韻踏み夫による日本語ラップブログ

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「2017年ベストアルバム/ソング In 日本語ラップ」への自註

 日本語ラップの商品発売情報を掲載している非常に有益なメディア、「2D Colvics」(http://blog.livedoor.jp/colvics/)の毎年末恒例の年間ベストアルバム/ソング企画に、昨年に引き続き参加させてもらった。ただ作品を挙げているだけなのもせっかく選んだのだからもったいなく、また一年を振り返る意味でも、ランキングに入れた作品についてコメントしておこうと思う。ちなみに、私は選出の際に、ベストアルバムに収録されている曲はベストソングには入れないようにした。普通に選べば被ってしまうのが当然だが、被っていては面白味に欠けるとおもったからだ。ランキングを転記しておく。

 

2017 BEST ALBUMs In 日本語ラップ

http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52267307.html

 

#01:PUNPEE「MODERN TIMES」

#02:ゆるふわギャング「MARS ICE HOUSE」

#03:BAD HOP「MOBB LIFE」

#04:NORIKIYO「Bouquet」

#05:GOODMOODGOKU & 荒井勇作「色」

#06:SUSHIBOYS「NIGIRI」

#07:Weny Dacillo「AMPM - EP」

#08:SALU「BIS3」

#09:JJJ「HIKARI」

#10:BES「THE KISS OF LIFE」

 

 

2017 BEST SONGs In 日本語ラップ

http://blog.livedoor.jp/colvics/archives/52267306.html

 

#01:ECD × DJ Mitsu The Beats - 君といつまでも(together forever mix)

#02:JP THE WAVY feat. SALU - Cho Wavy De Gomenne Remix

#03:tofubeats - LONELY NIGHTS

#04:Elle Teresa feat. Yuskey Carter & ゆるふわギャング - CHANEL

#05:LEON a.k.a. 獅子 - GUN SHOT

#06:Jin Dogg feat. Young Yujiro & WillyWonka - アホばっか

#07:LIBRO - 言葉の強度がラッパーの貨幣

#08:RHYMESTER feat. mabanua - Future Is Born

#09:KICK THE CAN CREW - 千%

#10:JAZZ DOMMUNISTERS feat. 漢 a.k.a. GAMI - Blue Blue Black Bass

#11:dodo - swagin like that

#12:I-DeA feat. D.O - DeA Boyz

#13:Bullsxxt - 傷と出来事

#14:STPAULERS feat. KNZZ - Kick In The Door

#15:Chino Braidz feat. MEGA-G - Dejavu

 

 

 まずはベストアルバムから話を始めるが、多くの人が言っているように今年の日本語ラップはかなり豊作だったと思う。若手、中堅、ベテラン問わず多くの優れた作品が出た。その中でも一位に選ばざるをえないと感じたのがPUNPEE待望の、というよりも渇望の1stアルバム『MODERN TIMES』だった。自分の中でそれとほぼ同率一位枠という気持ちで選んだのが二位のゆるふわギャング『Mars Ice House』と、三位BAD HOP『Mobb Life』である。あえてこの順位になった理由を探せば、一枚のアルバムとして聞いたときのまとまりや完成度ということになるが、曲単位で一番好きなものが多いのはBAD HOPであるし、シーンに新しい風が吹いたというような興奮をもたらしてくれた点では、ゆるふわギャングが圧倒的であるし、やはりこの三作は同率一位という気持ちでいる。これらは、十年、二十年後にも残るような作品だと思う。

 『MODERN TIMES』は、30年後の自分が登場するメタ視点を取ったコンセプトアルバムである。音楽作品に限らずメタものの物語などが持つぬぐい切れない退屈さはどうしても好きになれず、またThe Beatles『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』以来コンセプトアルバムというのもとにかく「エラソー」で苦手なのだが、それでも『MODERN TIMES』は大傑作で、大好きな作品だった。この圧倒的な音世界の魅力を語り切る能力も自信もないが、ワクワクさせるようなSF的であったりファンタジックであったりするビートから、90年代ヒップホップ的な格好良さまで、さすがPUNPEEだという出来なのは説明不要だろう。また、ラッパーあるいはボーカリストとしての才覚も存分に振るわれていて、リズムもメロディーも声もすべてが一級である。しかし、大変恐縮だがアルバム中のベストソングを選ぶとすればどうしても「Renaissance」になってしまう。レア盤になっている『Moving On The Sunday』からの再録でもあり、長くPUNPEEの代表作として知られている一曲だが、あらためて聞いてみると、「凡人」で「暇人」のPUNPEEのスゴさの秘訣が歌われているような気がした。ヒップホップには不良文化の側面が非常に強くあることは間違いないが、かといって不良でない者を排除する文化ではないことも確かだ。しかし多くのナードで文系でオタクなラッパーやリスナーはヒップホップに疎外されたと感じルサンチマンを持つことが多々ある。ヒップホップとルサンチマンは徹底して無縁のものなのに!たとえば、「メジャーデビュー」したらしいある「ふたり」組がそうしているようにルサンチマンを垂れ流すことを許すというようなこととは全く別の次元で、ヒップホップはあらゆる生を肯定するのだが、PUNPEEが「Renaissance」で正確に歌うのはそのような微妙だが絶対に取り違えてはならない点であり、それはまさに「少しだけ微量の閃光」を投げかけるようなものと言えるだろう。つまり、最も批判すべきはハスラーやゲットーといったような、ヒップホップ的イメージを措定してしまうことであり、またそのようなイメージと自分の「リアル」がかけ離れているからといって反ヒップホップ的に思えるようなものをあえて掲げるような安易な価値転倒もまた、結局は固定されたイメージに寄りかかった思考であるという点で同断である。「大きな海原」と「砂浜」の対置は、それを指し示している。ヒップホップという「大きな海原にデッカイお宝」など存在しないのであって、「イジケ」ながらもそれぞれがそれぞれの多様な「砂浜」にとどまること、そしてそこでのクリエイティブな喜びを肯定することがヒップホップの本質であろう。したがって、PUNPEEは最もヒップホップ的なのだと言える。

 ところで、BullsxxtのMC、UCDは「例えばPUNPEEの今回のアルバムもけっこうポリティカルだと思う」(http://www.ele-king.net/interviews/006033/)と言っており、貴重な指摘だと思う。確かに『MODERN TIMES』はコンセプトアルバムであり、アメコミオタクらしいオマージュや引用が数多く、そして何よりサウンドが美しいため、作品世界が閉じられて、政治性が脱色される危うさも十分にあったはずだが、決してそうはなっていないということだ(そう感じられない、あるいは感じたくないと思うなら、それは相当呑気で鈍感だと言わざるを得ない)。その意味では、ポップでもありファンタジックな世界を歌っている、ゆるふわギャング『Mars Ice House』も同様に「ポリティカル」だと言える。例えば、どちらのアルバムも共通して宇宙に行きたいと言っていることが興味深く、SF的だったりファンタジックであったりする点で似ているところがあると言っていいだろう。PUNPEEについては置くが、ゆるふわギャングは「Hunnyhunt」(ディズニーランドのアトラクション)、「Fuckin’ car」(マリオカート)、「グラセフ feat. Lunv Loyal」(グランド・セフト・オート)などフィクションの世界についての曲やモチーフが多い。彼らのその虚構世界はそれ自体で十分に魅力的だが(誰もが、「グラセフ」のMVに映されたあのネオン街で彼らのように暴れまわりたいと思ったはずだ)、同時にそこには「リアル」から/との逃走/闘争が確かに感じられる。あまり小難しい話をするつもりはないが、ジル・ドゥルーズの「逃走の線とは人生から逃れること、想像の世界あるいは芸術の中への逃避であると思うことは大きな誤りであり、唯一の誤謬だ。反対に、逃れるとは、現実を生み、人生を創り、武器を発見することだ」(ジル・ドゥルーズクレオール・パルネ『ドゥルーズの思想』)という文章はゆるふわギャングを聴く時にはぴったりだと思う。彼らがとてもハードな環境で生きてきたことはインタビューなどで知られている。その点ではKOHHも同じだが、佐藤雄一「なぜ貧しいリリックのKOHHをなんども聴いてしまうのか?」(『ユリイカ 2016年6月号』)で言われる通り、KOHHの描く風景は殺風景な団地である(それが振動し立体感を持ち躍動するというのが佐藤の論である)。それに比べると、KOHHの次に出てきたラップスターであるゆるふわギャングの世界はカラフルで豊かである。『Mars Ice House』は、日本語ラップがさらに一歩進んだと感じさせる作品だった。

 三位のBAD HOP『Mobb Life』はとにかく曲単位、パンチライン単位で見るとずば抜けているように思う。一曲目の表題曲からYZERRは高いセンスのフロウと凶暴なリリックを見せ、T-Pablowは「いくら積まれてもだせーオファーを蹴る代わりにかっけーヴァースを蹴る覚悟/持ってなきゃお前らの出る幕もない ただのくそだせーセルアウト」と強烈なサッカーMCディスをかましている(続けて「観客に囲まれルールがなきゃ戦えないスポーツしか出来ねえんだからマウスピース噛んどけ子狐ども」とあるからおそらくバトルMCたちを、特に『フリースタイルダンジョン』でバトルが白熱した晋平太を意識しているのであろうが、痛快である)。T-Pablowで言えば、「Ocean View」の「ディナー運んでくるウェイターもしてるびっくり タトゥー入れまくり若いのにいい羽振り/もしかして悪い仕事してる人たち いや違うよラッパー横に幼馴染」というインパクトある一節も残しており、発表後すぐに話題になっていたように記憶している。ウェイターから不審がられていることをボーストしてしまうイケイケ感から、いきなり自由間接話法風に「もしかして悪い仕事してる人たち」とそのウェイターの心内語を歌い、すぐさま「いや違うよ」と否定する語りの呼吸のリリカルな感触などはSEEDAを思わせる。そのPablowよりも凶暴なパンチを持っているのはBenjazzyで、「Hendz Up」のフックでは不穏さを煽るビートの上で、短い韻を矢継ぎ早に重ねながら「音を上げろKentaざけんなこれは喧嘩/俺ら来れば現場他の奴ら全員が前座」とかましている。Benjazzyのマッドな魅力が最も出ているのは、彼らのラジオ番組「Choosy Tuesday」でのロウトーンで放たれる突飛な暴論暴言の数々もそうだが、何よりアルバムの特典に付いた「Cho Wavy De Gomennne」のリミックスだろう。「ラップが上手いって褒められてもちっとも嬉しくないしいまだにルーキー扱いしてんじゃねえよ」、「wavyでマジごめん」、「まじで人生舐めてるし何も動じねえ」など、怒りや不満をブチギレラップに乗せたあのヴァースはとにかく突き抜けており、聞くたびに爆笑してしまう(ふと思ったのだが、ブチギレラップの元祖は誰であろうか。やはりTOKONA-Xが卓越していると思われるが、怒りとラップについて考えてみるのも一興だろう)。もう一人触れておかねばならないメンバーは、Tiji Jojoで、音楽的なセンスで言えばメンバーの中でもトップだろう。特に「Super Car」のフロウは耳をひく。フックから滑らかにヴァースに移行しつつも、「ガルウィングで」「重圧な」の箇所の鋭敏なカットインの仕方などは奇跡的で、比喩的に言ってしまえば、それこそ彼のラップがスーパーカーのような高い走行機能を持っていることを十分に示している(ちなみに、ラップと車の走行の比喩はSEEDA「TECHNIC」を筆頭に、後述SUSHIBOYS「軽自動車」など数多くあるから、気取って言っているわけではない)。また、「これ以外」でも素晴らしいメロディセンスを見せており、特に「だから負けりゃ悔しいし無表情で舌を噛む」の高音フロウは圧倒的である(おそらく「悔しい」ときに噛むべきなのは「(下)唇」で、「舌」を噛むのは自殺するときではなかろうか?というツッコミはあろうが、日本語ラップのアンセムZeebra「Street Dreams」でも本来「匙投げた」と言うべきを「箸投げた奴ら」と間違えているのだからまったく問題ではない)。最後に、彼らが今回のアルバムを通して残したもう一つのパンチラインに触れておかねばならない。それがラジオ番組やインタビューで紹介された「内なるJ」という彼らの中でのスラングである。メロディを付ける際にどうしても出てきてしまうJポップっぽいダサいメロディのことを指すらしく、それは徹底的に抑圧せねばならないものであるが、しかし日本で生まれ育った以上染み付いてしまっていることは否定できないものだとされている。この発言には、彼らのあまりに鋭い「ニッポンの」風土への批評性が込められていて大変驚かされた。例えば、BAD HOPに「J」なメロを見つけたと言って抵抗が不十分だと言ってみたりするような言説は、BAD HOPの認識にまったく追いついていないことを暴露しているだけで何の面白味もない。「内なるJ」が重要なのは、彼らがそれを無意識のようなものとして捉え、その上で内側から外へ出ることを目指すという形で抵抗しようとしている点であり、それこそが「ニッポンの思想」(≒批評)がずっと一貫して取り組んできた課題だというようなことを、私は今年の9月24日に市川湖畔美術館「ラップ・ミュージアム」のクロージング・イベント「日本語ラップ学会」で話した。

 思わずBAD HOPについての記述が長くなってしまった。四位の『Bouquet』はNORIKIYOの7枚目のアルバムである。コンスタントにアルバムを出し続けているNORIKIYOはもう日本語ラップシーンでもベテラン寄りの中堅といったポジションにいるかと思うが、興味深く思ったのは、彼がトラップ的なラップの乗り方を導入している点だった。多くの中堅やベテランを悩ませているのがトラップ的なノリに付いていけるのか否かということで、多くの、それももとは圧倒的なスキルを持っているはずのラッパーたちがなぜかトラップには苦しんでしまうというジレンマがあるように思う。例えば、ファーストアルバムを比べればスキルの上では勝っている(ように私は思う)AKLOよりもSALUの方がうまく適応しているし、SEEDAが苦しんでいるのに比べてA-THUGはどんなビートも乗りこなしてしまう。それで行くと、NORIKIYOは成功していると言えるだろう。批評家の吉田雅史は、トラップのラップの特徴は、言葉の母音を切り詰めて発音することにあると指摘しているが、それを踏まえると、特に「何で?」や「満月」のラップは独自の道を進んでいるように思えた。NORIKIYOのトラップなどの流行りとのうまい距離の取り方は、フックにSugerhill Gang「Rapper’s Delight」のオマージュさえなされるオーセンティックにヒップホップな一曲「It ain't nothing like Hip Hop」で「俺はトラップも好きでも原点がね俺にこう言う おいブリってんじゃねえよ」と歌っていることにも表れているだろう。また、この曲では「俺はレップするCCGの生き残り あれがなけりゃ今もきっと道のゴミ/あれはクラシック『REBUILD』『花と雨』 今もMONJUに伸びかけた鼻折られる」という一節が多くのリスナーを感動させた。考えてみれば、今のシーンを支えているラッパーたちのほとんどは「CCGの生き残り」であることに気が付く。加えて思い返すと、(30年後の)PUNPEEもアルバムのスキットでISSUGIを指して「彼の言葉にはいつも背筋を伸ばされたもんだよ」と評しており、MONJUの間違いなさはおそろしい。そのNORIKIYOとPUNPEEのシングル「終わらない歌(REMIX)」も素晴らしい出来で、それを聞いていて興味深く思ったのが、「すべてのクズ共のために」というThe Blue Heartsのパンク的な歌詞(NORIKIYOはブルハファンを公言しており例えば「SADAME」ではブルハの名曲「青空」をオマージュしている)と、曲中「損得超えたヤセ我慢」の一節が引用されているRHYMESTER「B-BOYイズム」の「素晴らしきロクデナシたち」と、NORIKIYOのクルー名にある「JUNKSTA」と、PUNPEEの「凡人」がそれぞれ類似しつつも微妙なズレがあるだろうということなのだが、それについて書くと長くなるのでやめておく。

 五位に選んだのは、神童として16歳ですでにデビューしていたGOKU GREENの、名義をGOODMOODGOKUに変え、あらべぇなどの名でも知られるビートメイカー荒井優作との共作EP『色』である。正直、この作品の良さを語る言葉を私は持っていないが(アンビエントでサイケで最高にチルだ、くらいのことしか言えない)、ともかく素晴らしいことは聞けば明らかだろう。ベストアルバム選出中にこのアルバムを聞いていると、曲単位でなくアルバムとして評価しようとすると、(当然のことなのだが)やはりビートメイカーの力が大きいことを実感した。GOKU自身サウンドへの強いこだわりを持っているようで、あのスパルタなレコーディングで有名なI-DeAに「一位か二位に入るくらいのめんどくささ」と言わしめたほどだ(http://fnmnl.tv/2017/09/25/38405)。

 順番が前後するが、同様にサウンドが素晴らしく、また私が語るには役不足なのは九位のJJJ『HIKARI』である。今年はFla$hBackSのメンバーそれぞれが活躍していたが、作品として選ぶならばやはりこれになるかと思う(好みだけで言えばFebbのラップを選ぶだろうし、曲単位ではKid Fresino「by her feat.茂千代」が抜けている)。「HPN feat.5LACK」は涙なしには聞けず、川崎コネクションの「Orange feat. STICKY」も熱い展開であり、「2014 feat. Fla$hBackS」に興奮しないヘッズはいないだろう。とりあえず、この作品が傑作だとは知られていると思うし、吉田雅史が(ラップの批評文としても)非常に素晴らしいレビューを残しているので、そちらを参照していただくことにしよう(→http://www.ele-king.net/review/album/005727/)。

 GOKUのミックスを担当したI-DeAは(自身アルバム『SWEET HELL』も発表しているが)十位に選んだBES from SWANKY SWIPE『THE KISS OF LIFE』のミックスも手掛けている。日本語ラップ界の至宝、天才BESのカムバック作だが、このアルバムもビートがそれぞれかなり高い水準にあると思う。特に「Check Me Out Yo!」などは煙たいビートに三人のスキルの確かな三人がラップを乗せているアルバムの顔となる一曲だろう。同じくMVが出された「Mic Life」もKing104とStickyが客演しており、ビートも含め素晴らしく、歌詞も彼らに似合わず(?)前向きである。客演についても触れておけば、「Breathless」ではKNZZ、「Ruff&Tough」では、すでにSWANKY SWIPE「GREEN」で客演済みのレゲエ・アーティストB.B THE K.O(BESはレゲエ好きとしても知られており、SCARS「ばっくれ」などではレゲエ風のフロウを披露したりしている)、これもまた古くから付き合いがあるだろうMEGA-Gとの「King City」、三曲連続で客演している、池袋BEDを中心に活動するフィメール・ラッパーMICHINOなど、飽きさせないメンツが揃っている。NORIKIYOが「あれはクラシック」と評した『REBUILD』や、SWANKY『BUNKS MARMALEDE』などの全盛期と比べて、BESのフロウのキレが完全に戻ったとはさすがに言うつもりはないが、それでもBES的としか表現できない独特のリズムの快楽は健在である。とはいっても、「Check Me~」の仙人掌にあるように、「てかあんたがここにいりゃ何もいらんし」という気持ちでいっぱいであることを隠すつもりもないのだが。

 六位と七位は、今年のニューカマーの作品を選んだ。SUSHIBOYSをはじめて知ったのはSEEDAがサンクラにアップしていた(今は非公開、メンツを増やして再発表するとのこと→https://www.youtube.com/watch?v=7lmEQzj55o0)「254」に参加していたFarmhouseのラップを聞いたときで、かなりのスキルだと思ったし、SEEDA自身日本でトップクラスだと認めている。その後調べて農業ラップだの、元ユーチューバーだのと言った情報に当たり、怪訝に思っていたのだが、1stアルバム『NIGIRI』はそうした不審を吹き飛ばすに十分な出来だった。ビートもラップも完全に一流で、日本語ラップシーンにとどまらないリスナーを、国内外問わず獲得できるのではないかと大きな期待を持たせてくれる一枚である。七位のWeny Dacilloもまた、大変な才能だと確信できる。多くの人同様にはじめて彼を知ったのは高校生ラップ選手権でT-Pablowに惨敗してしまったときで、それ以来忘れていたが、今年発売されたシングル「1000%」(EP未収録)を聞いてぶっ飛んだ。メロディもリズムも圧倒的であり(DJ CHARI&DJ TATSUKI「ビッチと会う」も素晴らしい)、かつリリックも独特の「マイナー文学」的な感触のある訛りの強度に支えられている。

 九位はSALUのミクステ『BIS3』である。今年のMVPは明らかにSALUだった。4thアルバム『INDIGO』を発表し、新たなレベルのラップを披露しながら、日本語ラップのレジェンドである漢とD.Oと「Life Style」で共演を果たし、「夜に失くす」では、おそらくESTRA繋がりであろうがニューカマーゆるふわギャングをいち早くフックアップしている。ベストソングに挙げたJP THE WAVY「Cho Wavy De Gomennne Remix」もまた同様に素早い反応で新人をフックアップしており、彼自身「俺がDrakeで彼Makonnen」と歌っているように(新人のILOVEMAKONNENがアップした「Tuesday」がネットからヒットしたのを見て、大物Drakeがリミックスを要請し彼をフックアップしたアクションを、今回のSALUとJPに重ねている)、まさに日本のDrake並みの動きと存在感を持ってきている。2010年代初頭に「スワッグ系」として注目されて一時代を築き、その後KOHHが「Fuck Swag」(誤解ないよう一応書いておくがディスではない)と歌ってさらに日本語ラップを進化させ、再びSALUがKOHH以後の日本語ラップの最前線に戻ったという展開もスリリングである。また、シンガーの向井太一「空」に客演参加した彼はそこでもメロディのセンスを証明する同時に、「Cho Wavy~」ではゴリゴリのトラップで圧倒的なラップスキルを誇示するという幅もあり、かつ旧友であるだるまやRYKEYとの作品も発表しており、ヒップホップ的にも理想的な振る舞いだと言える。また、ミクステからMVが出された「Sweet and GoodMemories」についてはこのブログに書いた(→http://bobdeema.hatenablog.com/entry/2017/10/16/115111)。

 

 ベストソングに移ろう。一位に選んだのはECD×DJ Mitsu The Beats「君といつまでも(together forever mix)」である。加山雄三の生誕80周年を記念したアルバム『加山雄三の新世界』に収録されている一曲で、加山の同名曲のリミックスである。加山のヒップホップ/ラップ文脈での再評価の流れは、おそらく同作にも収録されているPUNPEE「お嫁においで2015」のヒットがあったからかと思うが、ECDのこの曲についてはそのPUNPEE自身「楽曲、リリック、内容、構成、すべてひっくるめて、とにかく密度がとてつもないですね」(https://natalie.mu/music/pp/kayamayuzo/page/3)と絶賛している。もちろん、日本語ラップのレジェンド中のレジェンドECDと、世界的な評価を得ているGAGLEMitsu The Beatsが組んでいるのだから当然と言えば当然だが、それにしてもこの「リアル」の感触――「そう その塊みたいな奴さ」!――は無二である。ECDのことを論じるによく使われるのが、彼自身が提唱する「訛り」という考え方で、確かに昔からECDの訛りは他にない魅力を持っていた(もちろん全ての「訛り」は他にないものである)。しかし、また新たな訛りがここで歌われていると思った。ここでのECDはまるでおじいさんの喋りのように訛ってラップして穏やかだが、同時に「まじでつねられた」ときの痛みほどの鋭さを持っている。それがECDの「リアル」の凄みであり、ダントツの一位だった。がんばれECD

 大ベテランECDから一転、二位は作風もそれと正反対と言っていいようなニューカマーJP THE WAVYの「Cho Wavy De Gomenne Remix」で、ネットから一発でバイラルヒットし、多くのリミックスを生んだ一曲である。元(?)ダンサーらしくMVで披露しているダンスや、「超~でごめんね」というミーム的でキャッチーなフレーズがヒットの要因だろうが、「wavy」「lit」といったスラングの使用や、「もう終わってきてるdab」「Migos「Bad&Boujee」聞いて踊るpussy」など流行の最先端を導入した新世代らしさも魅力であろう。三位は、tofubeatsがKandy TownのYoung Jujuを招いた「Lonely Nights」。tofubeatsの才能も広く知られていたが、いまいちノリきれなかった私もこの曲にはやられた。「水星」などに明らかだが、そのある種センチメンタルなリリックがそもそも自分の好みに合わず、この曲も〈孤独な夜〉などと言って「27」歳の大人が「踊り足りない」と、まだ青春を懐かしがっているような内容なのだが、しかしメロディの先鋭さはそれを補うに十分というどころか、気づけば「頭使っててもまた間違う」などのラインにエモくなってしまっている自分がいたのだった。

 エモさで言えば、しかし四位のElle Teresaの情念の強度には目を見張る。沼津出身でゆるふわギャングとも親交の深いフィーメール・ラッパーで、「Bad Bitch 19 Blues」や「I don’t know」などの他の曲とも大変迷ったが、結局「Chanel」を選んだ。この曲をLil YachtyのクルーSailing Teamに所属するフィメール・ラッパーKodie Shane「Drip On My Walk」のパクリだと言ったところで何にもならない。そんなことは誰でも知っている。その上で、Elle Teresaは間違いなく最高である。彼女の口から「寒くなんかないよ 寒くなんかないもん」と言われると、他にない響きがある。あるいは、より強さにおいて勝っているのは、Kyle「iSpy」のビートジャックで歌われる「ほんとは止めちゃいたいのよタイム」という一節。Elle Teresaは曲を聞くだけでも十分だが、「ハーデスト・マガジン」のインタビュー(http://hardestmagazine.com/archives/1183)も大変素晴らしく、新世代のフィメール・ラッパーが登場したことを十分に確信できる内容となっていると思う。

 五位のLeon a.k.a.獅子「GUN SHOT」は、ともかくラップスキルが圧倒的で、確実に新世代の中でナンバーワンだろうし、その抜群のリズム感はSEEDAを思わせもする。いまだまとまった音源は出していないものの、サイプレス上野とロベルト吉野RUN&GUN」での客演や、今年発表されたSalvadorとの「I don’t give a fxxk」などを合わせて聞けば彼の天才は明らかだろう。若手の中では好みで言えばダントツである。

 六位のJin Dogg「アホばっか feat.Young Yujiro&WillyWonka」は、すでに一大勢力と言っていいだろう関西トラップを代表する一曲と言える。「あいつがああ言ったらこいつはこう動く」という素朴だがそれゆえに不穏なパンチラインを、Jin Doggのぶっきらぼうなラップが煽り立てるところが良い。何を考えているか分からないが、いつ暴れ出すか分からない危うさがあるような雰囲気も魅力である。また、客演のYoung Yujiroの「うわまじなにそれ嘘やろホンマに言うてん それどんだけ」の箇所も、ナチュラルな口語の大阪弁と二連の気持ちいいリズム感が合わさってクセになる。Yujiroの今年発表された「102号」は、同じ大阪のSHINGO☆西成の名曲「ILL西成BLUES」を想起させるようなリアルな街並みの描写が素晴らしい。WillyWonkaは2win、Weny、Leonらと同様高校生ラップ選手権組だが、相変わらず高いスキルと洒落たラップを見せている。WillyWonkaは「ニート東京」のインタビューで、トラップではなくリリカルなラップも好みで、いつかそれをやりたいと言っていたが(https://www.youtube.com/watch?v=NJeeu5JGMnA)、確かに二年前に発表していた「D.R.U.G.S.」はきわめて高いレベルのリリックを披露していた。加えてレゲエ・アーティストのVIGORMANとのユニット変態真摯クラブでもまた別の方向性に挑戦しており、高いポテンシャルを持っている。

 ここからはベテラン勢が続くが、七位はLIBRO「言葉の強度がラッパーの貨幣」。鎖グループの始動あたりから、かつてクラシックアルバム『胎動』で名を馳せた天才ビートメイカー/ラッパーが復活し、以来精力的に作品を発表し続けている中の一つとして、今年、セルフ及びDJ BAKUによるリミックスを多く収録したアルバム『祝祭の和音』を発表した。LIBROはほぼ絶対に間違いがないビートメイカー/ラッパーの一人だが、新曲もすべて完成度が高く、小林勝行や鬼との客演も豪華である。MVが出された「リアルスクリーン」は、このアルバムの主題にふさわしくキャリアを振り返った熱い一曲で、特に「なぜならまだ死んでない 進歩してる進行形で浸透中/漢のリリックに全部書かれてた 「マイクロフォンコントローラー」に重ねてた己/まだ覆い隠すかもう剥がすか 葛藤する途中の自分にとどめを刺すか/去り際一言背中押され急遽RECした3verse目」の部分は、盟友である漢との感動的なエピソードが歌われている。それとどちらをランキングに入れるか悩んだ末に結果選んだこちらの曲は、漢の「去り際一言」にラッパーとしての自覚を取り戻した後のLIBROがラッパーの条件や楽しみを歌った一曲である。考えてみれば「言葉の強度がラッパーの貨幣」というタイトルは、「理想論やディールや綺麗事やくさい台詞並べてるだけじゃ薄っぺらいお前の財布」(Ski Beats「24 Bars To Kill」)などと歌い、ラッパーの「言葉の重みと責任」(「次どこかで」)とメイクマネーを追及してきた漢のラッパー観と近いように思える。「リアルスクリーン」では「特に日本語の面白さ 韻と説得力視野の広さ」と歌っているが、「言葉の~」での「もっともっと、もごもっとも(中略)着地が決まればお見事」の箇所などはそれを十分に体現している。また、ビートのやばさについては言わずもがなであろうが(だってLIBROなのだから)、触れておくと、サンプルの声ネタをループさせたタイプのビートの一つであり、その例として例えば佐藤雄一「なぜ貧しいリリックのKOHHをなんども聴いてしまうのか?」でA Tribe Colled Questの声をサンプルしたLil Wayne「A Milli」や、Scars「My Block」などが挙げられているが、さらにその声ネタを早回ししたタイプとしてこれはCam’ron「Oh Boy ft. Juels Santana」などと同型と言えるだろう。

 八位はLIBROよりもさらにベテランのRHYMESTER「Future Is Born feat. mabanua」で、ここではラッパーの本質よりもさらに広く、ヒップホップの本質のようなものが歌われている。2MCどちらのヴァースも良く、特に宇多丸のヴァースはすべてを引用したいほどだが、いくつか拾ってみるならば「人々が忘れ去っていた街の片隅で誰かが歌い出す」、「壁にのこされたでっかいタグ まるで喧嘩腰の危ないダンス/大人のガイダンス抜きで生き残った異端児たちの媚びないスタンス」などのラインは率直に美しい。また、その中でも特に耳をひいたのが「マイクを通した新たなメディア ライムで書き足してくウィキペディア」という一節で、ヒップホップの本質をうまく表した詩的なパンチラインであり(73年に生まれたヒップホップがすでにウィキペディアなどのような新しさをはらんでいたということだろう)、批評家的な頭を持つラッパー宇多丸であるからこそだと思う。対してMummy-Dは、冒頭で流行りの三連を組み込みながら「上にも下にも何者にも媚びぬとこがイカしてた/ドレミファにもソラシドにも媚びぬとこがイカしてた」と、彼らのかつてのクラシック「B-BOYイズム」を想起させながら(「何者にも媚びず己を磨く」)、かつおそらく日本人ラッパーの中で最もリズムとは何かということを考え続けてきた(『ラップのことば』インタビューなど参照)彼らしいパンチラインを残している。さらに「海を渡って根付いたこの国のシーンは 熱いハート持ったマイノリティたちが支えてきたのさクオリティ」という一節は、日本語ラップブームの今、日本語ラップを無視し続けてきた日本人全員に聞かせてやりたい痛快なパンチラインである。

 続いてRHYMESTERの後輩Kick The Can Crewのカムバック作「千%」。往年のファンたちが歓喜した一曲である。サンプリングでのビート(どうやら演奏したものを元ネタにしたらしい)だが、音の感じはKREVAらしさが全開であるし、そもそも「千%」という題自体にも、「アグレッシ部」「ハヒヘホ」「BESHI」などちょいダサなタイトルが多いKREVAらしさがある。ラップも、固く韻を踏みながら見事に「キャラ立ち三本マイク」のスイッチが連続するところはKickらしい。1ヴァースはMCUだが、確かなスキル(というか前より上手くなった?)に加えて、「半端なく最高なアンバランス」、「水のよう自然なI REP」(KickではなくKREVAだが、MVで「I REP」というときのLittleがKERVAを指さしているのでその曲の言及と見てよいだろう)、「行くぞONE WAY」、「足伸ばすまた」(「カンケリ01」)など、彼らの過去の楽曲やリリックに言及して(制作前はそのような過去志向は無しだと話し合っていたらしいがMCUが聞かなかったそうだ)、ファンを喜ばせる。2ヴァースのKREVAは、オーソドックスと言えばそうだが、しかし何よりも強烈なKREVAパンチライン「恋は一秒もかからずに燃えるけど 心にはないぜ追い焚き機能」を残している。KREVA的と言えばさらに、フックの「経てからのここ」というのも同様である(『ダウンタウンのごっつええ感じ』に「経て」という有名なコントがあるが、それはおそらく関係ないだろう)。3ヴァースのLittleのトリッキーなライマーっぷりも相変わらずで、「生涯は長い長いマラソン互いに争うより よりやばい音楽を鳴らそう」「茶化したりしたり顔でバカにしたり その本気を笑いにしたり下に見たりしない」という短い韻の連打や、「まず案ずるよりバズるBigな番狂わせ 「Kick The Can Crew」again」という長い韻までをこなしている。

 十位はJAZZ DOMMUNISTERSに漢が客演参加した一曲「Blue Blue Black Bass」。菊池成孔大谷能生のユニットで、二人の(特に菊池の)音楽評論家としての、広い知見と精通した音楽理論にもとづく仕事については最大限にリスペクトしているものの、ラップ自体の出来が「音符も読めないし楽器もでき」(「マイクロフォンコントローラー」)ず、「映画とか読書とかなんてどん臭い趣味はねえ」(「光と影の街」)漢に遠く及ばないことはあえて言うまでもなく(当人らもそんなことは当然承知しているはずだ)、そしてそここそがこの共演の最も楽しい部分である。漢はこのアルバム『Cupid & Bataille, Dirty Microphone』には、二曲参加しており、もう一方の「悪い場所」でもかましている。良くも悪くも衒学的な(そもそもタイトルの「悪い場所」自体、美術批評家の椹木野衣『日本・現代・美術』で有名になった批評タームである)菊池に呼び込まれた漢は、剣桃太郎「Dog Town」での懐かしいヴァース(「独断と偏見ですべてを切り開け~色仕掛けか命がけ」)を自己引用し、「イル」なフロウで、いつものように日本一の頭韻巧者かつ長文リリシストっぷりを発揮しながら「イルなネガティブな奴もいつか芽が出るとメディカル目的で四葉の代わりに手にする緑の五枚葉」などと、怪しいパンチラインを残している。そちらも良いが、ビートが好みで、かつホストの方のラップも前者に比べて優れており、フックも耳に残るので「Blue~」の方をランクインさせた。こちらの漢も圧倒的で、「天変地異が起きてこの国の機能が停止したわけでもねえし/インターネットで見れるレベルの陰謀論じゃ話にならねえ」の部分はフロウもハメ方も完璧で、続いて「同じ目線で冗談言うなよクソ凡人」という一句は日常生活でイラっとしたときに使いたくなるようなパンチラインであるし、さらに「さらさらまともにやるつもりもねえ 命さながらで貫くゲーム」というMSCのクラシック「音信不通」からの自己引用にもテンションが否応なく上がってしまう。

 十一位は、高校生ラップ選手権組の一人dodoの「swanging like that」である。dodoを有名にしたのはおそらくサイプレス上野とのビーフだったろうが、陰キャ的(下品で気持ちの悪い言葉なので本当は使いたくないが)メンタリティを押し出したラップとキャラで、好みではなかったのだが、この曲の先鋭さにはさすがに驚かされた。音自体はアトランタ的な流行りと言えようし、オートチューンの使用も同様だが、反対にラップの方は柔らかく、短い韻を丁寧に強調しながら配置し、かつリリックもその韻の連続にしたがって転々としながら連なってゆくある種古いタイプのラップスタイルと言え、このようなビートとラップの間の齟齬、不和、衝突が絶妙な新しさを生んでいる。

 十二位はI-DeAのアルバム『Sweet Hell』に収録された「DeA Boyz feat. D.O」。D.Oがラップの天才であることは繰り返す必要もないが、ギターが甘美なビートに倍速ラップを乗せて、「悪党」の「路地裏のブルース」を歌った名曲である。日本でラッパーとしての生き様を貫いて、ストリートで生きながら、お茶の間にも広く知られたD.Oが、「テレビかなんかでアホ面並べてyo yo yoとかやっぱダセえ」といったラインを吐くことはともかく感動的であるし、また些事ではあろうが、「場合によって野垂れ死になんて」というD.Oに続いて「よくある話で珍しくもねえ」とD.Oの一番弟子的なT2Kが入ってくるのも熱い。

 十三位はヒップホップバンドBullsxxtの「傷と出来事」で、仙人掌を客演に迎えアルバム『BULLSXXT』から先行公開されていた「In Blue」や、MVが出た「Stakes」とも悩んだ。「In Blue」を聞いたときは、UCDのラップが平坦で、それゆえにフロウもライムも複雑な仙人掌の技巧が目立っていた。とはいえ、仙人掌が客演すればホストが誰であっても食われてしまうのが宿命であり、SEEDA、BES、NORIKIYOでさえも仙人掌に見事に食われた経験があるのだから、それは仕方のないことである。アルバムを聞くと、ラップが素朴なのはその曲くらいで、十分なスキルを持っていると思った。また、ポリティカルに寄らずあくまでラッパーとして、ヒップホップ的なマナーに則った作品であったのも潔いと思うのだが、多くの日本語ラップに詳しいだけの人々は通俗きわまりない呂布カルマ(ラップについては置き、PCも知らぬ無知に居直るその考え方が、である)の方が好きなようであるし、しかし翻ってBullsxxtのリスナー層の多くは「Stakes」がたとえばDe La Soul「Stakes Is High」へのオマージュであることに気付くことができない様子でもあり、このような需要のされ方自体が、アルバム収録曲の題を借りて言えば、まさに「Sick Nation」の兆候そのものではないかと感じたりもした。それは置いておくとして、「傷と出来事」をランキングに選んだのは、この曲がSEEDA「花と雨」タイプの楽曲だったからだ。それは確かに死者を悼み、祈ることが主題の曲だが、それ以前の例えば「How many brothers fell victim to tha streetz/Rest in peace young nigga there’s a heavean for ‘G’」という一節も非常に有名な2Pac「Life Goes On」などとは一線を画す。「花と雨」タイプの楽曲(と私が勝手に呼んでいる)は、そのリリックを構成するに、死と日付が重要な役割を果たす。拙文「ライマーズ・ディライト」(『ユリイカ 2016年6月号』)の時からこのことが頭にあり、そこで「花と雨」と並べて論じた般若「家族 frat. KOHH」も実はこのタイプの楽曲である。「花と雨」の「2002年9月3日」は、日本語ラップリスナーならば誰もが知っている有名な日付だが、「家族」でも、それぞれ「94年7月」(般若)、「1992年1月15日」(KOHH)と日付が出てくる。さらに決定的なのがRyugo Ishida「Fifteen」で、「小学二年手紙で知った 昨日のことのよう9月3日/記憶だけのパパは空に行った」と、「花と雨」と同じ日付(命日)が登場するという奇跡としか呼びようのない事態が起きている。「4月29日」を銘記する「傷と出来事」もその系譜に連なる一曲であり、「今年の4月29日もまた再会できないからバイバイすらしないでいなくなった人を想う暇もなく/祈るように生きる」というのは、「出来事」と祈りの本質を言い表している。この曲のタイトルはフランスの詩人ジョー・ブスケの同名の著作から取られているが、「花と雨」と「傷と出来事」の意義を確かめるには、例えばブスケについて論じられるドゥルーズ『意味の論理学』「第21セリー 出来事」なども参照したいが(「Fxxin’」で「俺は学者になるつもりだが」と宣言するほどであるから、UCD自身念頭に置いているだろう)、ここでは置く。それよりも、ここにブスケが加わるに至って、「花と雨」の新たな射程が浮かび上がってくる。ブスケは第一次世界大戦で受けた傷によって半身不随で生きた詩人であった。そこで日本語ラップヘッズならば誰もがすぐさま思い浮かべたであろうが、日本語ラップにはそのような傷を詩にしたラッパーが存在している。もちろん、ビルから飛び降りて大怪我を負い、医師から一生車いすだと宣告されもしたNORIKIYOである。その彼の足は(同じ病室だった義足のおじさんの予言通り)奇跡的に治癒するのだが、彼がファーストアルバム『EXIT』でシーンに衝撃を与えたのは、そのような傷をリリカルに歌ったからであった。「IN DA HOOD」では「今でも夢に見る しょうがねえ転げ落ちた崖 片足でも立てる?」などと歌い、またセカンド収録の「RIVAXIDE CITY DREAM」では「覗き穴先 雨ふりの空/古傷のPainも 2年経ちゃ慣れる」、新作『Bouquet』収録「Memories&Scars」でも、同じ主題が扱われ「『10分以内に雨が降る』 古傷はそっと痛ぇ」とあるように、彼の傷は「雨」と深い関係がある。〈傷と雨〉についてはじめに歌った一曲が、ほかならぬSEEDAを客演に呼んだ「Rain」で、「古傷が痛む もうすぐ雨が降る」と歌い出され、さらに「水はやれど花は咲かず」といったリリックもあるように、明らかに「花と雨」からの影響が強い(というよりもNORIKIYO自身何度も、『花と雨』の衝撃について語っている)。「花と雨」以下の曲で歌われる命日も、NORIKIYOの古傷の痛みも、どちらも「出来事」の痕跡であり、それが予告されており、周期的に反復されるものであるという点が重要だが、これ以上深く立ち入ることはやめておき、そのようなNORIKIYOが日本にとっての決定的な出来事と日付である〈3.11〉を決して忘れることなく、OJIBAHとの「そりゃ無いよ feat. RUMI」やKen The 390への客演「Make Some Noise」、また『Bouquet』収録「何で?」などで、そのことを継続して歌い続けていることを明記するにとどめておく。いつか本格的に論じてみたいが、日本語ラップの歴史の中で起きた数多くの奇跡の中で最も捉えがたく、しかし最も偉大なのは「花と雨」と「傷と出来事」に関わるものなのであり、Bullsxxtはその系譜に連なる日本語ラップである。

 十四位と十五位はどちらも主にライムの観点から評価した。STPAULERSはどうやら池袋BEDを拠点に活動しているラッパーのようだが、ビギーの有名なパンチラインをサンプリングした「DJ SPACE KID」による「川崎ビーツ」に、いまや貴重な押韻主義的なラッパーKNZZのラップが素晴らしい。特に「Kick in the door, live in Tokyo 自信過剰なら因果応報/でもビビんなよ 理不尽な状況から逃げる野郎チキンはGo home」(筆者の聞き起こしだが、「live in the Tokyo」と言っているように聞こえるものの、英語的にそこに「the」が入ってよいのか分からず、またこの一節の引用元のビギーの歌詞は「waving the four-four」なのだが、KNZZが「waving」と歌っているようには聞こえないので、不正確な引用になっているかもしれない。気になったが分からなかったので記しておく)の一連の流れから、ライムを変えての「バックギアない一方通行 fuckしがらみ新興宗教/トラップに嵌り執行猶予 待つしかないインタールード」までの部分は、固い韻に意味も通しながら、ストリートで生きる彼にしか吐けないようなパンチラインが続出している。この曲と悩んだのがA-THUG&DOGGIES「DMF ANTHEM」で、他の人も挙げるだろうから、一月に出されて忘れられていそうなこちらにしたのだった。しかし、「DMF ANTHEM」も最高で、KNZZの固い韻のラップは相変わらずであり、冒頭の「2017 実験中まだ」の入りは完璧であるし、「小さな気遣い静かな息遣い」などもリリカルだが、何よりこの曲はA-THUGの規格外のぶちかましたフロウ(と呼んでいいのかすらも分からない)が突出しており、「月の光 バラの花」や「struggleだけどbeautiful」、「say hoとかput your hands up そんなスタイルじゃ乗れないな」などの箇所は、A-THUG以外のラッパーがやれば一発アウトに決まっている。

 KNZZ同様に、日本最高峰のライマーであるMEGA-Gのラップが聞けるのが十五位Chino Braidz「Dejavu」で、偶然だが十四位同様にこちらも「まるでJUICYなFRUITみたいに 甘くて酸っぱいブルース次第に/染みるようになる」という一節でビギーが意識されている(推測にすぎないが、おそらくビギーの名曲「JUICY」にハマり、その元ネタMtume「Juicy Fruit」も染みるようになったということだろう)。かつてZeebraが組織したURBARIAN GYM(通称UBG)時代の旧友同士の共演(MEGA-Gは正規メンバーではなく練習生)で、二人の恩師であるZeebraからのシャウトも入っている。Chino Braidzの名をはじめて知ったのは、Zeebra『The New Begining』収録の「Beat Boxing」であったが、ここではUBG出身らしい(Zeebra的な)ラップで、特に2000年代前半の日本語ラップシーンを回想した「目の前で起きてた まさに奇跡が/UBG 走馬党 カミナリ マルモウ FG MS 問う今日 東京ナイチョー/新しかったドーベルマンインク」には誰もが胸が熱くなってしまうはずだ。そして、完璧な倍速ラップで、固い韻を次々に踏んでトラックを走るMEGA-Gが圧巻である。リリックの内容も、ヒップホップについての知識が豊富なMEGA-Gが勉強に励んだ若き日から、UBGでの訓練の毎日が歌われ、貴重である。特に、「一度火が付けばフリーズないマンションの一室が異質なフリースタイルダンジョン」の一節は、固い脚韻に、心地よい中間韻が挿入されてライム巧者としての面目躍如であるし、また最後の「NO PAIN NO GAIN 条件のゲーム当然挑戦BET MY LIFE/どうせ冒険なら上限まで張るぜデカく 勝利の女神が微笑む瞬間まるでデジャブ」は、怒涛の全踏みから、意味も語彙もラップゲームをギャンブルに喩えた内容で完璧に統一しつつ、固い脚韻に自然に繋ぎ、曲のタイトルである「デジャブ」でヴァースを締める手際はまさに職人といったところである。また余談にはなろうが、注目したいのが、「Buddhaのオーパーツ提供され イルでいる秘訣継承されど」という一節である。MEGA-Gはヘッズ的な感性が強いラッパーであるが、おそらく彼が特に尊敬しているラッパーが三人おり、まずUBG時代の師であるZeebra、そして彼もその近くにいるMSCのボスである漢、そしてBuddha Brandである。ここで言われている「Buddhaのオーパーツ提供され」というのがどの曲のことを指しているのか、調べられず今のところ分からないのだが(このリリック同様のことをここでも言っている→http://www.hmv.co.jp/newsdetail/article/1608121020/)、Primalへの客演「ブッダで休日」や、「人間発煙所」、「暴言」などがあり、Dev LargeやBuddhaへの尊敬があることは知られている。

 

 と、ここまでまとまりもなく長々と、思うままにつらつらと書き連ねて、あらためて日本語ラップの豊かさを思い知らされた。ここで触れられなかった作品も数え切れぬほどあり(MONYPETZJNKMN、Awich、RAUDEFなど挙げきれない)、またここで触れた作品や曲、アーティストについてもまだまだ語り足りないことが山ほどある。加えて、気づけば今年は批評文と呼べるような文章を自分が一つも書かなかったことも多少悔やまれると言えばそうだが、今の状況では「日本語ラップ批評」など不可能で、その前に書くべきこと、やるべきことが多々あるとも考えているので、それは来年の抱負ということにしておこう。2018年の日本語ラップも楽しみだ。