傷はそっと痛ぇ」とあるように、彼の傷は「雨」と深い関係がある。〈傷と雨〉についてはじめに歌った一曲が、ほかならぬSEEDAを客演に呼んだ「Rain」で、「古傷が痛む もうすぐ雨が降る」と歌い出され、さらに「水はやれど花は咲かず」といったリリックもあるように、明らかに「花と雨」からの影響が強い(というよりもNORIKIYO自身何度も、『花と雨』の衝撃について語っている)。「花と雨」以下の曲で歌われる命日も、NORIKIYOの古傷の痛みも、どちらも「出来事」の痕跡であり、それが予告されており、周期的に反復されるものであるという点が重要だが、これ以上深く立ち入ることはやめておき、そのようなNORIKIYOが日本にとっての決定的な出来事と日付である〈3.11〉を決して忘れることなく、OJIBAHとの「そりゃ無いよ feat. RUMI」やKen The 390への客演「Make Some Noise」、また『Bouquet』収録「何で?」などで、そのことを継続して歌い続けていることを明記するにとどめておく。いつか本格的に論じてみたいが、日本語ラップの歴史の中で起きた数多くの奇跡の中で最も捉えがたく、しかし最も偉大なのは「花と雨」と「傷と出来事」に関わるものなのであり、Bullsxxtはその系譜に連なる日本語ラップである。
十四位と十五位はどちらも主にライムの観点から評価した。STPAULERSはどうやら池袋BEDを拠点に活動しているラッパーのようだが、ビギーの有名なパンチラインをサンプリングした「DJ SPACE KID」による「川崎ビーツ」に、いまや貴重な押韻主義的なラッパーKNZZのラップが素晴らしい。特に「Kick in the door, live in Tokyo 自信過剰なら因果応報/でもビビんなよ 理不尽な状況から逃げる野郎チキンはGo home」(筆者の聞き起こしだが、「live in the Tokyo」と言っているように聞こえるものの、英語的にそこに「the」が入ってよいのか分からず、またこの一節の引用元のビギーの歌詞は「waving the four-four」なのだが、KNZZが「waving」と歌っているようには聞こえないので、不正確な引用になっているかもしれない。気になったが分からなかったので記しておく)の一連の流れから、ライムを変えての「バックギアない一方通行 fuckしがらみ新興宗教/トラップに嵌り執行猶予 待つしかないインタールード」までの部分は、固い韻に意味も通しながら、ストリートで生きる彼にしか吐けないようなパンチラインが続出している。この曲と悩んだのがA-THUG&DOGGIES「DMF ANTHEM」で、他の人も挙げるだろうから、一月に出されて忘れられていそうなこちらにしたのだった。しかし、「DMF ANTHEM」も最高で、KNZZの固い韻のラップは相変わらずであり、冒頭の「2017 実験中まだ」の入りは完璧であるし、「小さな気遣い静かな息遣い」などもリリカルだが、何よりこの曲はA-THUGの規格外のぶちかましたフロウ(と呼んでいいのかすらも分からない)が突出しており、「月の光 バラの花」や「struggleだけどbeautiful」、「say hoとかput your hands up そんなスタイルじゃ乗れないな」などの箇所は、A-THUG以外のラッパーがやれば一発アウトに決まっている。
KNZZ同様に、日本最高峰のライマーであるMEGA-Gのラップが聞けるのが十五位Chino Braidz「Dejavu」で、偶然だが十四位同様にこちらも「まるでJUICYなFRUITみたいに 甘くて酸っぱいブルース次第に/染みるようになる」という一節でビギーが意識されている(推測にすぎないが、おそらくビギーの名曲「JUICY」にハマり、その元ネタMtume「Juicy Fruit」も染みるようになったということだろう)。かつてZeebraが組織したURBARIAN GYM(通称UBG)時代の旧友同士の共演(MEGA-Gは正規メンバーではなく練習生)で、二人の恩師であるZeebraからのシャウトも入っている。Chino Braidzの名をはじめて知ったのは、Zeebra『The New Begining』収録の「Beat Boxing」であったが、ここではUBG出身らしい(Zeebra的な)ラップで、特に2000年代前半の日本語ラップシーンを回想した「目の前で起きてた まさに奇跡が/UBG 走馬党 カミナリ マルモウ FG MS 問う今日 東京ナイチョー/新しかったドーベルマンインク」には誰もが胸が熱くなってしまうはずだ。そして、完璧な倍速ラップで、固い韻を次々に踏んでトラックを走るMEGA-Gが圧巻である。リリックの内容も、ヒップホップについての知識が豊富なMEGA-Gが勉強に励んだ若き日から、UBGでの訓練の毎日が歌われ、貴重である。特に、「一度火が付けばフリーズないマンションの一室が異質なフリースタイルダンジョン」の一節は、固い脚韻に、心地よい中間韻が挿入されてライム巧者としての面目躍如であるし、また最後の「NO PAIN NO GAIN 条件のゲーム当然挑戦BET MY LIFE/どうせ冒険なら上限まで張るぜデカく 勝利の女神が微笑む瞬間まるでデジャブ」は、怒涛の全踏みから、意味も語彙もラップゲームをギャンブルに喩えた内容で完璧に統一しつつ、固い脚韻に自然に繋ぎ、曲のタイトルである「デジャブ」でヴァースを締める手際はまさに職人といったところである。また余談にはなろうが、注目したいのが、「Buddhaのオーパーツ提供され イルでいる秘訣継承されど」という一節である。MEGA-Gはヘッズ的な感性が強いラッパーであるが、おそらく彼が特に尊敬しているラッパーが三人おり、まずUBG時代の師であるZeebra、そして彼もその近くにいるMSCのボスである漢、そしてBuddha Brandである。ここで言われている「Buddhaのオーパーツ提供され」というのがどの曲のことを指しているのか、調べられず今のところ分からないのだが(このリリック同様のことをここでも言っている→http://www.hmv.co.jp/newsdetail/article/1608121020/)、Primalへの客演「ブッダで休日」や、「人間発煙所」、「暴言」などがあり、Dev LargeやBuddhaへの尊敬があることは知られている。
と、ここまでまとまりもなく長々と、思うままにつらつらと書き連ねて、あらためて日本語ラップの豊かさを思い知らされた。ここで触れられなかった作品も数え切れぬほどあり(MONYPETZJNKMN、Awich、RAUDEFなど挙げきれない)、またここで触れた作品や曲、アーティストについてもまだまだ語り足りないことが山ほどある。加えて、気づけば今年は批評文と呼べるような文章を自分が一つも書かなかったことも多少悔やまれると言えばそうだが、今の状況では「日本語ラップ批評」など不可能で、その前に書くべきこと、やるべきことが多々あるとも考えているので、それは来年の抱負ということにしておこう。2018年の日本語ラップも楽しみだ。
SALU「Sweet and GoodMemories」についての雑感
SALUのミックステープシリーズ『BIS』(Before I Singed)の第三弾『BIS3』が10月13日に公開された。そもそもSALUは日本でフリーダウンロードのミックステープを上手く利用して成り上がるという手法をいち早く取り入れたラッパーの一人だった。一作目のミクステ『Before I Singed』は2011年の末に公開された。周知の通りSALUと並走したのがAKLOで、般若が2013年に「時代はやっぱりSALUとかAKLO」(「はいしんだ feat. SAMI-T」)と歌ったのは有名である。ミクステに関して言えば、2009年に『DJ.UWAY Presents A DAY ON THE WAY』を出しているAKLOの方が早いのだが。SALUとAKLOが並べて語られるのは、それぞれのデビューアルバム『IN MY SHOES』、『THE PACKAGE』を、日本屈指のビートメイカーBACH LOGICが主宰するレーベル、ONE YEAR WAR MUSICから2012年に発表しているからである。ちなみに、このBLのレーベルはSALUのために立ち上げられたものであるというのは非常に有名なエピソードであり、あのBLが太鼓判を押すのだからということでSALUとAKLOは鳴り物入りでデビューしたわけである。BLはまずDOBERMAN INCのプロデュースがそのキャリアの第一に挙げるべきであるが、やはり彼の仕事で最も決定的なのはやはりSEEDA『花と雨』であり、またNORIKIYO『OUTLET BLUES』も全面プロデュースであり、SEEDAとNORIKIYOという日本語ラップ史上最も魅力的な二大巨頭の作品に携わったというところがそのプロップスの源泉だろう。本題のSALUに戻るが、SALUにはBLともう一人有力なビートメイカー/プロデューサーが付いており、それはSEEDAにBLとI-DeAがいたようなことと似ている。ESTRA(=OHLD)である。SALUが世に知られる前からの仲だそうだが、OHLDはすでにSEEDA&DJ ISSOの『CONCRETE GREEN』に入っている楽曲のビートメイクを担当しており、おそらくその繋がりからだろうがSEEDA『SEEDA』に楽曲を二曲提供し、さらにSEEDAがILL-BOSTINO、EMI MARIAをフィーチャーして出したヒットシングル「WISDOM」のトラックを担当して名を上げつつあった。つまりSEEDAのフックアップがあったと言ってよく、SALUはそのOHLDを介してSEEDAと出会うことになる。そして、SALUのキャリアのごく初期の2010年の段階(『BIS』もまだ出していない)でSCARSの『THE EP』にOHLDとともに参加している。つまり、SALUもまたSEEDAのフックアップを受けたということだ。EP制作中の時期のブログにもSALUのことを書いている(http://seeda.syncl.jp/?p=diary&di=524915)。このEP参加はSALUにとって決定的であり、そこではじめてBLと出会い、上述のようなアルバムデビューを飾る運びとなる。Amebreakのインタビューでは、SEEDAからの大きな影響を語りつつ、その時の様子を話している(http://amebreak.ameba.jp/interview/2012/03/002698.html)。
本題に入るが、『BIS3』から先行してYoutubeにMVをアップされた「Sweet and GoodMemories」は今年出た曲の中でもずば抜けて完成度が高く、まずはその曲を聞いてみたい。
今、HIP HOPの世界ではラップにメロディーを付けるのが流行している。この潮流がどこから始まったのかを正確に知ることは手に余る仕事だが、例えば「A Brief History of Rappers Singing」(https://t.co/Y2rR8GjnmZ)という記事を見つけた(他にもっとまとまったものがあるかもしれないがとりあえず手近だったので)。重要なところだけを取り出せば、やはり今の流れに直結するのはDrakeの登場という事件だったようである。記事中に出てくる「Best I Ever Had」(https://www.youtube.com/watch?v=fgdAj2_ZKSc)はDrakeのファーストアルバム『Thank Me Later』からのシングルカット曲で、彼の他の多くの曲でもそうなのだが、Drakeはヴァースでラップ、フックで歌という形式を好むということはよく指摘されていた。しかし、ヴァース部分のラップもまたルーズであり、彼と双璧をなすLil Wayneとともに新しいラップスタイルだったのであり、そのことがメロディーをラップに持ち込むことを可能にしたと言いうるかもしれない。SALUが出てきた時、よく言われたのが独特の伸ばした語尾のラップについてだったが、それはDrakeなどからの影響と見てもよいのではないだろうか、よく検証したわけではないので大きなことは言えないが。ともあれ、そうしたラップスタイルの変動は、ラップの譜割りやビートの掴み方を変え、今の流行のラップに繋がっているだろう。すなわち、トラップに顕著な三連符を多用した過度に言葉を詰めたラップと、トラップ以降の潮流であるメロディアスなラップである。この二つは、一見違うもののようにも思えるが、ビートを捉える視点は同じで、そこから派生したものではないかと思う。が、これもまた十分な検証を要するだろう。言いたいのは、SALUの今年の動きの中で面白いのが、「Sweet and GoodMemories」が完全にラップと歌の境界を無効にするようなものである一方、JP THE WAVY「CHO WAVY DE GOMENNE REMIX」ではトラップ的な乗り方を完璧にこなしてみせ、かつ圧倒的なスキルを見せつけたことである。
若手ならばこうしたことを軽々とやってのけるラッパーは多い。例えば、今年大傑作アルバム『Mobb Life』を発表したBAD HOPは、そのキャリアのはじめに大きな影響を受けたシカゴ産のドリル・ミュージック的なスタイルを発展させた表題曲「Mobb Life」や「I Feel Like Goku」(T-Panblow『Super Siyan』からの再録)を披露する一方、日本で今最も高度なsing-rapだと言える「Ocean View」や「これ以外」を同じアルバムに入れるという幅を見せている。ここで、SALUの「Sweet and GoodMemories」を注意深く見てみると、これらのラップスタイルの大きな変動を可能にした、さらに深い源泉が見えてくるように思う。
あれは十七の夏の話 甘くて淡い物語
あの子はハタチで俺らより大人 だけどまだあどけない
この歌い出しから明らかなように、曲の主題はBack in the days的な青春の物語である。高校生の時分に年上の女性に恋をしたという話題だが、このトラックにはサンプリングの元ネタがある。アメリカのフィメール・ラッパーであるTrinaの「Da Club Ft. Mannie Fresh」(2005年)である。この、クラブで魅力的に踊る女性が主題である「Da Club」の歌い出しは以下である。
Ladies and gentlemen!
I was 18, and she was 25
And I was kinda fast for my age
ここで歌われている、年上の女性に対して若者が分不相応かと逡巡しながらも憧れるという典型的にロマンチックな心情を、SALUはオマージュしているわけである。もっと言えば、フックの「The club went crazy」という一節もこの二つは共有しているし、そもそも一曲全体のSALUのフロウはMannie Freshのフロウを丸ごと取り入れている。もちろんパクリだなどと言いたいわけでは全くない。歌的なラップが持ち込んだ面白さの第一は自在なメロディの変化を味わうことを可能にしたことだと思うが、その点SALUは完璧であるし、また3ヴァース目の「金曜の夜にDAZZにイベントに行き/土曜の昼からBBQをして/またクラブに行って日曜はみんなで夜まで寝た」という一節は独創的で、圧巻である。この部分は息継ぎなく一息に歌われるが、ラップにおける句跨ぎ的なこの技法を上手く使えるラッパーは数少ない。そもそもこうした技法は、ラップ・ミュージックの形式的な本質をなす小節というものに対して鋭敏でなければならず、こうした意識を持つラッパーが貴重なのは言うまでもないことだ。見事な先例を上げておけば、雷「2U」のD.Oの「アニキの想像通り色んなこと言ってるぜ関係ねえヤツがシャバじゃ/でも余計なこと考えずに身体だけは気を付けろよな」というラインや、般若「家族 feat. KOHH」の「 『達雄が私を呼んでる』つって/9階ベランダから飛び降りて自殺しようとする」というKOHHのラインなどがある。
話が逸れたが、ビート、フロウ、リリックがサンプリングに基づいて作られているこの曲が可能になったのは、やはり今のメロディアスなラップの流行があってこそだろう。元曲は2005年で、その時点ではフック=歌とヴァース=ラップは分けられていたが、2017年のこちらの曲では、元曲のフックのフロウが一曲全体に用いられているからである。しかし、SALUは曲中にもう一つ別の曲から引用をしている。
君と踊った最後の夜
時計の針あの日に巻き戻す
Snap yo fingers, Do yo step
You can do it all by yourself
後ろ二行は、T-Pain「Buy U A Drank (Shawty Snappin') ft. Yung Joc」(https://www.youtube.com/watch?v=dBrRBZy8OTs)の冒頭で歌われている一節を引用したものである。実は、T-Painのこのフレーズ自体がLil Jon「Snap Yo Fingers」(https://www.youtube.com/watch?v=AoA-ByjIf2M)からの引用なのだが、SALUの曲調から明らかだと思うが、Lil Jonのクランク的なノリをこの場に持ち込もうとしたとは考えられないのでT-Painからの引用と見て間違いはないだろう。「Buy U A Drank」もまた、「Da Club」と同様にクラブで踊る女性がテーマになっている。そうした文脈を踏まえたこの引用は見事と言うほかなく、その前に位置している「君と踊った最後の夜」という一節が、「You can do it all by yourself」に別れの意味を新たに付与して上手く引き立てている(「Buy U A Drank」は、タイトルからして「一杯奢るよ」といった意味であること――細かく言うとdrankはおそらく酒ではなく、ドラッグとして使用される咳止めシロップとスプライトなどのジュースを混ぜたものを指すらしいのだが、よく分からない――からも明らかなようにナンパ=出会いの曲である)。
しかし、こうした巧妙な仕掛けに加えて、さらにSALU自身の自伝的な要素がここに絡んでくる。この曲が「あれは17の夏の話」と歌い出されることを思い出そう。SALUは1988年生まれであり、ということは2005年に彼は17歳だったわけだが、この曲の元ネタである「Da Club」は2005年発表なのである(正確には10月なので夏を過ぎてはいるが、それは切り捨てるべき誤差として見逃したい)。歌詞ではさらに「19の俺は相変わらず/クラブに行っては全く働かなく」というように19歳=2007年の時期が歌われ、そこでその年上の女性と別れたことが歌われているが、念入りなことに「Buy U A Drank」もまた正確に2007年発表なのである。
いささかストーカーじみてきたが、こうした仕掛けによってラッパーはリアルを創出するのだということは言っておきたい。『サイゾー 2017年6月号』に寄稿した「漢、Zeebra、ANARCHY……ドラッグの密売体験も激白!ラッパー自伝の“リアル”とは?」(http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2017/06/post_7618/)でヒップホップを私小説的だと言うのは間違いであると書いた。補足して言うなら、私小説的であるヒップホップもあるかもしれないが、それは往々にして堕落した形のものであり(最も偉大な例外としてSEEDAをはじめとするCCG一派の内省的なハスリング・ラップがあり、OKI「四畳半劇場 feat. NORIKIYO」などが代表例だろう)、真にヒップホップ的だと言うべきは「自伝的」なものなのである。そして上記の拙文で触れた漢『ヒップホップ・ドリーム』と似た工夫としてSALUの厳密すぎる引用の仕掛けがあると言えるだろう。
余談が過ぎたので整理しながら、話を進めよう。SALUは2005年に「Da Club」を聞きながら遊んで暮らし、2007年に「Buy U A Drank」を聞きながら恋した女性と別れた。2010年、OHLDを介してSEEDAと会い、SCARS『THE EP』に参加し、そこでBACH LOGICと出会い、アルバムを出すまでに二枚のミクステ『Before I Singed』『BIS2』を出した。その後精力的な活動を続けていたがそれは省略することにして、現段階で最新のアルバム『INDIGO』(2017年)では、OHLDを介してだろうニューカマーゆるふわギャングと共演したり(OHLDはゆるふわギャング『Mars Ice HOUSE』に参加している)、バイラルヒットした「CHO WAVY DE GOMENNE」にいち早く反応し、先日発表の『BIS3』に至る。
「Sweet and GoodMemories」は、今の最新の流行に食らい付いている曲だと思うが、しかしその元ネタは2000年代半ばから後半のUSのHIP HOPにあった。その時代のHIP HOPはまさにサウスが勢いをどんどん増していった時代であり、R&Bが広まりだし、またヒップホップがR&Bと接近した時代でもあったと言えるだろう。もちろん、ずっとヒップホップとR&Bは強い結びつきを持っているが、現在の流行に直結するものとしてはこの時代の現象が決定的であっただろう。
この時、これらのUSでの動きに最もアンテナを張り、いち早く反応したのがSEEDAだったと言える。SCARSの2nd『NEXT EPISODE』は2008年だが、同じ年に開設されたSEEDAのブログ「CONCRETE GREEN BLOG」(http://seeda.syncl.jp/?p=diarylist)を見てみると、当初はきわめて頻繁に「BLOG DJ」などといった題の記事でアメリカで発表された新曲をブログ内で数多く紹介している。実際、その成果は『NEXT EPISODE』収録の一曲「ONEWAY LOVE feat. BRON-K(SD JUNKSTA)」などに表れていると言える。今では当然だが、当時としては珍しくオートチューンを使用したメロディアスな一曲で、本人は遊びで使ったと言っているが、T-PainやLil Wayneなど当時の流行の影響であることは間違いない。付言しておけば、日本でそれよりもさらに早い時期でのオートチューン使用の例にKREVA「希望の炎」(2004年)があり、メロディアスなラップも早い段階で披露している。KREVAは他にもKick The Can Crew「TORIIIIIICO!」では「We got flowでなんかこうなってラッパーは歌ったっていいぜ」と言っているし、RHYMESTER「ウィークエンド・シャッフル」のKREVAのヴァースでも歌っている。さらにSEEDAに引きつければ、熊井吾郎「GOOD BOY, BAD BOY feat.SEEDA, KREVA」(2009年)でもオートチューンが使われ、KREVAがフックを歌っている。
SEEDAはさらに、「ONEWAY LOVE」で共演したBRON-Kと、同アルバムに二曲ミックスで参加したOHLDと三人の共同で、2010年にEP『DESERT RIVER』を発売する。サウンドにこだわることを目標として制作されたというこの一枚は、メロウなラップを得意とするBRON-Kときわめて高いセンスを持つOHLDと、最も音楽的な意欲に満ちた時期のSEEDAの三人の力を合わせた一枚だが、まさにこれらの時期に試みられた先見的な音楽を今引き継いでいるのがSALUだということが言いたいのだ。
ここでBRON-Kにも触れておかねばならない。周知の通り、SD JUNKSTAの中心メンバーであり、メンバーとしてはNORIKIYO、TKCに次いで三番目にファーストソロアルバム『奇妙頂礼相模富士』を2008年に発売している。『NEXT EPISODE』と同年だが、そこではメロディアスな「ONEWAY LOVE」とは異なり、きわめて細かい感覚でリズムを刻む才気あふれるラップを披露している。その後、メロディアスな方のラップを磨き多くの客演仕事で活躍し、セカンドアルバム『松風』(2012年)に結実することになる。後付けに過ぎないかもしれないが、BRON-Kのこの幅は、トラップとそれ以後のメロディアスな方向性を先取りしていたと言えるかもしれない。少なくとも、ドラムの一打一打全てに絡んでいると言いたくなるほど繊細なリズムの刻み方は、独特の感覚で間を作り出しており、その彼がまたきわめてハイセンスなメロディを歌っているという事実は興味を引くはずだ。
こうしたとき、サウスが隆盛してきていた時期の2008年周辺のヒップホップを摂取したDESERT RIVERの試みは、OHLDという具体的な人物を通してSALUに受け継がれていると言えるだろう。それらは同根なのであり、そして今のヒップホップの潮流の元になっているのである。SALUもまた、ビートアプローチがきわめて独特なラッパーであり、かつメロディセンスにも優れているが、SEEDAのきわめて早い耳と、BRON-Kの独創的なセンスが今のSALUを準備したと言えるのではないか。
SEEDAらがほぼ同時代的に反応したヒップホップの上に、今の若手のラッパーたちが参照するUSの最新のラッパーたちがいることは間違いない。「Sweet and GoodMemories」が面白いのは、最先端のメロディーラップとして稀有の完成度を見せながら、同時に最新の潮流の起源となっている時期のヒップホップをサンプリング、引用しているところだが、さらにそれを曲の主題であるBack in the days的な身振りと結び付け、そこに自伝的な要素をさえも絡めて、引用やサンプリングを必然的なものにしている。引用やサンプリングというコンテクストへの意識と、曲=テクストの主題が密接に絡んで、さらにラッパーの自伝的な物語と重なりながらヒップホップや日本語ラップの歴史を暴くという、奇跡と言ってもいいような事態が見られるとも言い換えられるだろう。