韻踏み夫による日本語ラップブログ

日本語ラップについて Twitter @rhyminaiueo

SALU「Sweet and GoodMemories」についての雑感

 SALUのミックステープシリーズ『BIS』(Before I Singed)の第三弾『BIS3』が10月13日に公開された。そもそもSALUは日本でフリーダウンロードのミックステープを上手く利用して成り上がるという手法をいち早く取り入れたラッパーの一人だった。一作目のミクステ『Before I Singed』は2011年の末に公開された。周知の通りSALUと並走したのがAKLOで、般若が2013年に「時代はやっぱりSALUとかAKLO」(「はいしんだ feat. SAMI-T」)と歌ったのは有名である。ミクステに関して言えば、2009年に『DJ.UWAY Presents A DAY ON THE WAY』を出しているAKLOの方が早いのだが。SALUAKLOが並べて語られるのは、それぞれのデビューアルバム『IN MY SHOES』、『THE PACKAGE』を、日本屈指のビートメイカーBACH LOGICが主宰するレーベル、ONE YEAR WAR MUSICから2012年に発表しているからである。ちなみに、このBLのレーベルはSALUのために立ち上げられたものであるというのは非常に有名なエピソードであり、あのBLが太鼓判を押すのだからということでSALUAKLO鳴り物入りでデビューしたわけである。BLはまずDOBERMAN INCのプロデュースがそのキャリアの第一に挙げるべきであるが、やはり彼の仕事で最も決定的なのはやはりSEEDA『花と雨』であり、またNORIKIYO『OUTLET BLUES』も全面プロデュースであり、SEEDAとNORIKIYOという日本語ラップ史上最も魅力的な二大巨頭の作品に携わったというところがそのプロップスの源泉だろう。本題のSALUに戻るが、SALUにはBLともう一人有力なビートメイカー/プロデューサーが付いており、それはSEEDAにBLとI-DeAがいたようなことと似ている。ESTRA(=OHLD)である。SALUが世に知られる前からの仲だそうだが、OHLDはすでにSEEDA&DJ ISSOの『CONCRETE GREEN』に入っている楽曲のビートメイクを担当しており、おそらくその繋がりからだろうがSEEDASEEDA』に楽曲を二曲提供し、さらにSEEDAがILL-BOSTINO、EMI MARIAをフィーチャーして出したヒットシングル「WISDOM」のトラックを担当して名を上げつつあった。つまりSEEDAのフックアップがあったと言ってよく、SALUはそのOHLDを介してSEEDAと出会うことになる。そして、SALUのキャリアのごく初期の2010年の段階(『BIS』もまだ出していない)でSCARSの『THE EP』にOHLDとともに参加している。つまり、SALUもまたSEEDAのフックアップを受けたということだ。EP制作中の時期のブログにもSALUのことを書いている(http://seeda.syncl.jp/?p=diary&di=524915)。このEP参加はSALUにとって決定的であり、そこではじめてBLと出会い、上述のようなアルバムデビューを飾る運びとなる。Amebreakのインタビューでは、SEEDAからの大きな影響を語りつつ、その時の様子を話している(http://amebreak.ameba.jp/interview/2012/03/002698.html)。

 本題に入るが、『BIS3』から先行してYoutubeにMVをアップされた「Sweet and GoodMemories」は今年出た曲の中でもずば抜けて完成度が高く、まずはその曲を聞いてみたい。

www.youtube.com

 

 今、HIP HOPの世界ではラップにメロディーを付けるのが流行している。この潮流がどこから始まったのかを正確に知ることは手に余る仕事だが、例えば「A Brief History of Rappers Singing」(https://t.co/Y2rR8GjnmZ)という記事を見つけた(他にもっとまとまったものがあるかもしれないがとりあえず手近だったので)。重要なところだけを取り出せば、やはり今の流れに直結するのはDrakeの登場という事件だったようである。記事中に出てくる「Best I Ever Had」(https://www.youtube.com/watch?v=fgdAj2_ZKSc)はDrakeのファーストアルバム『Thank Me Later』からのシングルカット曲で、彼の他の多くの曲でもそうなのだが、Drakeはヴァースでラップ、フックで歌という形式を好むということはよく指摘されていた。しかし、ヴァース部分のラップもまたルーズであり、彼と双璧をなすLil Wayneとともに新しいラップスタイルだったのであり、そのことがメロディーをラップに持ち込むことを可能にしたと言いうるかもしれない。SALUが出てきた時、よく言われたのが独特の伸ばした語尾のラップについてだったが、それはDrakeなどからの影響と見てもよいのではないだろうか、よく検証したわけではないので大きなことは言えないが。ともあれ、そうしたラップスタイルの変動は、ラップの譜割りやビートの掴み方を変え、今の流行のラップに繋がっているだろう。すなわち、トラップに顕著な三連符を多用した過度に言葉を詰めたラップと、トラップ以降の潮流であるメロディアスなラップである。この二つは、一見違うもののようにも思えるが、ビートを捉える視点は同じで、そこから派生したものではないかと思う。が、これもまた十分な検証を要するだろう。言いたいのは、SALUの今年の動きの中で面白いのが、「Sweet and GoodMemories」が完全にラップと歌の境界を無効にするようなものである一方、JP THE WAVY「CHO WAVY DE GOMENNE REMIX」ではトラップ的な乗り方を完璧にこなしてみせ、かつ圧倒的なスキルを見せつけたことである。

 若手ならばこうしたことを軽々とやってのけるラッパーは多い。例えば、今年大傑作アルバム『Mobb Life』を発表したBAD HOPは、そのキャリアのはじめに大きな影響を受けたシカゴ産のドリル・ミュージック的なスタイルを発展させた表題曲「Mobb Life」や「I Feel Like Goku」(T-Panblow『Super Siyan』からの再録)を披露する一方、日本で今最も高度なsing-rapだと言える「Ocean View」や「これ以外」を同じアルバムに入れるという幅を見せている。ここで、SALUの「Sweet and GoodMemories」を注意深く見てみると、これらのラップスタイルの大きな変動を可能にした、さらに深い源泉が見えてくるように思う。

 

あれは十七の夏の話 甘くて淡い物語

あの子はハタチで俺らより大人 だけどまだあどけない

 

 この歌い出しから明らかなように、曲の主題はBack in the days的な青春の物語である。高校生の時分に年上の女性に恋をしたという話題だが、このトラックにはサンプリングの元ネタがある。アメリカのフィメール・ラッパーであるTrinaの「Da Club Ft. Mannie Fresh」(2005年)である。この、クラブで魅力的に踊る女性が主題である「Da Club」の歌い出しは以下である。

 

Ladies and gentlemen!
I was 18, and she was 25
And I was kinda fast for my age

 

 ここで歌われている、年上の女性に対して若者が分不相応かと逡巡しながらも憧れるという典型的にロマンチックな心情を、SALUはオマージュしているわけである。もっと言えば、フックの「The club went crazy」という一節もこの二つは共有しているし、そもそも一曲全体のSALUのフロウはMannie Freshのフロウを丸ごと取り入れている。もちろんパクリだなどと言いたいわけでは全くない。歌的なラップが持ち込んだ面白さの第一は自在なメロディの変化を味わうことを可能にしたことだと思うが、その点SALUは完璧であるし、また3ヴァース目の「金曜の夜にDAZZにイベントに行き/土曜の昼からBBQをして/またクラブに行って日曜はみんなで夜まで寝た」という一節は独創的で、圧巻である。この部分は息継ぎなく一息に歌われるが、ラップにおける句跨ぎ的なこの技法を上手く使えるラッパーは数少ない。そもそもこうした技法は、ラップ・ミュージックの形式的な本質をなす小節というものに対して鋭敏でなければならず、こうした意識を持つラッパーが貴重なのは言うまでもないことだ。見事な先例を上げておけば、雷「2U」のD.Oの「アニキの想像通り色んなこと言ってるぜ関係ねえヤツがシャバじゃ/でも余計なこと考えずに身体だけは気を付けろよな」というラインや、般若「家族 feat. KOHH」の「 『達雄が私を呼んでる』つって/9階ベランダから飛び降りて自殺しようとする」というKOHHのラインなどがある。

 話が逸れたが、ビート、フロウ、リリックがサンプリングに基づいて作られているこの曲が可能になったのは、やはり今のメロディアスなラップの流行があってこそだろう。元曲は2005年で、その時点ではフック=歌とヴァース=ラップは分けられていたが、2017年のこちらの曲では、元曲のフックのフロウが一曲全体に用いられているからである。しかし、SALUは曲中にもう一つ別の曲から引用をしている。

 

君と踊った最後の夜 

時計の針あの日に巻き戻す

Snap yo fingers, Do yo step

You can do it all by yourself

 

 後ろ二行は、T-Pain「Buy U A Drank (Shawty Snappin') ft. Yung Joc」(https://www.youtube.com/watch?v=dBrRBZy8OTs)の冒頭で歌われている一節を引用したものである。実は、T-Painのこのフレーズ自体がLil Jon「Snap Yo Fingers」(https://www.youtube.com/watch?v=AoA-ByjIf2M)からの引用なのだが、SALUの曲調から明らかだと思うが、Lil Jonのクランク的なノリをこの場に持ち込もうとしたとは考えられないのでT-Painからの引用と見て間違いはないだろう。「Buy U A Drank」もまた、「Da Club」と同様にクラブで踊る女性がテーマになっている。そうした文脈を踏まえたこの引用は見事と言うほかなく、その前に位置している「君と踊った最後の夜」という一節が、「You can do it all by yourself」に別れの意味を新たに付与して上手く引き立てている(「Buy U A Drank」は、タイトルからして「一杯奢るよ」といった意味であること――細かく言うとdrankはおそらく酒ではなく、ドラッグとして使用される咳止めシロップとスプライトなどのジュースを混ぜたものを指すらしいのだが、よく分からない――からも明らかなようにナンパ=出会いの曲である)。

 しかし、こうした巧妙な仕掛けに加えて、さらにSALU自身の自伝的な要素がここに絡んでくる。この曲が「あれは17の夏の話」と歌い出されることを思い出そう。SALUは1988年生まれであり、ということは2005年に彼は17歳だったわけだが、この曲の元ネタである「Da Club」は2005年発表なのである(正確には10月なので夏を過ぎてはいるが、それは切り捨てるべき誤差として見逃したい)。歌詞ではさらに「19の俺は相変わらず/クラブに行っては全く働かなく」というように19歳=2007年の時期が歌われ、そこでその年上の女性と別れたことが歌われているが、念入りなことに「Buy U A Drank」もまた正確に2007年発表なのである。

 いささかストーカーじみてきたが、こうした仕掛けによってラッパーはリアルを創出するのだということは言っておきたい。『サイゾー 2017年6月号』に寄稿した「漢、Zeebra、ANARCHY……ドラッグの密売体験も激白!ラッパー自伝の“リアル”とは?」(http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2017/06/post_7618/)でヒップホップを私小説的だと言うのは間違いであると書いた。補足して言うなら、私小説的であるヒップホップもあるかもしれないが、それは往々にして堕落した形のものであり(最も偉大な例外としてSEEDAをはじめとするCCG一派の内省的なハスリング・ラップがあり、OKI「四畳半劇場 feat. NORIKIYO」などが代表例だろう)、真にヒップホップ的だと言うべきは「自伝的」なものなのである。そして上記の拙文で触れた漢『ヒップホップ・ドリーム』と似た工夫としてSALUの厳密すぎる引用の仕掛けがあると言えるだろう。

 余談が過ぎたので整理しながら、話を進めよう。SALUは2005年に「Da Club」を聞きながら遊んで暮らし、2007年に「Buy U A Drank」を聞きながら恋した女性と別れた。2010年、OHLDを介してSEEDAと会い、SCARS『THE EP』に参加し、そこでBACH LOGICと出会い、アルバムを出すまでに二枚のミクステ『Before I Singed』『BIS2』を出した。その後精力的な活動を続けていたがそれは省略することにして、現段階で最新のアルバム『INDIGO』(2017年)では、OHLDを介してだろうニューカマーゆるふわギャングと共演したり(OHLDはゆるふわギャング『Mars Ice HOUSE』に参加している)、バイラルヒットした「CHO WAVY DE GOMENNE」にいち早く反応し、先日発表の『BIS3』に至る。

 「Sweet and GoodMemories」は、今の最新の流行に食らい付いている曲だと思うが、しかしその元ネタは2000年代半ばから後半のUSのHIP HOPにあった。その時代のHIP HOPはまさにサウスが勢いをどんどん増していった時代であり、R&Bが広まりだし、またヒップホップがR&Bと接近した時代でもあったと言えるだろう。もちろん、ずっとヒップホップとR&Bは強い結びつきを持っているが、現在の流行に直結するものとしてはこの時代の現象が決定的であっただろう。

 この時、これらのUSでの動きに最もアンテナを張り、いち早く反応したのがSEEDAだったと言える。SCARSの2nd『NEXT EPISODE』は2008年だが、同じ年に開設されたSEEDAのブログ「CONCRETE GREEN BLOG」(http://seeda.syncl.jp/?p=diarylist)を見てみると、当初はきわめて頻繁に「BLOG DJ」などといった題の記事でアメリカで発表された新曲をブログ内で数多く紹介している。実際、その成果は『NEXT EPISODE』収録の一曲「ONEWAY LOVE feat. BRON-K(SD JUNKSTA)」などに表れていると言える。今では当然だが、当時としては珍しくオートチューンを使用したメロディアスな一曲で、本人は遊びで使ったと言っているが、T-PainやLil Wayneなど当時の流行の影響であることは間違いない。付言しておけば、日本でそれよりもさらに早い時期でのオートチューン使用の例にKREVA「希望の炎」(2004年)があり、メロディアスなラップも早い段階で披露している。KREVAは他にもKick The Can Crew「TORIIIIIICO!」では「We got flowでなんかこうなってラッパーは歌ったっていいぜ」と言っているし、RHYMESTER「ウィークエンド・シャッフル」のKREVAのヴァースでも歌っている。さらにSEEDAに引きつければ、熊井吾郎「GOOD BOY, BAD BOY feat.SEEDA, KREVA」(2009年)でもオートチューンが使われ、KREVAがフックを歌っている。

 SEEDAはさらに、「ONEWAY LOVE」で共演したBRON-Kと、同アルバムに二曲ミックスで参加したOHLDと三人の共同で、2010年にEP『DESERT RIVER』を発売する。サウンドにこだわることを目標として制作されたというこの一枚は、メロウなラップを得意とするBRON-Kときわめて高いセンスを持つOHLDと、最も音楽的な意欲に満ちた時期のSEEDAの三人の力を合わせた一枚だが、まさにこれらの時期に試みられた先見的な音楽を今引き継いでいるのがSALUだということが言いたいのだ。

 ここでBRON-Kにも触れておかねばならない。周知の通り、SD JUNKSTAの中心メンバーであり、メンバーとしてはNORIKIYO、TKCに次いで三番目にファーストソロアルバム『奇妙頂礼相模富士』を2008年に発売している。『NEXT EPISODE』と同年だが、そこではメロディアスな「ONEWAY LOVE」とは異なり、きわめて細かい感覚でリズムを刻む才気あふれるラップを披露している。その後、メロディアスな方のラップを磨き多くの客演仕事で活躍し、セカンドアルバム『松風』(2012年)に結実することになる。後付けに過ぎないかもしれないが、BRON-Kのこの幅は、トラップとそれ以後のメロディアスな方向性を先取りしていたと言えるかもしれない。少なくとも、ドラムの一打一打全てに絡んでいると言いたくなるほど繊細なリズムの刻み方は、独特の感覚で間を作り出しており、その彼がまたきわめてハイセンスなメロディを歌っているという事実は興味を引くはずだ。

 こうしたとき、サウスが隆盛してきていた時期の2008年周辺のヒップホップを摂取したDESERT RIVERの試みは、OHLDという具体的な人物を通してSALUに受け継がれていると言えるだろう。それらは同根なのであり、そして今のヒップホップの潮流の元になっているのである。SALUもまた、ビートアプローチがきわめて独特なラッパーであり、かつメロディセンスにも優れているが、SEEDAのきわめて早い耳と、BRON-Kの独創的なセンスが今のSALUを準備したと言えるのではないか。

 SEEDAらがほぼ同時代的に反応したヒップホップの上に、今の若手のラッパーたちが参照するUSの最新のラッパーたちがいることは間違いない。「Sweet and GoodMemories」が面白いのは、最先端のメロディーラップとして稀有の完成度を見せながら、同時に最新の潮流の起源となっている時期のヒップホップをサンプリング、引用しているところだが、さらにそれを曲の主題であるBack in the days的な身振りと結び付け、そこに自伝的な要素をさえも絡めて、引用やサンプリングを必然的なものにしている。引用やサンプリングというコンテクストへの意識と、曲=テクストの主題が密接に絡んで、さらにラッパーの自伝的な物語と重なりながらヒップホップや日本語ラップの歴史を暴くという、奇跡と言ってもいいような事態が見られるとも言い換えられるだろう。