韻踏み夫による日本語ラップブログ

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KREVAの特異さについて

 KREVAがかつてKICK THE CAN CREWのメンバーとして活動し、紅白歌合戦にも出演するほどの商業的成功を収めたということ、解散後ソロとしても目覚しい活躍を見せ続けていることは、日本語ラップファンでなくてもよく知られていることかもしれない。日本語ラップを追いかけてきた者であれば、KICK以前に彼がB-BOY PARKのMCバトルで三連覇を果たしたということも、そしてKICKでの活動が般若、MACCHOらの強烈な拒否反応をもたらしたこともあらためて紹介するまでもない。彼らにディスられたことで、KREVA日本語ラップのシーンにおいてほとんど村八分のような状態になった向きもあったが、少し前のKEN THE 390、SKY-HI、AKLO、SALUらが台頭してきたとき、KREVAは再びシーンにとって重要な存在であることを思い出させた。

 これらの履歴は、DABOがかつて「喧嘩強い/弱い系」の二分法でシーンを語ったとき、KREVAが「弱い系」の筆頭であるといったこととぴったり重なっているように見える。しかし、KREVAは、SEEDAのメジャーデビュー作『街風』の「TECHNIC」に客演している。その異様さは、このアルバムに他に参加したラッパーが、THE BOSS、D.O、漢、BES、四街道ネイチャーらいわゆる「強い系」であったことと比較すればよくわかるだろう。あるいは、KREVAをディスした「78年組み」のラッパーの中で唯一韻踏合組合のHIDADDYはKREVAに好意的であったらしく、「マッハGOGO」という曲を、HIDA、遊戯、CUEZERO、KREVAの四人で発表している。あるいは、妄走族の兄貴分と言うべきNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのDABOもKREVAと客演しており、高い評価を与えている。さらに現在般若の昭和レコードに所属しているSHINGO☆西成をおそらくシーンでもっとも早くフックアップしたのも彼で、「アグレッシ部 REMIX」に参加させている。

 単に顔が広い、というわけではないだろう。現在ではKREVA日本語ラップの距離が再び乖離しているように見えるが(唯一高校生ラップ選手権のライブは行ったが、普通なら彼はフリースタイルの第一人者と目されるのが道理である)、それははじめからそうなのではない。かつて、BY PHER THE DOPESTのメンバーとして、KICK結成以前に活動していたとき、彼はアングラのラッパーだったのであり、そのときの音源を聴けばわかるが、当時としてはかなり技巧的、先鋭的なラップをしていたのである。

 

 

 KREVAがシーンに認められたのはBBP三連覇と続くKICKでの活動であるが、同時期にシーンに登場してきていたのは前述の「78年組」であった。東京の般若、漢、D.Oに加えて、大阪のHIDA、横浜のMACCHO、名古屋のTOKONA-Xなど、錚々たる顔ぶれである。彼らの特徴は、「レペゼン」という概念を持っていたことだった。キングギドラは間違っても東京レペゼンなど言わなかった。TWIGYも、YOU THE ROCKもそれぞれ名古屋、長野をレペゼンしていなかった。レペゼンが可能になったのは、それまで自明なものとしてあった東京に対して、「札幌」の地名がぶつけられたからであった。THE BLUE HERBが登場して、初めて東京と地方の二分法が成立したのであり、その下の世代である「78年組」が揃いもそろって地元の地名を口にしたのはTBHの影響下にあることを示しており、それはつまりキングギドラへの反抗の意を示すことであった。般若はZEEBRAとくっついたり離れたりしていたし、『ヒップホップ・ドリーム』で漢はZEEBRAとの初遭遇を語るときに、微妙な距離感があったことを示している。彼らはZEEBRAの影響をぬぐおうと努力していた。

 では、ZEEBRAの影響とは何か。いうまでもなく彼が完成させたと言われる脚韻である。脚韻は当然、ループする小節に対してもっとも形式的に整ったスタイルである。だが、それは制度としてラッパーたちを捕らえていた。そこから抜け出そうとする必要があった。

 その方法はおそらく二つであった。押韻主義をさらに推し進めるか、それを放棄するか。つまり、量的な拡大か、質的な変化である。そのようなときに、KICKの三人のラッパーは押韻の量的な拡大を、これみよがしに行った。その中でKREVAはもっとも脚韻的であった。LITTLEは脚韻にとらわれていないし、MCUは押韻の質がKREVAよりも劣っていた。例えば「イツナロウバ」は、ZEEBRA「真っ昼間」と歌われている風景が夏のある日という点で酷似しているが、押韻の量を見てみればその進化は歴然としている。「太陽と地面正面衝突 気温も上がり当然今日も 抑えきれない冒険衝動 誰もが戻る少年少女」という押韻の長さと論理的な一貫性は言うまでもなく褒め称えられるべきであるし、ZEEBRAも完敗を認めてよいはずであるが、事実はそうはならなかった。彼らはディスの対象となったのであるし、漢、MACCHO、般若らの方がシーンにおいて重要度を増していった。

 おそらく、文字数、回数の拡大した押韻は、商業的な拡大、センチメンタルな主題を巻き込んだので、KREVAに対してよく言われるセルアウトなスタイル、無内容、フェイクといった言説が生まれたのである。ただ、それは押韻の歴史的な過程の中で生まれた言説なのである。実際のKREVAへのディスを聞いてみればよい。「KREVA?アーイ アバズレちゃん キモいんだけどありゃケツからあれか?」という般若のディスは単に嫌悪感の表明にしかなっていないし、MACCHOに至ってはKREVAの学歴を批判の根拠の一つにしている。普通に考えれば、KREVA慶應大学を卒業していることなどまったくどうでもよい話だ。それでもKREVAをディスしなければならなかったのは、彼らの押韻の姿勢の違いが根本的な問題としてある。ディスの内容でなく、彼が集団的な嫌悪の対象となった事実が重要である。

 漢については、以前の記事に書いたが、他の「78年組」のラッパーたちはそれぞれ押韻の質的な変化を目論み、しかもそれに成功したのだといえる。そのような押韻の質的な改良はKREVAには見当たらないが、ただ、彼のラップの有無を言わさぬ上手さやこれまでの経歴を見るに、シーンにおいて無視することはできないはずである。KREVA自身がどう思っているかは別として、日本語ラップにおけるKREVAという問題は深く考えて見なければならないだろう。もちろんそれは彼の実際の楽曲を仔細にみることを通して。