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韻踏み夫による日本語ラップブログ

日本語ラップについて Twitter @rhyminaiueo

あいうえおキング

 日本語ラップを鑑賞する際に、人々から失われた視点の最たるものとして、言葉を形式的に受け取ることである。日本語ラップに限らずとも、小説などにおいてもそうであるが、メッセージ、心情、主題などといったものにばかり注目することの愚には拍車がかかってきている。ラップの言葉でも、小説でも映画でも、それらを構成する内容と形式の両面において見なければならないのに内容にばかりその比重が置かれている。

 では、言葉の形式を見るとはどういうことか。四人のフリースタイルバトルMCがマイクリレーを行う「DEVIL'S TONGUE」における晋平太の歌詞は、MCバトルが主題化されてはいるが、形式的な面に注目して聞けば押韻がもたらす形式的な構成が見事になされている。

 

 おまちかね I'm Great King ひらめきのあいうえおキング

 

 AIUEOINUの音で四度押韻されるこの歌いだしは、単に押韻の長さと回数において優れているわけではない。押韻する言葉たちが連動している様に目を向けてみよう。まず第一句において、「GREAT KING」であると自己紹介するわけだが、二句でそれは「あいうえおキング」と換言される。これは晋平太の経歴を参照して、UMB二連覇を押韻主義的なスタイルで成し遂げたことを示しているが、重要なのはそこではない。「I'm GREAT KING」と「あいうえおキング」の二語の間に成立している関係が、まず第一に押韻の関係であり、さらに指示対象が同一(晋平太)であるが別の言葉であるという同義異音の関係であることだ。つまり、「GREAT KING」と「あいうえおキング」の意味内容は同一であるが、二つの言葉は異なっている。「晋平太」という指示内容をまず一点、そこから二つの異なる表象形式「GREAT KING」「あいうえおキング」がそれぞれ一点ずつを担い、正三角形が形作られる。このことは誰の目にも明らかなことだが、これに押韻という技術の本質が密接に関ることが重要なのだ。

 今、引用部の第一行を換言という言葉の動きが、正三角形を作り出すことを示した。押韻においても同様の図形が形作られているのだとすれば、きわめて構造的な作詞が行われていると言えないか。まず、押韻する二語が押韻たりえている同一の母音AIUEOINUを一つの点とし、そこから別々の子音をまとった二つの言葉「I'm GREAT KING」「あいうえおキング」がそれぞれ二点をなす。先ほどと同じ正三角形が成立することは明らかだろう。

 押韻と換言という二つの言葉の運動が連関しているこの歌詞において、「あいうえおキング」という一語はきわめて重要である。言うまでもなく押韻を成立させるのは母音であり、「あいうえおキング」とは押韻のキングを指すことは自明である。日本語での押韻が困難であるという議論は昔からあるが、それは文法体系が理由であり、一転、われわれが子供のころに日本語を習得するときに誰もが目にする、あいうえお表は日本語が押韻にきわめて適している音声体系を持った言語であることを知らせる。つまり、縦に五つ並んだ言葉たちがそれぞれ横に移動し、それがたまたまある意味を持つ単語となればそれは押韻であるのだ。あいうえお表を横滑りする言葉たち。それが押韻の形象化である。

 

 

 滑ったならアイスケートリンク 罵りたいなら上がれよリング

 

 押韻という形式がリンクで滑っているアイスケートの運動と視覚化され、その平面の地形は二者が格闘する「リング」へと変奏される。横滑りが押韻を、子音の横滑りを示すとすれば、二者が格闘する衝突の運動は押韻する言葉たちが同一の母音を共有しているという事態を示しているだろう。つまり、ここでも正三角形が、「押韻」という形式、押韻における子音の横滑り、押韻における母音の共有を三点として形作られる。

 

 押韻における縦横の二つの運動。この左右上下の運動が、実際に押韻されながら歌われることで、つまり虚構と叙述の、内容と形式の二つの次元においてきわめて構造的な言葉が歌われていることになる。

 

 烈火のごとく赤く燃えるラップ レンガの如く高く積んだキャッシュ

 変化を残す後ろ向きのキャップ 伝家の宝刀ぶつかり合えばクラッシュ

 

 この部分の一行目で見られるのは上下運動である。炎も、積まれたレンガも上を目指して運動する。それに対し、二行目では左右の水平運動が形象化されている。だが、上下、左右の運動の方向が異なるとはいえ、第三句までは単一の運動であり、一つのものが一つの方向に運動している。しかし、第四句では左右からそれぞれ水平に運動してきた「伝家の宝刀」が衝突する様が描写される。ここから歌詞は、複数と単数の主題が前景化する。

 

 交差する本音と本音 できなきゃお家で本でも読んで

 全国どこでもウォンテッドコンテスト この俺を今月も本命と呼んで

 

 一行目も、二行目も、それぞれ複数→単数のパターンを踏襲している。この複数、単数の衝突=「クラッシュ」、水平運動と垂直運動の「クラッシュ」。母音と子音をめぐるこの構造的な運動を歌う晋平太が「あいうえおキング」であると自称することは興味深い。

 

 言葉を内容、形式の両面から見なければならない、と冒頭で述べ、それはどのようなジャンルにおいてもそうなのだが、日本語ラップにおいてそれは徹底されなければならない。なぜなら押韻が、言葉を音と意味、母音と子音、同一と差異に分解するものだからだ。